『世界にひとつのプレイブック』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『世界にひとつのプレイブック』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2012年/アメリカ映画/122分
監督:デヴィッド・O・ラッセル
出演:ブラッドリー・クーパー/ジェニファー・ローレンス/ロバート・デ・ニーロ/ジャッキー・ウィーヴァー/クリス・タッカー/アヌパム・カー/ジョン・オーティス/シェー・ウィガム/ジュリア・スタイルズ/ポール・ハーマン/ダッシュ・ミホク/ブレア・ビー

2013年 第29回 やりすぎ限界映画祭
2013年 ベスト10 第1位:『世界にひとつのプレイブック』
やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『世界にひとつのプレイブック』

D.B.G.生涯の映画ベスト100
第57位『世界にひとつのプレイブック』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:ジェニファー・ローレンス


やりすぎ限界男優賞:ブラッドリー・クーパー


やりすぎ限界男優賞:ロバート・デ・ニーロ


■第3稿 2020年 4月16日 版

[「片想い」「愛すること」]



恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” に「片想い」して、僕がいつも最期に行き着くのは、自分には手の届かない「身分違いの相手」だったと思い知る「挫折」。これほど「極限の美」なら、言い寄ってくる男も星の数ほどいるだろうし、その中から僕を選ぶなど「絶対ありえない」と尻込みする。



「浮気はしない」とカッコつけて、何年も一途な「片想い」を貫いても「報われない」なら、いっそあきらめて他の女性にするべきではないかと自問自答する。自分の力量では振り向かせられないと悟るから。最期は、言い寄ってくる男も星の数ほどいる「極限の美」の前に、「身分違いの相手」「高嶺の花」への「片想い」が力尽きる。




何年も一途な「片想い」を貫くことは、壮絶な「勇気」「精神力」を試される。「メールの返事がこない」「あまり会えない」「なかなか進展しない」「他に男がいる」…………など、あらゆる「不安」「恐怖」「苦悶」に撃ち勝たなければ「片想い」を貫くことはできない。




「片想い」=「愛すること」の「苦しみ」は、「愛すること」に挑んだ人間にしか解からない。「愛すること」を貫くにはどれほど壮絶な「勇気」「精神力」が必要か? 男の僕がここまで苦しいのに、女であるティファニー(ジェニファー・ローレンス)が貫いたパット(ブラッドリー・クーパー)への「片想い」「愛すること」は、どれほどの「苦しみ」だっただろう? ティファニーのパットへの「片想い」「愛すること」を見て、「涙が出なくなるまで泣いた」。

[「相性が合う」「相性が合わない」]




つき合ってたカップルの「男」「女」どちらかが「ストーカー」になってしまう「相性」の話を、どこかで聞いたことがある。「A子」とつき合ってた「B男」が「ストーカー」に「豹変」した事件があったが、「A子」と別れた「B男」が「C子」とつき合うと、幸せに結婚したという話。「B男」は「A子」と別れたら「ストーカー」から「普通の男」に戻った。



どこかで聞いた話は男の場合だけではなく、「普通の女」だった「A子」が「D男」とつき合ったら、「A子」が「ストーカー」に「豹変」する場合もあるという話。「男」「女」のカップルには「絶対」「相性」があるという話だった。「相性が合わない」相手が、「男」か「女」か、どちらかを「ストーカー」に「豹変」させるのだと「噂」を聞いた。



まさに『世界にひとつのプレイブック』のパットとニッキ。パットが自分と「相性が合う」と思ってたニッキが、パットを「ストーカー」に豹変させたと僕は「確信」する。「真実」は、パットとニッキは「相性が合わない」カップルだった。

[「5.0」「運命の相手」が誰かを「確認する方法」]



僕自身だけでなく全ての人間にとって、「運命の相手」が誰かを「確認する方法」は「かなり」難しい。パットにとっては歴史の教師を殴ったことが、「運命の相手」が誰かを「確認した結果」となってしまった。ニッキが「運命の相手」ではなかった、哀しい「答え」が明確となった。



「運命の相手」が誰かを「確認する方法」は、ものすごく時間が掛かる作業。「何年」も掛かる場合が多いと思う。長い時間を掛けて二人で一緒に過ごし、「見極める」しか、「運命の相手」を「確認する方法」はないかもしれない。



長い時間を掛けて二人で一緒に過ごし、歴史の教師を殴るのではなく、「5.0」を出せた「相手」こそが、“本物” の「運命の相手」なのだ。

[「類は友を呼ぶ」「同じ苦しみを持つ人間」]



「相性が合う」ことの「真実」が、「類は友を呼ぶ」だと「確信」する。『世界にひとつのプレイブック』のティファニーとパットが、「相性が合う」ことの真実が何かを思い知らせた。



「躁うつ病」の精神障害がなければ、ティファニーはパットに「惹かれなかった」。ティファニーがパットに惹かれたのは、「同じ苦しみを持つ人間」だったから。「男」「女」お互いが「運命の相手」と確信できる「真実」とは、どれほどお互いが「共感」できる、「共通」の「信念」「価値観」「倫理観」を多く持ち合わせてるかに尽きると信じる。



「傷ついた心」を理解するには、「傷ついたことがある人間」の方が理解できるのかもしれない。「傷ついた経験」が少ない人間に、「深く傷ついた人間」を理解するのは難しいかもしれない。外見で “人間の本質” は見極められない。一緒に「ダンスの練習」をするまで、パットはティファニーがどんな人間かを知ることはできなかった。




「仏様は絶対いる」と信じたい。必ず人間には「相応しい出逢い」があるのだと僕は信じる。パットは最初ティファニーを「運命の相手」とは思わなかった。だが「5.0」を出せるまで理解し合えたことが、「ニッキとではできなかったこと」だと「思い知った」。“本物” の「運命の相手」が誰か? 「類は友を呼ぶ」「同じ苦しみを持つ人間」、「共通」の「信念」「価値観」「倫理観」を多く持ち合わせてる「相応しい出逢い」を、パットはティファニーだと「確認」した。

[…………「俺にも、ティファニー、現れないかな」]



「パーレイ」を提案したのはティファニー。パットは怖気づいて逃げ出したのに、ティファニーは絶対怯まなかった。「パットとなら5点取れる」と「確信」するまで、パットを愛したティファニーに「涙が出なくなるまで泣いた」。



「片想い」「愛すること」の「苦しみ」は、「愛すること」に挑んだ人間にしか解からない。殆ど女に愛されたことがなかった僕は、ティファニーに愛されたパットが「もの凄くうらやましかった」。ティファニーに愛されたパットに「死ぬほど憧れた」。「俺もパットになりたい」と、「死ぬほど」「今」、「心から憧れる」のは、僕には今「運命の相手」がいないから。




…………「俺にも、ティファニー、現れないかな」。「仏様は絶対いる」。「類は友を呼ぶ」「同じ苦しみを持つ人間」が、僕にも現れることを信じて「明日」を生きよう。




画像 2019年 7月