この時期に不適切な内容でありますことお詫び致します。
今、日本は少子化で多くの自治体が消滅の危機に直面しています。にもかかわらず首都・東京だけに人・物・金が集中する様は、自滅行為でしかありません。あの忌まわしい関東大震災は東京とその周辺を焼きつくしました。
当時、日本の(人)口の15%、物・金(経済)の18%とされていた首都圏は、今や4千万人超が居住し、経済基盤の半数が東京に依存しています。さらに膨張し続けるこの大都市を大地震が襲ったら、どうなってしまうのでしょうか。
数年前、地震学の権威・石橋克彦氏は、「東京は数度の大地震によって無人の荒野に帰す」と警鐘をならしていましたが、あながち危機意識の醸成たけではありません。一極集中は疲弊する日本をより早く消滅させる危機をはらんでいるのです。
よって、以降は過激な文面となりますことお許し下さい。
★南関東が危ない。
「でも、なんたって東京だんべ!」
★河川敷、海岸沿いの埋め立て地はさらに危ない。
「そんでも東京がいいべな!」
★超高層ビルは危険がいっぱい。
「でもやっぱし大都会の夜景が一望できる高いとこさ住んでみてーべな」‥これって、ん??
関東大震災は古代史。阪神淡路は今昔物語。あの忌まわしい東日本大震災さえ記憶の片隅でしかなくなったあのころ。過去の教訓はどこへやら、今日もまた人々は大都会・東京を目指していた。
ある冬のこと。冬とはいえ、その暖かさは季節外れで、街行く装束は初夏そのものだった。
金曜日の夕刻、赤く異様な夕焼けを背景にして野鳥の大群が天空を乱舞し、犬は悲しげに遠吠えを繰り返していた。そして間もなく帰宅を急ぐ者、週末を楽しむ者で交通機関の混雑がピークに達するころ、あの悪夢は起こった。
一瞬が永遠に思えた鳴動の後、辺りを見渡すと、そこは阿鼻叫喚の世界だった。しかも、橋脚の損壊が、周囲を大河で囲まれた都心ほど陸の孤島へと豹変させ、置かれた状況たるや沖ノ鳥島とちっとも変わらない。自衛隊による臨時の仮設橋も、そこまでの道路がことごとく寸断されていては、とても辿り着けない 。
百万人の三日分とされた食料備蓄も被災者数千万人には焼け石に水で、しかも軟弱な地盤の上に建てられたビルの地下に備蓄したのが大誤算。下層部の崩落によって全く取り出せない。
各国からの支援物資も、あまりに多い被災者でとても追い付かない。なにせ重度被災者数十万人とされた阪神淡路や東日本大震災でさえ行き渡るには悠に一週間以上を要したのだから。
苦難に喘ぐ中、荒川や多摩川といった河川を小舟で、あるいは泳ぐことで脱出できた者は僅かで、合わせて約一千三百万人は取り残されたままだ。高層住宅の住人は自宅を目の前にして、崩落の危険と乗降の足を失なったことで、戻ることさえ出来ない。
状況は日増しに凄惨を極めた。冬とはいえ草木には葉がなく、ネズミさえ見ない。小骨の一つでも落ちていれば、それを巡って取り合いの大喧嘩が始まる。そう、ここでは全てが生き抜くための食材なのだ。
文明が瓦解した今、艀(はしけ)や大八車を遺物化した代償は大きく、唯一の輸送手段はヘリだけだ。しかし、これにも問題がある。それは、乗って脱出を図る者と物資を奪う者が殺到して収拾がつかなくなることだ。世界から称賛されたあのモラルは一体どこにいってしまったのだろう。やはり、日本人とて人の子なのか。生死の間では誰もが冷静ではいられない。対人関係の希薄な大都会ならなおのことだ。つい先般も大混乱を生じ、あたかもバトル・ロワイヤルを見ているかのようだった。
どこからともなく、微かに「助けて!」の声がした。しかし誰一人として聞き耳をたてない。周囲と隔絶した大都会では、いつだって自分以外のことには無関心なのだ。
田舎とは田畑を介して人々が集う共同体
を意味する。この社会は互助なくしては成り立たない。人は田舎を捨て都会へ出た。都会は夢の宝庫と誤認した多くは、過当競争の間で、地位・名誉・金に支配され、自らもそれを欲した。こうして他人との関わりより欲望という名の魔物を崇拝したことで退路を自らの手で絶ったのだ。
★何から何まで一極集中の東京は更に危ない。「だども東京が絶対にいいだ!」
★中でも地盤の弱い臨海部や河川に沿った地域はさらに危ない。「だども東京なら絶対に住むだ!」
★直下型のみならず、長周期地震でも超高層ビルには危険がいっぱい。「だども東京のでっかい建物なら安心だから絶対に入るだ!」
「ん、地震? 大丈夫だ~! 電車止まっても地下鉄あるし、デパートやスーパー行げなくてもコンビニあるし、ケガすりゃ電話一本で救急車がすっ飛んで来てくれるし、なんつったって東京が一番だべさ!」
瓦礫の山は貴方が築こうとした人生なのですか。灼熱地獄が貴方の追って来た夢なのですか。気付かなくても結構。東京を目指す限り、貴方にとって、必ず知る運命にあるのですから。
今、日本は少子化で多くの自治体が消滅の危機に直面しています。にもかかわらず首都・東京だけに人・物・金が集中する様は、自滅行為でしかありません。あの忌まわしい関東大震災は東京とその周辺を焼きつくしました。
当時、日本の(人)口の15%、物・金(経済)の18%とされていた首都圏は、今や4千万人超が居住し、経済基盤の半数が東京に依存しています。さらに膨張し続けるこの大都市を大地震が襲ったら、どうなってしまうのでしょうか。
数年前、地震学の権威・石橋克彦氏は、「東京は数度の大地震によって無人の荒野に帰す」と警鐘をならしていましたが、あながち危機意識の醸成たけではありません。一極集中は疲弊する日本をより早く消滅させる危機をはらんでいるのです。
よって、以降は過激な文面となりますことお許し下さい。
★南関東が危ない。
「でも、なんたって東京だんべ!」
★河川敷、海岸沿いの埋め立て地はさらに危ない。
「そんでも東京がいいべな!」
★超高層ビルは危険がいっぱい。
「でもやっぱし大都会の夜景が一望できる高いとこさ住んでみてーべな」‥これって、ん??
