「太初(はじめ)に言(ことば)あり、

言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき」は、

新約聖書ヨハネによる福音書第一章第一節に

記載されている言葉であり、

「念ずれば花開く」は、坂村真民さんの言葉ですが、

今回はこれらの言葉に関係することを述べたいと思います。


 まず、新約聖書の言葉です。

六月の円通塾でもお話したのですが、

言は言の葉(ことのは)に発する前の想い

あるいは念(今の心)であると考えられます。

 そもそも、この世のすべてのものには

作者がいるはずですが、

それは誰(何)なのかと言うと念です。

この世のあらゆるものは、

「こういうものがあれば良いな」という念が

具象化したものであることに気づきます。


家も車も電車も船も飛行機も携帯も

スマホも料理もスポーツもその他何もかも、

周囲を眺めてよく考えてみると、

人の手がかかって創(造)られたものは

すべては人の念に発するのです。


 人を含めて天然自然のものはと言うと、

それは創造主たる神(の念)が作者です。

それ故に、キリスト教では神のことを

創造主と言うのだと思います。


 旧約聖書の創世記に、

「神に似せて人間を創った」と記載されていますが、

神に似せてと言う中で創造力が

一つの大きな要素ではないかと思います。

と言うことで一般論はこれくらいにして、

今回は念の具象化のわかりやすい実例を

二例お示ししたいと思います。


一つは、ある患者さんから

診察時のお話の中で見せていただいた写真ですが、

ご了解をいただいたのでご覧いただきます[写真1,2]。


何かと手厚いお世話をされた後に

お父様を見送られたのですが、

そのお父様はご自分の哲学でもあったようですが、

生前より大変に「球形」を愛されたそうです。

そして、お墓は球形のものにして欲しい旨、

ご家族に伝えておかれたそうです。


やがて、あの世に旅立たれてお墓が完成したのですか、

そのお墓に水を掛けられたところ、

何とお父様が大好きだったスイカの形が現れたのです。


水の掛け方によってはあり得ることかも知れませんが、

それにしても見事にスイカが現れたことに、

皆さんが驚かれたそうです。

そして、この現形(げぎょう)はお父様の喜びの念が

現れたものだと受けとめられたそうです。


「ふつう、このような類の霊的なお話は

誰にも相手にされないと思うから言えないけれども、

先生なら分かってもらえると思って」、

「父の円球の発想と先生の円球の毉療の発想とが似ているから

分かってもらえると思った」と仰って写真を見せてくださったのです。


小生は、念が時空を超えて伝わること

(感応道交:かんのうどうきょう)は

若い頃から教えてもらったり体験していたし、

セミナーで皆さんに体験していただくこともあるので、

なるほどこう言うこともあるのだなと、

親子愛に感動しつつ興味深く受け止めさせていただきました。


もう一つの例は、六角田中医院に関わることです。

当院は16年前に開業したのですが、

当初は交通の便を考えて京都駅近辺を探したのですが、

どうしても適当なところが見つからない。


そこにある方から六角堂近くのある物件を

ご紹介いただいたのですが、

それがやはりもう一つピンと来ない。

仕方なく帰途についたところ六角堂の前を通ったので、

参拝しておみくじを引いたところ、

一緒に行った薬剤師さん共々に85番大吉で、「

今はまだ分からないだろうが

徐々に物事が整っていく」といった内容でした。


「へーっ、そうなのか」と思いつつ、

せっかく京都の臍と言われる京都のど真ん中に来たのだから、

ちょっと辺りをぶらつこうかと

イノダコーヒーさんの方に向かって歩きました。

その道中に何となく目を引くお洒落な小物屋さんがあり、

薬剤師さんがそこに入りたいと言うので立ち寄ることにしました。


でも、小生はあまり興味がないのですぐに店を出ると、

正面の瀟洒なビルに「テナント募集」の

小さな張り紙(ボード)が目に付きました。

「へぇー、こんな所に!」と思って一人で入ってみると、

「あ、これは良いな」と思える物件だったのです。


聞けば、オーナーさんが小生の身内と同業者で知り合いでもあり、

オーナーさんの奥様がいつも綺麗に掃除や飾りつけをされていたりで、

関係者一同の同意のもと、開業の場所に決めることにしました。

それが写真3です。


あとで改めて気づいたのですが、

何とこのビルが「田の字」になっているのです。

しかも、この辺りは図1のように京都の所謂「田の字地区」にあるのです。

京都の田の字地区の中の田の字ビルに田中さんが入ったわけです。


また、この辺りは、祇園祭で山鉾が巡行するコースに囲まれた地域で

八坂神社とは縁の深いところですが、

その八坂神社の主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。


素戔嗚尊は、もともとは天津神だったのが

国津神になった神で、

息子(または六世の孫)の大国主命ともどもに、

国あるいは地・田を治めます。

つまり、素戔嗚尊や大国主命は本来、

田と結びついているのです。

素戔嗚尊の妻である櫛稲田姫や

天孫降臨の際の道案内をされた猿田彦神も、

名前からして田に関係の深い国津神と言えます。


因みに、京都には三つの田中神社がありますが、

その主祭神が、一つは素戔嗚尊、一つは大国主命であり、

もう一つは田中大神と言うのですが

実は大己貴命つまり大国主命であるとされています。


さらに、小生の氏神は城南離宮の城南宮の国常立命であり

ハ千矛神(大国主命の別名)ですし、

離宮には田中殿金剛心院があり、田中姓の多いところです。


ついでに私見ですが、

最初におみくじを引いた六角堂の六角は

国津神の象徴であると考えています。

円球に発する太陽光が地上のレンズを通すと

六角形になるのが自然なように、

円球の水が氷結すると六角形になるように、

円球の神は地上に降臨すると六角形になるのだと思います。

出雲地方の神社の神紋が

基本的にはすべてが六角形である所以だと思います。


要するに、何だか知らない間に

来るべき所に来て仕事をさせていただいているのだと、

医院の神棚の八坂神社と城南宮のお札、

元伊勢・元出雲(他にもありますが)のお札には

毎日お礼を申し上げている次第です。

もちろん六角堂さんにもよくお参りさせていただいています。


以上、念の具象化の例ですが、他にもたくさんあります。

念の具象化と言っても、

何かを願って「えい、やぁーっ!!」と言うのではなく、

自分の志のようなものを十句観音経の

「念念従心起 念念不離心」のように念じていると、

あとは天の計らいがさまざまな形で現れてくると言うことだと思います。




写真1




写真2



写真3



図1 田の字地区

龍谷大学政策学部阿部ゼミナール

          ABE SEMI BLOG より転載