ニート・鈴木から考えた、「労働=マスターベーション」理論 | てつがくの日記
June 13, 2008

ニート・鈴木から考えた、「労働=マスターベーション」理論

テーマ:てつがく
私は大学院生なのですが、いま授業実習をしています。
その授業は留学生の日本語クラス。文型を教えるのではなく、日本語で考え、日本語で表現しよう!という趣旨の授業。私のチームティーチングのメンバーは「自立」をテーマにした。それで、最初にニートについて考えてみようということになった。話題提供として皆で見たのはこの動画↓

【suzuki neet3(3of3)】


日本人が見てもショックを受けるが、外国人にとっては(?)かなり衝撃的だった模様。ビデオを見た後、「鈴木さんについての感想を書いてください」というプリントの空欄には様々な感想が寄せられていた。


・教育の失敗の例だと思います。
・バカを見ていると頭が悪くなる。
・鈴木さんの親は頭がおかしい。なんで~彼にお金を提供している?
・よくも両親にそんなに迷惑をかけるものです。
・ひきこもりとか、おたくみたいな感じする
・いやです。
・この社会の「くず」だと思う。



…などなど、なかなか皆さん手厳しいコメント。
そりゃそうかもしれない。彼らは学問のために来日までして、慣れない環境のなかを頑張って生きているのだ。鈴木さんの気持は理解できないに違いない。


確かにこの人を見ていると何かイライラする。
しかしキャスターたちは、鈴木さんを言い負かすことができない。なぜか?それは鈴木さんの「自立するとなんか偉いんですかね?」という質問に答えられないからだ。


自立するとえらいのか?


私たちのたいていは、「大人になると自立するのが当たり前」だと思っている。実際そのように意識していなくとも、ニートやフリーターを「よくない」と認識する大半の人は、潜在的にそう思っているはずだ。大人になったら社会に出て働くのが当たり前だと思っていて、働かない人たちを明確な論拠なしに責め立てる。

だからニートが図に乗るのだ。

ニートの最大の強みは、「働かなくても生きていける」という現実だ。いくら責められようとも、生活が担保されている以上はまったくダメージがない。しかし、「じゃあこいつらを働かなきゃいけない状況にすればいいんだ」という答えは、答えになっていない。そもそも鈴木さんみたいな人は、「なぜ働かなければならないのか?」という、よりマクロな問いを持っている。この点は、何の疑問もなく社会に出て働いている人よりも思考が高尚なのだろう。


ここで冷静になって、彼の問いについて考えてみよう。
まず、鈴木さんには「自立するとなんか偉いんですかね?」と問う資格がない。なぜなら、彼は経済的に自立していないからだ。自立すると偉いかどうかは、自立してみないとわからない。自立について語るには、自立しなければならないのである。しかし彼は、本当に「自立すると偉いのか?」という問いの答えを求めているわけではないのだろう。「自立すると偉いのか?」という言葉の裏には、抽象的で回答しにくい問いを立てて相手を論破したいという、幼い抵抗がある。そして彼は自立の価値を多少は認めているはずである。しかし彼には、「なぜ働くのか」という問いに答えられないような大人に、自分を卑下する資格はないと思っているのだろう。つまり、鈴木さんを論破するには、彼の問いに答えられなければならないのである。


なぜ働くのか?


私の答えは、「自己満足のためと、社会的な動物として生きていくため(そして実は両方とも、欲求を満たすため)」だ。


実は私も就職したことがないから、働くことについて語る資格がない。だけどあえて考えてみた。
どうして人は働くのだろう?そして、どうして働くことが当たり前だと思っているのだろう。


実は鈴木さんのような人は、欲を持たない宮沢賢治みたいな人なのだ。
人には心理的三大欲求というものがあるそうで、それは「自律の欲求」「有能さの欲求」「関係性の欲求」らしい(デシとライアンの主張)。鈴木さんはこれらのうち、「自律の欲求」しか満たそうとしていない。ある意味EDである。

働くことに付随するのは、働く喜びと、社会性と、お金だ。時には妻や旦那も付随することがあるのかもしれないが、それはひとまず置いておこう。ニートの場合、お金については苦労していないみたいだから、お金を稼ぐ必要はない。では、「働く喜び」とは何だろう。それはつまり、肯定的なアイデンティティとか、自分への自信とか、そういう類の「自己満足」なんじゃないか。「仕事は楽しいからやっている」とか「社会のためにやっている」とか、そういう答えは、鈴木さん風に言えば「傲慢」だ。結局、「社会に貢献している自分」に対する自己満足なのだ。自分を有能な人間だと思いたいのである。

では、「社会的な動物として生きていくため」とは何だろう。
もし地球上で私だけが生き残ったとしたら(よくある話だけど)、私はその日から動物になる。「人間」という肩書は意味を為さなくなる。なぜなら、人は社会的な動物であるからこそ「人間」であるからだ。たとえばここでは「自立」の定義について考えてみよう。一人暮らしをして、働いて自分でお金を稼いで、自分で身の回りの生活をこなせたら、その人は自立していると多くの人は思うだろう。だが本当にそうか?「働いて自分で飯を食ってるんだから、自立している」と言ったときの、その飯は誰が作ってる?もっとフォーカスすれば、その米は誰が作っているんだ?今住んでいるお前の家は自分で作ったのか?お前の着ているそのTシャツは、お前が綿花の栽培からはじめてひとりで作り上げたのか?

つまり「自立している」と言ったって、本当の意味では自分の生活を100%プロデュースすることなどできないのだ。100%の自立はありえない。だから、人はいずれにせよ、必ず何らかの形で社会と関わっているのである。もちろん消費という形で社会に貢献することもできるが、消費ばかりでは生きていけないのが大半だ。社会のサイクルにきちんとはまれる(=人間として生きる)一番手っ取り早い方法が、働くということなのである。それも、それは自己満足のためにもなって一石二鳥なのである。

だから人は働くのだ。
労働はマスターベーションなのだ。




皆さんは鈴木さんを言い負かすことができますか?




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