光る君へ




彰子の入内


生贄として(ネタバレあり)



彰子ー無口で表情が乏しい人だった

   11/1に入内日を決める

   ー中宮定子の出産に敢えて合わせてきた



   2月(999年)裳着(もぎ)の儀式で成人となる

    彰子12歳(一条天皇20歳)

    彰子が身籠るのは10年後

    敦成親王(後一条天皇)である。


    焦っていた道長

    定子中宮が男子を産めば、

    摂政の地位が伊周にいってしまう!

    再び中関白家の時代になってしまう

    それは、避けなければならない!!



   道長と彰子は今後対立関係になっていく


   サロン

   倫子の力添えもあり、

   華やかなサロンを築いていく

   赤染衛門・和泉式部

   そして、紫式部が呼ばれる

   この頃には源氏物語の作者として

   名を馳せていた

   こんな素晴らしいメンバーが家庭教師に

   付いていたのだ。



   彰子は国母として愛され長生きをする




焦る一条天皇

   中宮定子は出家した身ではあるが、

   内裏に呼び戻した

   このことは多くの公卿から悪評である

   男子を後継ぎとして残さなければ、

   冷泉天皇系に天皇の座は移ったまま

   円融系は途絶えてしまう

   定子を愛した以上に差し迫った状況がある


   そこに、定子が身籠り出産となった。

   出産の日に彰子の入内日を当ててきた道長

   一条天皇への警告である






まひろと宣孝の喧嘩



宣孝がまひろの文を方々です見せびらかせた。

史実もそのような記載あり


すごい才女をものにしたんだぞ!

すごいだろ!と自慢したいのだな。



香炉の灰を宣孝にぶち撒ける場面は、

源氏物語第31帖の真木柱(まきばしら)の

オマージュである。



今回のドラマはフィクションが多いが、

源氏物語の場面をうまく絡ませ描いている。



宣孝の近江守の女への求愛がついにバレた。


別れる、別れないの喧嘩が長く続く


灰まみれ以降、宣孝は通わなくなった。

当時は離婚という届けなどはなく、

夫が妻のところに通わなくなったら、

自然と離婚状態となった。



宣孝

疫病のために長保3年(1001年)4月25日卒去








源氏物語


第17帖  絵合(えあわせ)



光源氏31歳春の話



内大臣光源氏の後見のもと、

斎宮は入内して梅壺に入り女御となった。



若い冷泉帝は始め年上の斎宮女御に

なじめなかったが、

絵画という共通の趣味をきっかけに寵愛を増す。




先に娘を弘徽殿女御として入内させていた

権中納言(頭中将)はこれを知り、

負けじと豪華な絵を集めて帝の気を引こうと

躍起になった。




宮中でも人々が絵を批評しあうのが流行し、

藤壺中宮の御前で物語絵合せが行われたのを

きっかけに、

帝の御前でも梅壺対弘徽殿の絵合せが

華々しく催された。




古今の素晴らしい絵が数多く出された中で、

最後の勝負に源氏が出した 

須磨の絵日記はその絵の見事さと

感動的な内容で人々の心を打ち、

梅壺方が勝利を収めた。




絵合せ後、

源氏は藤壺に絵日記を献上し、

一方でいつか出家する日のことを思って

嵯峨野に御堂の建立を始めた。





つづく