こだわりを外すのに次にご紹介する方法は、

皆さんよくご存知の「いろは歌」です。
作者や解釈に関しては諸説ありますが、

ここでは弘法大師作の標準的な解釈

ということで解説したいと思います。

いろはにほへと ちりぬるを 色はにほヘど 散りぬるを
わかよたれそ つねならむ 我が世たれそ 常ならむ
うゐのおくやま けふこえて 有為の奧山 今日越えて
あさきゆめみし えひもせす 浅き夢みし 酔ひもせず

身の回りに起きる様々な事柄(色のついたもの・色[しき])は

すべて夢幻のようなもので実態のない空(くう)なのですよ。
今の自分の境涯もいつまでも続くものではありません。

諸行無常(すべてのものは常でない)で

時々刻々移り変わっていくものなのです。
根深い分別知に基づく自我の奧山を

今日一日今日一日、只今只今に一歩ずつ乗り越えて。
浅き夢幻を見ているのだと悟って

目前の日常の出来事に振りまわされないことですよ。

現在(英語ではpresent)の目前に展開されている自分の人生は、

前持って(pre)自分が送った(sent)もの、

自分の想念が種を蒔いたことによって、

それが自分の分別知にとって善か悪かは別として、

陰陽(火と水:かみ=神)の法則によって

花となって咲いているわけです。

過去からの想念(心=うら=裏)が表に現れた世、

それがつまり現世(げんせ=うつしよ)なのです。


そして、花はいずれ散ってなくなりますが、

種を蒔いて花が咲いてやがて散ってしまう過程で抱く想念が

また新たな種となって次なる花を咲かせるのです。


自分にとって善なる花なら

それはそれでありがたいことだし嬉しいことですが、

たとえ悪なる花でもそれはそれで

次なる良き花を咲かせるための糧になる

本当は善なる花でもあるのです。

すべて観方次第、つまり観自在だと言うことです。


日々の目前の出来事に振り回されがちな日常を、

少し離れた巨視的な観点から眺めながら

「いろは歌」を口ずさむと、こだわりを外すのに役立ち、

「得意淡然 失意泰然」の心境に持っていきやすいと思います。


回る回る時代の中で、巡る巡る時代の中で、

同じことの繰り返しのようにも見える日常も、

出雲大社の縄文のように、

DNAの螺旋構造のように、

少しずつ進歩し成長しているのです。

それは人生を5年前10年前と振り返って観ると、

真面目にベストを尽くして生きている限り

分かるのではないかと思います。

目前の展開は観自在の智恵から観れば、

すべていつもオッケーで良いことなのです。

常楽我浄なのです。


この「いろは歌」の「有為の奧山今日越えて」の処ですが、

分別知に発する有為と言うのは

なかなか越えたと思っても越えきれないものです。

なかなか自然体になりきれない。

だから「奧山」なのです。

でも、根気良く続けていけば、

必ず心ころころで自然体に近づくことはできると言うことです。

この「いろは歌」に関連して、

学生時代からよく口ずさんできた歌があります。

うつりくる ものなべてきゆ
(移りくるものはすべて消え去るものである)
きえさると ひたすらおもえ こころすなおに
(だから消え去ると ひたすら思いなさい 心素直に)

これは五井昌久さんという

宗教家の著書に書かれていた歌です

(最近調べてみたのですが

どの本に書いてあったのかは分かりませんでした)。


五井昌久さんは、元「生長の家」の講師でしたが

後に白光真宏会を開き、

「祈りによる世界平和運動」、

「消えてゆく姿で世界平和の祈り」を提唱しました。


よくあちらこちらに「世界人類が平和でありますように」

という白地に黒字で書かれたポールを見かけますが、

あのポールは五井さんによるものです。


五井さんは、合気道の開祖で

大本教の出口王仁三郎に随伴して

満州に渡ったこともある植芝盛平とは肝胆相照らす仲で、

東洋思想家の安岡正篤や

作曲家の古賀政男等からも敬愛されていました。


確か「生長の家」総裁の谷口雅春さんの誕生日が

11月22日(1893年)の朝方であるのに対し、

五井さんは11月22日(1916年)の夕方で、

谷口さんと五井さんは陰陽の補完的な関係にある

と言った意味のことを

五井さんがどこかで書いておられたように思います。


谷口雅春さんの主著で大著である

「生命の実相」に説かれる内容は素晴らしいのですが、

実相と現実とのギャップから生じる葛藤をクリアーする時に、

上記の歌は大変に役立ちました。

青春時代に著書を通してのお二人との出会いは貴重でした。


因みに谷口雅春さんは元は大本教におられたし

植芝盛平もそうなので、谷口・植芝・五井の三者の大元は

大本教にあると言えるかも知れません。


谷口・五井のお二人との本を介しての出会いをきっかけに、

超大作「霊界物語」を初めとする

出口王仁三郎の多くの著書に出会い、

大本教をその頃の時代背景と共に学べたのも大きな収穫でした。


懐かしさでついつい脱線気味でしたけれど、

心のこだわりを外すのに「いろは歌」や

五井さんの歌はとても役に立つと思います。