関東大震災は古代史。阪神淡路は今昔物語。あの忌まわしい東日本大震災さえ記憶の片隅でしかなくなったあのころ。過去の教訓はどこへやら、今日もまた人々は大都会・東京を目指していた。
ある冬のこと。冬とはいえ、その暖かさは季節外れで、街行く装束は初夏そのものだった。
金曜日の夕刻、赤く異様な夕焼けを背景にして野鳥の大群が天空を乱舞し、犬は悲しげに遠吠えを繰り返していた。そして間もなく帰宅を急ぐ者、週末を楽しむ者で交通機関の混雑がピークに達するころ、あの悪夢は起こった。
一瞬が永遠に思えた鳴動の後、辺りを見渡すと、そこは阿鼻叫喚の世界だった。しかも、橋脚の損壊が、周囲を大河で囲まれた都心ほど陸の孤島へと豹変させ、置かれた状況たるや沖ノ鳥島とちっとも変わらない。自衛隊による臨時の仮設橋も、そこまでの道路がことごとく寸断されていては、とても辿り着けない 。
百万人の三日分とされた食料備蓄も被災者数千万人には焼け石に水で、しかも軟弱な地盤の上に建てられたビルの地下に備蓄したのが大誤算。下層部の崩落によって全く取り出せない。
各国からの支援物資も、あまりに多い被災者でとても追い付かない。なにせ重度被災者数十万人とされた阪神淡路や東日本大震災でさえ行き渡るには悠に一週間以上を要したのだから。
苦難に喘ぐ中、荒川や多摩川といった河川を小舟で、あるいは泳ぐことで脱出できた者は僅かで、合わせて約一千三百万人は取り残されたままだ。高層住宅の住人は自宅を目の前にして、崩落の危険と乗降の足を失なったことで、戻ることさえ出来ない。
状況は日増しに凄惨を極めた。冬とはいえ草木には葉がなく、ネズミさえ見ない。小骨の一つでも落ちていれば、それを巡って取り合いの大喧嘩が始まる。そう、ここでは全てが生き抜くための食材なのだ。
文明が瓦解した今、艀(はしけ)や大八車を遺物化した代償は大きく、唯一の輸送手段はヘリだけだ。しかし、これにも問題がある。それは、乗って脱出を図る者と物資を奪う者が殺到して収拾がつかなくなることだ。世界から称賛されたあのモラルは一体どこにいってしまったのだろう。やはり、日本人とて人の子なのか。生死の間では誰もが冷静ではいられない。対人関係の希薄な大都会ならなおのことだ。つい先般も大混乱を生じ、あたかもバトル・ロワイヤルを見ているかのようだった。
どこからともなく、微かに「助けて!」の声がした。しかし誰一人として聞き耳をたてない。周囲と隔絶した大都会では、いつだって自分以外のことには無関心なのだ。
田舎とは田畑を介して人々が集う共同体
を意味する。この社会は互助なくしては成り立たない。人は田舎を捨て都会へ出た。都会は夢の宝庫と誤認した多くは、過当競争の間で、地位・名誉・金に支配され、自らもそれを欲した。こうして他人との関わりより欲望という名の魔物を崇拝したことで退路を自らの手で絶ったのだ。
★何から何まで一極集中の東京は更に危ない。「だども東京が絶対にいいだ!」
★中でも地盤の弱い臨海部や河川に沿った地域はさらに危ない。「だども東京なら絶対に住むだ!」
★直下型のみならず、長周期地震でも超高層ビルには危険がいっぱい。「だども東京のでっかい建物なら安心だから絶対に入るだ!」
「ん、地震? 大丈夫だ~! 電車止まっても地下鉄あるし、デパートやスーパー行げなくてもコンビニあるし、ケガすりゃ電話一本で救急車がすっ飛んで来てくれるし、なんつったって東京が一番だべさ!」
瓦礫の山は貴方が築こうとした人生なのですか。灼熱地獄が貴方の追って来た夢なのですか。気付かなくても結構。東京を目指す限り、貴方にとって、必ず知る運命にあるのですから。