こだわりを外す次なる方法は

「懺悔文(さんげもん)」「六根清浄文」の理解と読経です。


いきなり懺悔文に入ると難しくなるので簡単に言いますと、
「知らないが故の心得違いや

知らず識らずに犯したかもしれない

罪や科(とが)があればお赦(ゆる)し下さい」

と唱えて玉し霊(たましひ)の親たる神仏にお願いすることです。

親の愛にすがることです。

そうすると、不思議なもので心が落ち着いてきます。


懺悔文は、


我借所造諸悪業 がしゃくしよぞうしょあくごう
(私が昔より造ってきた所の諸々の悪業は)


皆由無始貪瞋痴 かいゆむしどんしんち
(すべて遠い過去からの貪りと怒りと愚痴に因る)


従身語意之所生 じゅうしんごいししょじょう
(それは行いと言葉と心の持ち方によるものです)


一切我今皆懺悔 いっさいがこんかいさんげ
(私は今その一切を懺悔します)



これは華厳経の普賢行願品(品:ぼん=章)から採った

偈品(げぼん)の文章ですが、

懺悔のための代表的な文言です。


私達この世で生きる人間は、

真面目に精一杯生きようとしても、

知らず識らずのうちに他人に迷惑をかけたり

傷つけたりするものです。

出来ればそれを日々あるいは折に触れて

懺悔文によって振り返って心の掃除をするのです。



あとは、六根清浄文(ろっこんしょうじょうもん)です。

六根とは眼根(視覚)耳根(聴覚)鼻根(嗅覚)

舌根(味覚、言語)身根(触覚)意根(意識)の六つです。

根(こん)は根幹であり、

深層心理につながる根(ね)の深いものであることを表しています。


これを身口意(しんくい)

[懺悔文では身語意(しんごい)になっていますが]

の三業(三つの習慣)に当てはめると以下のようになります。


眼耳鼻舌(味覚)身の五根は身業(しんごう) : 行い
舌(言語)根は 口業(くごう) : 言葉使い
意(心・念)根は 意業(いごう) : 念


この六根を懺悔することによって

身口意あるいは身語意につながる深層意識を

清浄(しょうじょう)にするのです。

清浄と言うのは、引っ掛かりを無くして

カラ(空)ッとすることです。


「懺悔懺悔六根清浄(さんげさんげろっこんしょうじょう)を

一根について三回ずつ計十八回唱えます。

すると、言霊・音霊の働きもあって

心身共なる清浄感を味わえて

スッキリしてきます。


この時のポイントですが、

懺悔して六根清浄を唱えたら

後は文字通り「清浄になった」、

「スッキリした」と思うことです。


内向的あるいは良心的すぎる人は、

往々にして懺悔にとらわれて

清浄になりきれないことがあるので、

唱えたら言霊の力で「清浄になった!」

と思うことです。

あるいは、「親たる神仏によって清浄にしてもらった」

と思うことです。


富士山信仰の講である「富士講」のお行(ぎょう)で、

「六根清浄」あるいは「懺悔懺悔六根清浄」を

繰り返し唱えながら山頂の浅間大社奥宮に登って行くのは、

清浄になって奥宮に参拝し富士の神様と

感応道交(かんのうどうきょう)するためだと思われます。


因みに、「どっこいしよ」の掛け声は

六根清浄から来ていると言われています。

言葉・発音は残っているのですが、

真意はほとんど忘れられていると言うことです。


一寸難しいかも知れませんが、

一応の理解をしておくと、

日本人のDNAには染み込んでいるはずなので

懺悔の効果は確実です。


ただ、やはり難しい面倒だと思われる方は、

「ホ・オポノポノ」が簡単で現代的でもあり良いでしょう。


「ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛しています」です。

現代版「懺悔文」、「六根清浄文」と言えるかも知れません。

言霊・音霊と言うことを意識するとより効果的だと思います。