念と念呪と正念工夫相続

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先日、こんなことがありました。


ある薬がご本人に適合するかどうかを体感していただくために、

オイルヒーターを使う「持ち上げテスト」をしていた時でした。
私が持つ適合薬を指さして頂くと、

オイルヒーターが軽やかにスッと持ち上がります。


それで対照として、たまたま診察台の上に置いてあった

持参されたハンカチを指さして頂きました。
ふつう、対照物は適合薬のような強い反応は出ないのですが、

驚いたことにそのハンカチを指さすと

オイルヒーターが適合薬以上に軽々と持ち上がったのです。


私もさすがに驚いて、

「このハンカチはどんなハンカチなんですか?」とお尋ねすると、

何と「それは亡き主人の形見なんです」と仰るのです。


ご主人とはよく喧嘩もされたそうですが、

根が明るくこだわらない人で、

翌朝には何時もニコニコしておられたそうです。

そして、亡くなる時の最後の言葉が、

「あんたのお陰で良い人生だった、ありがとう」だったそうです。


ご夫婦は喧嘩をされつつも、

ご主人は奥さんにとても感謝されていたようで、

その念が何時もお持ちのハンカチに染み込んでいたのだと思われます。

あるいは、奥さんのご主人への感謝の念も

相乗作用的な形で入っているのかもしれません。


これまで何度も汚れては洗濯をされているはずですが、

念は残るどころかむしろ増強している可能性すらあります。
このように念は物に染み込み、物に生命を吹き込むかのようです。

いつも大切にしている持ち物、愛用の車、

住居などには愛念が染み込みます。

それは、他人の持ち物に触れたり車に乗ったり

家に入った時に大なり小なり感じると思います。

逆に、愛念と反対の怨念や

悲哀・執着等の念が染み込むこともあります。昔

から、ダイアほかの宝石や貴金属・鏡・人形・

刀(妖刀村正のような)等で念絡みの話があります。


場所に念が染み込む場合もあります。

一度交通事故が起きた所では、

物理的要因だけでは説明できない

交通事故の繰り返しが見られることがあり、

お祓いをすると起きなくなったと言う話もあります。

事故の場所に染み込んだ当事者の念が次の事故を呼び寄せ、

それがお祓いによって清められて消えるのです。


また、空家や長い間使われずに放置された物等のように、

人の念が脱けた場合は劣化が目立ちます。
これは対人や対動物においても言えることで、

愛情をかけられている場合、粗末に扱われている場合、

無視されている場合では雰囲気が異なります。


呪文療法はこのような「念の法則」を

有効活用するものだと言えるかも知れません。


呪文は言霊であり音霊(おとだま)であり、

それだけでも自他共に明らかな作用を発揮しますが、

呪文にまつわるイメージと言う形霊(かただま)の作用が

加わるとさらに効果が強力になるように思われます。


例えば、お念仏なら南無阿弥陀仏に没頭すると、

南無阿弥陀仏の言霊・音霊・形霊を通して

宇宙本体(神仏)と共鳴して一体化すると共に、

自分自身や自分の想念の範囲の人や物や場所にも

念仏が共鳴し融通して染み込むのではないかと思います。

すると天の采配が現れ、所謂お蔭話のような形で

物事が展開されることにもなると思います。


それは、南無妙法蓮華経のお題目や

十句観音経・光明真言等においても同じです。


2014年4月10日のブログで親鸞聖人の

現世利益和讃十五首には様々な利益が謳われています。

白隠禪師の『延命十句観音経霊験記』に記載のようなことも、

実際に起きたのではないかと思います。
科学信仰に陥っている現代人は

「そんなアホな」と思うかも知れませんが(私も昔はそうでした)、

念の法則に照らせばあり得ることなのです。


言霊・音霊・形霊を発し呪文を唱えることは、

その言霊・音霊・形霊・呪文の世界への直通電話のようなものです。


お念仏は南無阿弥陀仏で即阿弥陀仏への、

お題目は南無妙法蓮華経で即妙法蓮華経への、

光明真言は即一切如来・毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)への

直通電話なのです。


それぞれ名称は違っても、

すべて宇宙本体と直結するのだと思います。

そしてそれが自分自身にも周囲にも時空を超えて

共鳴・融通して染み込んでいくのだと思います。


なお、呪文とセットで白隠禪師の

正念工夫相続も忘れてはなりません。

呪文を唱えつつ、日々の心を

「ピンチはチャンス、苦難は幸福の門、嫌な人が実は観音さん」と

「一に止(とど)まる今の心」である正念が

保持できるように工夫相続すれば、

呪文の効果がより確実なものになると思います。


法然さんも親鸞さんも日蓮さんも白隠さんも、

広く深く仏道を極められた果てに、

多くの大衆を救うために最後は、

誰でも何時でも何処でも簡単にコストフリーで実践できる、

それぞれの時代に即した形で念呪(呪文を唱えること)を

教示されたのだと思います。


これを現在に蘇らさないと勿体ないと、

現在に温故創新したのが当院の呪文療法です。


ついでながら、呪文の呪は現在では

「呪(のろ)う」の呪なのでイメージが良くないとも考えたのですが、

本来は呪は「口+兄(祝)」で神仏に祈ると言う意味があります。

「祈る」は「意を宣(の)る」ことで、

「呪(のろ)う」は「宣(の)ろう」と言うことだと思います。


般若心経の中には「・・是大神呪 是大明呪 是無上呪

是無等等呪 能除一切苦・・呪即説呪曰・・」と呪が何度も出てきます。


空海さんと因縁の深かった淳和天皇第四妃・真名井御前が

今の兵庫県の甲山に開基した寺に神呪寺(かんのうじ)がありますが、

神呪とは呪文・真言・マントラのことです。


要するに、呪とは本来は神聖なありがたい言葉なのです。