【M】My Only(心の中のただひとり)



インディアナの夜は静かだった。

診療所の明かりはすでに落ち、村を包む空気には、初秋の冷えが混じり始めている。

自室の窓辺に座ったキャンディは、膝の上へそっと一冊の雑誌を広げていた。

ニューヨークから数日遅れで届く雑誌。

表紙には、大きくテリュース・グレアムの名前が載っている。

『ハムレット、大成功』

『ロンドン公演を終えた若きスター』

そんな見出しを、キャンディは静かに指先でなぞった。


窓の外では虫の声がしている。

暖炉にはまだ火を入れるほどではないけれど、夜気は少し肌寒かった。

雑誌をめくると舞台の写真。黒い衣装を纏う憂いを帯びた横顔。客席を圧倒するような眼差し。

どの写真にも、自分の知らない時間を生きるテリィがいた。遠い人だと思う。

彼はブロードウェイのスターで新聞に載る人で、大勢の拍手を浴びる人。


ページをめくる指は、どうしても止まらない。

記事の最後には、短いインタビューが載っていた。

“舞台とは?”

という問いに対して、テリィはこう答えていた。

『失ったものを忘れるために立つこともある』

キャンディは、その一文を見つめたまま動けなくなった。

胸の奥が、静かに痛む。

あのひとは、どんな顔でこの言葉を口にしたのだろう。

いつものように口の端を少し上げて笑ったのか。

それとも……

キャンディは、そっと雑誌を閉じた。

窓ガラスへ自分の顔がぼんやり映る。

二十二歳になった自分。

看護婦として働き、子どもたちの世話をして、忙しく毎日を生きている。


「……だめね」

小さく呟く。忘れようとしたことは何度もある。

診療所で忙しく働いているときは、少しだけ忘れられる気がした。

子どもたちと笑っているときも。

けれど夜になると、静かな時間が戻ってくる。

すると心の奥に沈めていたものが、ゆっくり浮かび上がってくるのだ。

――元気でいるかしら。

――ちゃんと眠れているのかしら。

――無理をしていないだろうか。

そんなことばかり考えている。

自分でも可笑しかった。

会えないのに。もう会わないと決めたのに。

それでも、心だけは勝手にあのひとのほうへ向かってしまう。

キャンディは窓を少し開けた。

冷たい夜風が、金色の髪を揺らす。

遠いニューヨークを思う。

舞台の上で拍手を浴びる人。

きっともう、自分の知らない世界を歩いている。


なのに胸の奥では、今でもはっきりわかる。

「たとえ離れていても……」

言葉が、静かな夜へ溶ける。

キャンディは目を伏せ、小さく笑った。

「心の中では、ずっとあのひとを……」

最後までは言えなかった。

言葉にしてしまえば、本当に認めてしまう気がしたから。ずっと忘れられないのだと。

どんなに遠く離れても、どんなに時間が過ぎても、

あのひとだけは特別なのだと。

窓の外では、夜風が草を揺らしている。

キャンディは雑誌を胸へ抱き寄せた。

その表情は少し切なく、けれど優しかった。

まるで、遠い誰かの幸せを静かに願っているみたいに。