【今日の1枚】New Trolls/UT(ニュー・トロルス/UT) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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New Trolls/UT
ニュー・トロルス/UT
1972年リリース

クラシックとハードロックの巧みな
アレンジが効いたグループの最高傑作

 オーケストラアレンジャーであるルイス・エンリケ・バカロフを迎えて制作されたアルバム『コンチェルト・グロッソⅠ』で一世風靡した、イタリアのプログレッシヴロックグループ、ニュー・トロルスの通算5枚目となるスタジオアルバム。本アルバムはダンテによる『饗宴』の一節が用いられた組曲風の構成となっており、それぞれクラシック、ジャズ、フォーク、ハードロックといった様々なスタイルで演奏を変えていくニュー・トロルス本来の実力を発揮した最高傑作となっている。後にグループが分裂する騒動に発展していくが、常に新たなフェイズに挑戦しようとする彼らの初期の集大成と言っても過言ではない歴史的名盤である。

 ニュー・トロルスは1966年にヴィットリオ・デ・スカルツィ(ヴォーカル、ギター)とピノ・スカルペッティーニ(キーボード)を中心にイタリアのジェノヴァで結成されたグループである。最初はザ・トロルスというグループ名で活動し、1枚のシングルを発表していたが、ヴィットリオ以外のメンバーが脱退してしまい、1967年にヴィットリオ・デ・スカルツィ(ギター、ヴォーカル)、ニコ・ディ・パロ(ギター、ヴォーカル)、ジョルジオ・ダダモ(ベース)、マウロ・キアルギ(キーボード)、ジャンニ・ベレーノ(ドラムス)の5人編成となった時にニュー・トロルスというグループ名に変えている。彼らはジェノヴァのクラブを中心にビートロックにサイケデリック要素を加えたアートロック的な演奏をしていたが、そのパフォーマンスが注目され、後にザ・ローリング・ストーンズのイタリア公演でのオープニングアクトを務めるほど人気を集めたという。ヴィットリオの父のジャンニ・デ・スカルツィと当時のジェノバ芸術監督であったルイージ・アルドゥイーノとの関係からイタリアのレコード会社であるフォニット・チェトラと契約。1967年にシングル『センセーションズ』でデビューし、1968年のシングル『ビジョン』は20万枚を売り上げたという。その流れでアルバムの制作が舞い込み、デビューアルバム『ウィズタイム・ア・タイムテーブル・ウィズアウト・ア・フラッグ』を同年にリリースしている。1969年には『Io che ho te(私にはあなたがいる)』の曲を引っさげてサンレモ音楽祭に出場し、さらにシングル2曲を収録したセカンドアルバム『ニュー・トロルス』をリリースするなど着実に人気と知名度を上げていったという。多くのフェスティバルに参加したり、映画音楽を担当したりと音楽性の幅を広げていた彼らが、ひとつのピークに達したのが1971年にリリースされたサードアルバム『コンチェルト・グロッソ』だろう。レコードのA面におけるルイス・エンリケ・バカロフ指揮によるオーケストラとの共演と、B面での彼らの卓越したハードでジャジーな演奏が組み合わされたそのアルバムは、イタリアンロック史における名盤として君臨することになる。B面に収録された『空間の中から』はTV番組をはじめ、さらにピノカルヴィ・オーケストラと一緒にセンザレテでライヴを行い、その圧倒的なパフォーマンスは後にニュー・トロルスのカラーとして位置づけられる。また、この頃からグループの最初のファンクラブがトリノのコルソ・フェルッチ72に誕生する。これはイタリアにおける最初のファンクラブとされ、現在でもイタリアに存続している。

