日記「今日見た映画 2020」45『ジョジョ・ラビット』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ジョジョ・ラビット』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2019年/アメリカ映画/109分
監督:タイカ・ワイティティ
出演:ローマン・グリフィン・デイビス/トーマシン・マッケンジー/タイカ・ワイティティ/レベル・ウィルソン/スティーブン・マーチャント/アルフィー・アレン/サム・ロックウェル/スカーレット・ヨハンソン/アーチー・イェーツ/ルーク・ブランドン・フィールド/サム・ヘイガース

■2020年 劇場公開作品 45本目

映画雑誌『SCREEN』の『SCREEN映画評論家が選んだ 最も優れた映画 2020』の「4位」。



恐るべき「やりすぎ限界恋愛映画」。



恐るべき「やりすぎ限界反戦映画」。



常に「予備知識完全皆無」。常に完全 “本物” の「アル中」+「酔っ払ってた」「寝ぼけてた」「体調が悪かった」+「超てきとう」「超不真面目」「超いい加減」な「鶏程度の脳みそ」だから、『ジョジョ・ラビット』のタイトル聞いて何も想像できなかったのと、チラシなんか「絶対ちゃんと見ない」で、ぱっと見「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” が誰も映ってないのと、「第二次大戦」ぽいから、「何だよ… これ見なきゃいけねのかよ……」「うぜぇなぁ……」と、「また」「何様」か解からない、「偏見」「先入観」「思い込み」「勝手な想像」の「完全無意識スルー」でサボって「逃げた」を決め込もうとした。



「うわっ ナチスかよ……」。

「子供」が「ヒトラーの幻覚」と話すの見て「まず」「超どん引き」。しかも「ナチス」なのに「英語」が「超怪しい」。「首をへし折って ウサギを殺せ」って「絶対できねぇだろ!」 「予備知識完全皆無」だから、「ナチス」を賛美する「錯覚」を見てしまい、「絶対許せない」怒りが込み上げ途中で見るの止めようかと思ってしまった。



だが「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「スカーレット・ヨハンソン」「ダイナマイト・ボンバー・お母さん」が出てきて「まず」「様子見」。



「さらに」、恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「トーマシン・マッケンジー」「エルサ」を、「初めて」見た「瞬間」「一瞬」で、「時間が止まった」あげく、



……………………「俺もこうなりたい」。



……………………「もの凄く」「うらやましい」。



……………………「俺もジョジョなりたい」と「死ぬほど」「今」、「心から憧れる」。



まで、「もっと」追い込まれ、気づいたら「これでも泣かないか」級「何回」もある恐るべき「泣かし」の「怖さ」「ショック」「衝撃」にビビって震え上がり「泣きながら」、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」+「反省」「懺悔」「償い」+「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。



『ジョジョ・ラビット』が見せたことは「真実」か「嘘」か? 「鶏程度の脳みそ」だから「ユングフォルク」「ドイツ少年団」と、「ユダヤ人」をかくまった「ドイツ人」が「史実」なのか? もはや調べる以外「選択肢」はなかった。



「史実」で「はうあ!!!」 



「また」「歴史の勉強」。「ナチスの青少年組織ヒトラーユーゲント」のもっと年少が「ユングフォルク」「ドイツ少年団」らしく「実在」。「最期」終戦間際のドイツ本土は「恐らくこうであった」こと「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」、「今頃」「初めて」思い知った「怖さ」「ショック」「衝撃」に「大きい方垂れ流し」。

「ユダヤ人」をかくまった「ドイツ人」の「史実」について『アンネの日記』と比較されてるのも「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」で「反省」「懺悔」「償い」+「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」。



■「「アンネの日記」に及ぶどころか、バカバカしいほどに同じこと。僕らは知りすぎて、あくびしたいくらいのことを三時間もかけてまじめに作ってる。あきれちゃったの。チャップリンの「独裁者」のほうがずっといいよ」



かつて『おしゃべりな映画館③』『シンドラーのリスト』で、「淀川長治先生」が「スティーブン・スピルバーグ監督」「オリバー・ストーン監督」を「バイ菌」と言った評論で『アンネの日記』を「大絶賛」「大賞賛」。

「鶏全盛期時代」、「超勉強大嫌い」な「分際」で、「映画監督」になりたいなどと「思い上がった」「妄想」「幻覚」「白昼夢」を見たが、「淀川長治先生」が推す『太陽がいっぱい』『ベニスに死す』と「同格」、『アンネの日記』も、「滝に撃たれる」「荒行」に挑む「覚悟」「勇気」「精神力」がなければ「絶対見れない」「不安」「恐怖」「苦悶」に追い込む「脅威の存在」だった。

「今日」まで「サボって」「逃げて逃げて逃げまくってきた」「つけ」。人間「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」ように、「つけ」は「絶対返済の時がくる」の思い知らされ、「怖さ」「ショック」「衝撃」にビビって震え上がり「泣きながら」「大きい方垂れ流し」。

近いうちに『アンネの日記』を「絶対見なければならない」。

また『ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命』では「ポーランド人」、『アンネの日記』では「オランダ人」が「ユダヤ人」をかくまったが、「ドイツ人」も「史実」なのか?

「タイカ・ワイティティ監督」の「原作を知ったのは2010年のこと」「ナチスの青少年組織ヒトラーユーゲントの少年が、自宅に女の子が住んでいることを発見するの。母親がユダヤ人の少女をかくまっていてね……」の話「だけ」じゃない、調べて「史実」だったこと「今頃」「初めて」思い知った。

また「男は絶対見たくない」「男は絶対興味ない」「鶏」を恐るべき「泣かし」に追い込んだ、「ゲイリー・オールドマン」似「サム・ロックウェル」をどっかで見たことある。調べて「はうあ!!!」 「鶏」を恐るべき「泣かし」に追い込んだ『スリー・ビルボード』だったの「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」こと、「今頃」「初めて」思い知ったのも「反省」「懺悔」「償い」+「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」。



「所詮」「鶏」程度だから、「ナチス」「ユダヤ人」の「部分」は「絶対抜かして」、「ジョジョ」と恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「トーマシン・マッケンジー」「エルサ」が「永遠の愛」「永遠の絆」で結ばれる「部分」で、



……………………「俺もこうなりたい」。



……………………「もの凄く」「うらやましい」。



……………………「俺もジョジョなりたい」と「死ぬほど」「今」、「心から憧れる」。



「タイカ・ワイティティ監督」のこと「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」こと「反省」「懺悔」「償い」+「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」。




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画像 2024年 5月