日本人はなぜ茶を飲むのか?

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先日、「日本人はなぜ苦味のあるお茶が好きなのか、

それは外国人には理解し難いところである」と言った

テーマでのテレビ番組がありました。


その中で、坂本裕子・京都文教短大教授の

「小さな頃から苦味のあるお茶を飲むことが、

味覚の形成に大きな影響を与えている」、

中村順行・静岡県立大学教授の

「渋味・苦味がインパクトとして入ることで、

旨味・甘味が強く感じられる。

これこそが和食を生んだ真髄である」、

歴史家の磯田道史氏の「お茶は和食の入口になっている」

と言った見解が紹介されていましたが、

肝腎の「なぜ日本人はその苦いお茶を好んで日常的に

飲むのか、あるいは飲めるのか」についての解答は

明示されていなかったように思いました。


そこで、自分なりに考えてみました。
まず、一口に「苦いお茶」と言いますが、

お茶には玉露 に多く含まれるテアミンやグルタミン酸を

はじめとするアミノ酸由来の「甘味」と「旨味」があり、

それらにはリラクゼーション効果があります。


次に、タンニン(この一部がカテキン)由来の「渋味」です。

新芽の先端を摘んだ上級茶にはあまり多くはないのですが、

日光に当たる量が増えるに従って渋みが強くなります。

これには生活習慣病抑制作用、抗酸化作用、抗菌作用、

コレステロールや血圧・血糖の低下作用、

ガン予防作用等があるとされています。


次に、カフェイン由来の「苦味」です。

玉露や新茶に多く含まれ、茶摘みが遅く日光に当たる量が

増えるほど少なくなります。

カフェインの多いお茶はテアニン由来の

甘味や旨味も多いのですが、

このテアニンがカフェインの興奮作用を抑制します。

このように、一口にお茶の苦味と言っても、

苦味・渋味・甘味・旨味があるわけです。
このうち苦味と渋味の区別は微妙で、

お茶の味って「苦味だ」って言う人もいれば、

いや「渋味だ」って言う人もいます。

英語ではどちらもbitter tasteです。


また、旨味はgood taste ,good flavor と表現されますが、

これは要するに「美味しい」という意味で、

甘味・酸味・苦味・塩味と並ぶ第五番目の基本味としての

旨味はumami tasteと表現されています。

日本の研究者(東京帝大の池田菊苗博士)は

今からほぼ100年余り前の1908年に旨味の存在を

発見していたのですが、世界的には1980年代になって

ようやく旨味が認められたために英語独自の単語がない、

と言うことのようです。


さて、お茶が嗜好品として飲まれるようになったのは

中国では宋の時代(960~1279)、

日本では日本の茶祖とされる栄西禪師が中国から茶を持ち帰り、

『喫茶養生記』(1214) で「茶は養生の仙薬なり」と説いて以来徐々に広まり、

江戸時代以降になってから一般庶民にも広まったようです。


そこで本題の「なぜ日本人は苦味のあるお茶が好きなのか」

ということですが、以上述べたように、

お茶は単に苦い・渋いだけではなく、

そこに甘味・旨味が微妙に組み合わさって日本茶独特の風味を

醸し出しているからではないかと思います。


その独特の風味ですが、それでもその主体はやはり「苦いお茶」と

一言で言われてしまうように苦味にあるのではないかと考えます。
そしてこの苦味の部分こそが、実は東洋医学的には誠に大切な部分であり、

『喫茶養生記』に養生の仙薬であると説かれた所以だと思います。


なぜ苦味の部分が仙薬なのか。

それは「氣を下げる」からだと思います。


2013年8月20日のブログに書いていますが、

苦い黄柏(=黄檗=おうばく=黄肌=きはだ)が

吉野山や大峰山の陀羅尼助丸(だらにすけがん)の主成分であり、

木曽の御嶽山の百草(ひゃくそう)や鳥取の宝仏山の煉熊(ねりぐま)も同様の薬で、

いずれも山岳信仰・修験道と関係が深いことからも察しがつきます。


これらは一般には胃腸薬と考えられていますが、

実際に氣を下げる効果があり、

それが修行にはきわめて大切な要素であるに違いないと

察せられるところからして、

やはり苦いお茶も同じく仙薬と考えて良いと考えます。


京都宇治の黄檗宗(おうばくしゅう)萬福寺が

黄檗を宗派の名の冠とし、

氣を上げる葷酒(刺激物や酒)は寺の中に持ち込んではならぬと

「不許葷酒入山門」と書かれた戒壇石(かいだんせき)が山門脇に置かれ、

山門を入った右側を少し入った処に

氣を下げる黄檗の木が象徴的に植えられているのも、

修行と氣を下げる苦味を持つ黄檗(黄柏)の関係を

象徴しているのではないかと考えます。


「落ち着く」という言葉がありますが、

これは丹田の氣が日常生活の中で心身のストレスや過労iによって

どうしても上方に上がり、そのために頭熱足寒になりがちなので、

氣を丹田に落として着けて頭寒足熱にしなさい、

というところから「落ち着く」という言葉が

生まれ使われてきたのではないかと思います。


煩悩とは、煩は右側の頁は顔に足が付いた形ですが、

それが火(精神的なイライラや飲食過多による火)で燃えていることを表し、

悩は右側は脳の象形文字で心が脳で悩む姿です。

まさに煩悩によって氣が丹田から上がっている姿が、

字として表現されているのだと思います。


  煩悩から解(ほど)けて脱する、つまり解脱(げだつ)して

佛(ほとけ←ほどけ←解け)に成る(成佛)ためには、

心を平安にすると共に葷酒を摂(と)らずに

氣が上らぬようにすることが大切で、

そのためのお茶であり黄柏なのだと思います。


結跏趺坐(けっかふざ)して、丹田のあたりに両手を組んで

(法界定印: ほっかいじょういん)目を下方に落として禪をする姿は、

氣を丹田に下げて落ち着く姿でもありますが、

それと同時に精進料理と少食と喫茶そして黄柏が加わることにより、

修行としてより万全になるのだと思います。


このような歴史的文化的背景の中で、

日常生活においてお茶を飲む習慣が一般に根付いてきたのですが、

なぜそれが根付いてきたのかと言えば二つの理由があると思います。


  まず、お茶は苦いといえば苦いのですが、

そこには同時に美味しさ・旨さもあると言うことです。

単に苦いだけならばなかなか大人から子供まで

日常的に飲まれないだろうと思うのです。


つぎに、やはりお茶は『喫茶養生記』の名にも表れているように、

身体の養生に良いからだと思います。

お茶を飲むと心身共に「快」と感じるからこそ、

それが日常的にリピートされるのだと思います。


日常診療で、黄柏主体の漢方粉末を

合計でほんの0.1gほど処方することが多いのですが、

多くの方が「あれを飲んでから調子が良いので」、

「一寸苦いのが良いのです」とリピートされることが結構多いのです。

ほんの少しの苦味によって皆さん元気になられるようです。


これが本当の「良薬は口に苦し」の意味だと思いますが、

苦味のあるお茶がリピートして飲まれるのも同じ原理なのかも知れません。

お茶は黄柏ほど苦くはないのですが、

軽度であってもその苦味が氣を下げるので、

やはり心地良いのだと思います。

文字通り喫茶は養生になっているのです。


ついでながら、コーヒーにも苦味がありますが、

胃に対する効果や養生効果を比べると、

少なくとも日本人にはお茶の方がよく馴染む飲み物だと思います。

苦味混じりの美味しさと氣が上がない心地良さ、

これが「日本人はなぜ苦味のあるお茶を飲むのか?」

の答えになるのではないかと考えます。