今の『若いもん』は・・。聞く側なのか語る側なのかはともかく、この文言は誰にも身に覚えがあるのではなかろうか。しかもこれは古今東西に共通する言い回しらしい。遡ること数千年、古代エジプトの象形文字にまで登場するというから笑ってしまう。では何故、延々と繰り返されるのだろうか。こうした疑問にあって、サッカー界のレジェンドのでもある“カズ”こと三浦知良(58)が、こんな記事を書いていた。

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《以下、原文のまま》

 「今の選手は僕らの若い頃と違って覇気がない」「何を考えているのか理解出来ないよ」。サッカークラブで30代たちのボヤキを耳にするたび、ほほ笑ましいおかしさを覚えるんだ。「いやいや、お前たちもそうだったよ」と。かれこれ三世代ほどにまたがって現場を見てきた僕に言わせれば。

 40歳ほど年の離れた人たちとも接して思うんだ、「今の若いやつは昔と違う」というけど、「若いやつら」は昔も今もさほど変わっておらず、変わっように見えるのは「あなた」が変わったからです、と。

 ハロウィーンで飲んで暴れて事件を起こすのは若い人たち。でもそれって今に始まったことじゃない。若者は自分でも持て余すほどのエネルギーで、過ちを犯し、後悔もする。これはもう、若者の特権でね。監督やコーチ、上司へとやかく不満も口にする。生意気盛り。僕もそうだった・・・。

〈日経紙コラムから〉

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 正にその通りだと思う。いやそれ以上かも知れない。この半世紀で比較して頂きたい。「この国の高度経済成長は我々が築いた」といって憚らない団塊世代であれ、その多くは親の資金で進学(就学)している。苦学生もいなかったわけではないが、それも少数派であった。アルバイトもあくまで遊興費の捻出である。それがどうだ。今や大学生の過半数が奨学金に頼らればならない現実。JASSO「令和4年度学生生活調査」によると、全国の大学生のうち、奨学金受給者の割合は、2004年度は41.1%であったが、2022年度は55.0%(図2参照)に上昇しているとか。それも就学費用であり生活費は自らが稼がねばならない。これが何を意味するだろうか。

 《 図1/増加の一途にある奨学金受給者》
〈画像はネットから借用〉

❋(2014年以降、下がっているが、これは少子化に伴う学生数の減少によるものであり、受給者(率)の右肩上がりに変わりはない)

 そう人生がかかっているのだ。だから真剣味がまるで違う。世間は「人手が足りないから当然の成り行き」と捉えがちだが、そんなことはない。とにかく良く働く。文字通り『働いて、働いて、働いて』である。それも責任ある立場で。飲食業なら、仕入、接客、店舗管理と運営全般に及ぶ。新人パートの教育だって珍しくない。近隣のカフェ(全国チェーン)では今日もまた大学生と高校生のグループが見事なまでの連携プレーで取り仕切っている。でもそれがアルバイトであることなど一般客には知る由もない。

 《図2/奨学金の受給状況》
(画像はネットから借用)

 ある時、こんなことがあった。近くの席にいた初老の夫婦がカップを倒してしまった。床だけではない。衣類にまでかかっている。その状況に気付いたのだろう。店員がやってくる。すると「お怪我はございませんか」だけでなく咄嗟に見事な手捌きで衣類の汚れを拭い始めたではないか。理に適っているから驚くばかり。恐縮至極の客からは「この店の社員教育は素晴らしい」といった褒め言葉が。するとその店員曰く、「有り難うごさいます。私、今日から入ったアルバイトなんです。これからも宜しくお願いします」である。後日分かったことだが、その店員は当時、大学1年生。あれから3年。就職先が決まっているにも拘らず、まだ「少しでも奨学金を返しておきたいから」と屈託のない笑顔で頑張っている。

 ここまで出来るのは僅かであろう。だが増えていることは確かだ。海外旅行には行けない。ブランドにも縁が無い。今の若いもんは車すら買えないんだから情けない、と嘆く前に、誰がこんな世の中にしてしまったのか。そして過去の自分と比較して欲しい。それでも「今の若いもんは」なんて言えるだろうか。カズのコラム通り、「若いやつら」は昔も今もさほど変わっておらず、変わっように見えるのは「あなた」が変わっただけなのだから。

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《余談》

《矛盾だらけの自慢話》

  最近、事あるごとに聞かされることがある。上記の如く「この国の高度経済成長は我々が築いた」といった自慢話のことだ。そして「今の若いもんは・・」と続く。でもどうか。これは、団塊世代を筆頭にした昭和20年から30年前半生まれの会話だが、どうも腑に落ちない。高度成長は昭和30年から40年代のことである。この時期、多くはすねかじりの学生であり、まだ最前線にはいない。いても20代半ばでしかない。なのにどうして「この国は・・」なんて偉そうなことが言えようか。年功序列全盛の時代にあって、せいぜい“雑用係”でしかなかったであろうに。

 こうした世代が中枢に上り詰めたのは早くとも昭和から平成(1980年後半から90年代)にかけてである。そう“バブル崩壊”以後であり“失われた30年”の真っ只中なのだ。戦後の高度成長は、明治・大正・昭和(戦前生まれ)の世代が血の滲むような努力をし、そして築き上げたものであることに疑う余地はない。ならば、「我々が築いた」のではなく、「我々が壊した」方が正解になってしまう。これでは墓穴を掘る以外の何物でもない。やはり『自慢話もほどほどに』といったところか。あくまで自戒の念を込めての話ではあるが・・。