ときかあり かひのまたらか
たいにちに いたからたまの ひかりあかきと
(解きが在り 加被の曼荼羅が 大日に 甚唐玉の 光明かきと)
解説
解くは「腹立ち、不機嫌、恨み、悲しみ、疑いなど、心のわだかまりを消してさっぱりさせる。」「疑問や問題に対する答えを出す。解答する。」、加被(かび)は「仏語。神仏などが、慈悲の力を加えて、衆生を助け守ること。加護。擁護。加祐。」、曼荼羅(まだら)は「(梵語maṇḍala 輪円具足・道場・壇・本質などと訳す)諸尊の悟りの世界を象徴するものとして、一定の方式に基づいて、諸仏・菩薩および神々を網羅して描いた図。四種曼荼羅・両界曼荼羅など多くの種類がある。もともと密教のものであるが、浄土曼荼羅や垂迹(すいじゃく)曼荼羅、日蓮宗の十界(じっかい)曼荼羅のように、他にも転用される。まんだら。おまんだら。」、大日(だいにち)は「‘大日如来’の略。」、甚(いた)は「程度のはなはだしいさま。非常に。たいへん。」、唐玉(からたま)は「唐や朝鮮などから渡来した珠玉。また、美しい玉。」、明かし(あかし)は「明るい。」「清らかだ。偽りがない。」の意味です。
余談
この歌は「魔法少女まどか☆マギカ MUSIC COLLECTION」にある「prelude to Act 1」~「prelude to Act 2」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。
雑感
曲に浸り切りながら、あまり頭を使わず感覚寄りの姿勢で書いた歌です。はっきり言うと、完全に個人的な満足のための趣味の歌で、意味は不明かと思います。
何というか説明するのが難しいが、普段は何かしら歌の体裁とか、言葉の意味とか、〇〇のテーマとか、大小問わずそういうものを無意識の内にでも考えたり、調整していたりしていると思うが、そういうものを極限まで排除して、もうまるっきり感覚だけで書いたものです。
あと「唐玉」は本当は「空玉(からたま)」にしたかったけれど、辞書を調べたらそんな言葉はなかったので、やむなく「唐玉」にしました。霊界物語だと「からたま」は身体のこと指す言葉だった気がするが、まあそういうニュアンスで取っても良いかと思う。
つまり何というか……うまく言えないが、普段身体の中にあるんじゃないかと感じている自我とか意識とか煩悩とか、そういうものが全部解き放たれて、この身体感覚、またはこの空間に認識そのものが移る、といった感じ。
何というか……自分が居て目の前の空間を認識しているのではなくて、この空間そのものがそのままにして認識されている、といった感じ。だから‘自分’が空間を認識しているのではなくて、この‘空間’そのものが空間を自認、認識しているような感じ。
だからたとえば、普段の感覚だと自分が呼吸していると感じているが、自分を中心にせずに空間を中心にすると、呼吸するということは、鼻から空気が出たり入ったりしているだけに過ぎず、その現象自体を瞬間瞬間認識する、ということ。
さらに深くイメージしていくと、そこら中に流れている無限の光の粒子の中に、この意識そのものが溶けていって、何かエクスタシーにも似た感覚を伴いながら究極の安穏の境地に入る、といった感じ。
昔、とある神社にいって鳥居をくぐったら、その瞬間から、身体が何かこうフワンとした感覚になって、全身がジーーンと細かく振動している感じのまま、何かエクスタシーにも似た感覚を感じたことがあったが、あの感覚に近いイメージ。
といっても、何かエロ的な意味ではなく、完全に純粋無垢な清らかな愛の波動というか何というか、うまく言葉にできないが、そういう感じだった。試しに、しめ縄張ってある神社の木に触ったら、そこの木からさらに強い、明らかに気のせいではないレベルの、ジーーンとした振動を感じて、手のひらから伝わって、全身がものすごく気持ちよくなったことがあったが、一体あれは何だったのか今でもよくわからん……。
でも、そんな変な経験は後にも先にもあの一回こっきりだったけれど。