【パリ五輪閉幕】

(画像ネット日経から借用)


 パリ五輪も閉会式を終え、メダルラッシュに沸いた、ニッポン選手団。東京大会に向けた強化策の恩恵から、史上最強の布陣と目されただけに、その結果には満足と失望が交錯しているのではなかろうか。サッカーやバレーといった集団球技の不参加(オリンピック予選で全て敗退)で、史上最弱と揶揄されていた韓国の躍進もあり、その評価は難しいところではあるが。

 こうした中、残念なことも。状況いかんに関わらず、メダリストへのインタビューでは、どこもかしこも「○メダルおめでとうございます」一色になっていることだ。確かに、どの色であれ、メダルに差異はない。努力の結晶であり称えられて当然であろう。だがそれだけではない。スーパースターとして金メダルの期待を一身に背負って者もいることを忘れてはならない。

 かつての日本柔道は負けることさえ許されなかった。勝って当たり前の世界だった。そこに立ちはだかったのがオランダのヘーシンクである。とても歯が立たない。巨大な壁が立ちはだかっていた。当然のこと結果は『惨敗』に終える。表彰式が始まる。銀メダルとはいえ、その打ち拉がれた姿には、インタビューどころではない。TV局もその光景だけを無言で映していた。

 確かに、銅メダルで歓喜の松山英樹(ゴルフ)や早田ひな(卓球)なら、この「おめでとう」が相応しいかも知れない。だが、フランスのマリッシュ(水泳)やリネール(柔道)だったら、どうだろう。前評判通りに他を圧倒して優勝したからいいものの、もし負けていたなら、それでも「○メダルおめでとう」なんて言えるのだろうか。本人からすれば屈辱でしかないのに。

 こうした光景はオリンピックの舞台だけではない。高校野球の地方大会にも及んでいる。甲子園を逃して泣きじゃくる子どもたちを前に「準優勝おめでとう」があったと聞く。「良く頑張ったね」ならまだしも、これでは傷口に塩を塗るようなものだ。

 スポーツ界はいつからこうした思考になったのだろうか。東京が夏季五輪に立候補した頃からではなかろうか。誘致の成功には世論の盛り上がりが欠かせない。その為にも強いニッポンを証明せねばならない。しかし肝心の金メダルは減るばかり。アテネ(2004年)16個、北京(2008年)9個、そしてロンドン(2012年)7個と大会毎に下がり続けた。

〈直近5大会に於ける金メダル数の推移〉
(画像はネット時事通信から借用)

 ロンドン大会の金7個は1964年の東京大会以降でワースト5に入る。2020年には東京が立候補しているのに、これではまずい。やっと盛り上がってきた招致活動にも水を差しかねない。なにか妙案はないだろうか。そこで考えたのが『メダル総数』である。順位に差を付けない『おめでとう大作戦』で国民の関心を引こうというのだ。結果は大成功。こうして目眩ましのメダル総数に切り替え、金銀銅計『38個』を前面に銀座で大規模な戦勝パレードを敢行し、住民の80%近い支持を得た東京都が誘致に成功したのは言うまでもない。

 オリンピックは『参加することに意義がある』も遠い昔。一部、国別枠はあるものの、今や参加すること自体『至難の業』でもある。ならば出場するだけでも快挙には違いない。文字通り『おめでとうございます』であろう。但し、期待値によっては、そうでない場合も多い。心情を察しない祝言がその相手を傷付けてしまうことさえあるのだ。国政選挙で落選した者に「次点おめでとうございます」なら話は別だが。

〈やり投げで優勝に歓喜の北口榛花〉
(画像はネットNHKから借用)

 ともあれ、パリ五輪も無事に終了。歴史的快挙を成し遂げた日の丸選手団には敬意を表したい。ことに北口榛花のやり投げは見事だった。投擲は人類の原点であることから最古のスポーツとされ、それだけレベルも高い。日本人が勝つなんて誰が考えただろうか。それが、ダイヤモンドリーグファイナル、世界選手権、パリ五輪と連覇である。世界のトップアスリートの最終選考にまで残っているのだ。日本のスポーツ史上最強のアスリートと言っても過言ではあるまい。個人的見解ながら、国民栄誉賞を検討するなら、大谷翔平との同時授与が妥当かと思う。但し、イチローや福本のように、「そんなのいらない」と断わられるかも知れないが。

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《余談》 

 【南海トラフ型地震はあるか】

 8日午後、日向灘を震源とする宮崎県南部で最大震度6弱(M7.1)の地震が発生。気象庁は同日、南海トラフ地震が発生する可能性が平常時より高まっているとして、南海トラフ地震臨時情報『巨大地震注意』を発令して注意を呼び掛けている。

〈南海トラフ型巨大地震と発生領域〉
(画像はヤフーニュースから借用)

 でも、これって、どこまで信用するに足る情報なのだろうか。初の臨時情報と聞けば恐怖感は増すばかりだが運用開始は2019年からなのだ。即ち「この5年では初めて」ということでもある。ならば、これ以前はどうだったのだろう。2000年以後だけでも、こうした『南海トラフ臨時情報に該当する地震』下記の如くに何回も発生しているが。

 ★2004年9月5日には『紀伊半島沖でM7.1の地震』が発生。文字通り場所規模共に南海トラフ内での地震であり東南海地震の想定震源域に位置する。 

 ★2009年8月9日には『東海道南方沖でM7.1の地震』が発生。翌々日の8月11日にも『駿河湾でM6.3の地震』があったことから気象庁はここでも史上初の『東海地震観測情報』を発表している。

 このように『初めてではない』ことが分かる。それも頻繁に発生している様子が見て取れる。だからといって心配無用というのではない。確率的に高まっているのは事実であろう。ここは慌てず騒がず『防災意識を再構築する上でも格好の機会』といったところか・・続く。