 1972年になるとベーシストのジョルジョ・ダダモが脱退し、後任にはカナダ出身のフランク・ラウゲリが加入。また前作でキーボーディストのマウロ・キアルギに代わってゲストとして演奏したマウリツィオ・サルヴィを正式なメンバーとして迎えた4枚目のアルバム『サーチイング・フォー・ア・ランド(見知らぬ桃源郷の探索)』がリリースされる。即興性が高く全編英語歌詞で歌われ、彼ら的には前向きなアルバムだったが、残念ながら商業的には失敗している。すぐさま次のアルバムの制作に取りかかるが、今度はスカルツィ以外のメンバーで作られた曲を中心にレコーディングを行い、同年の末にリリースされたのが本作の『UT』である。タイトルとなった『UT』はユトと呼び、17世紀までイタリアで用いられていた音階の第一号のことである。そのアルバムは再度イタリア語歌詞の戻り、ダンテの『饗宴』の一節を用いた組曲風の構成のもと、曲ごとにクラシックやジャズ、フォーク、ハードロックといったスタイルに形を変えた内容になっており、ビートロックの時代から様々な音楽を追求してきた彼らの本領が発揮された最高傑作となっている。

★曲目★
01.Studio(スタジオ)
02.XXIIª Strada(22番通り)
03.I Cavalieri Del Lago Dell'Ontario(オンタリオ湖の騎士達)
04.Storia Di Una Foglia(木ノ葉の物語)
05.Nato Adesso(誕生)
06.C'è Troppa Guerra(大戦争)
07.Paolo E Francesca(パオロとフランチェスカ)
08.Chi Mi Può Capire(誰が知るか)

 アルバムの1曲目の『スタジオ』は、壮大な銅鑼の音からピアノを中心としたコンチェルト形式の楽曲から始まる。18世紀のドイツのピアニスト兼作曲家であるヨハン・バプティスト・クラーマーの曲を改良したマウリツィオ・サルヴィの巧みなキーボードワークが堪能できる逸品であり、思わず惹き込まれるクラシカルなナンバーである。次の2曲目の『22番通り』に繋がり、壮絶なリズムセクションが加わったメンバー全員によるジャジーなアンサンブルに変貌していく。この2曲でクラシックからジャズロックへとシフトしていく試みを行っている。3曲目の『オンタリオ湖の騎士達』は、マーチングドラムとスカルツィの口笛のようなフルート調の音が一種の軍隊の行進をイメージし、ヴォーカルのニコ・ディ・パロが絶望的なカナダの風景を謳った楽曲。グループとしては珍しいシンセサイザーのソロがあり、後にニュー・トロルスらしいサイケデリック性のあるハードロックになっていく。4曲目の『木ノ葉の物語』は、ジャンニ・ベレーノがヴォーカルを担当したフォーク調の楽曲。エレクトリックギターを用いたジャズロックのバックボーンを持つ柔らかなナンバーであり、美しいイタリア語のヴォーカルが冴えた1曲となっている。5曲目の『誕生』は、ピアノをバックにしたバラード曲。リズムセクションやストリングスが加わると、オランダのフォーカスを思わせるようなヤン・アッカーマンばりのニコ・ディ・パロのギターが炸裂している。6曲目の『大戦争』は、まるでブラック・サバスを彷彿とさせるギターリフを中心としたヘヴィな楽曲。その後、加工されたヴォーカルを響かせた静の部分と攻撃的なギターによる動の部分を交互に繰り返し、グループが持つハードな側面が迫ってくるような勢いがある。7曲目の『パオロとフランチェスカ』は、抒情的なギターと控えめなヴォーカルによるバラード曲。後半のヴィットリオによる2人の男女が語るようなギターソロは、聴いていて非常に楽しいものがある。8曲目の『誰が知るか』は、チャーチ風のオルガンとピアノをバックにしたシンフォニックな楽曲。ニコ・ディ・パロの情熱的で伸びやかなヴォーカルとマウリツィオのクラシカルで美しいキーボードが胸に来るものがあり、ニュー・トロルスの多くの楽曲の中でも1、2位を争う名曲となっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、軽やかさと重厚さを併せ持ったニュー・トロルスらしい、クラシック成分とロックの成分がうまくブレンドされたアルバムになっていると思える。もともと雑多な音楽性を持ちながら彼らなりにアレンジした楽曲の集大成とも言えるが、その1曲ごとの音楽の方向性の違いが後の分裂に直結する緊張感を漂わせている。そういう意味では後にポップ指向に変わっていく、イタリアのプログレッシヴロックを牽引してきたニュー・トロルスの最後の傑作と言わざるを得ない。

 すでにアルバムレコーディング中に生じたいくつかの違いにより、 1973年から1976年の間にグループのメンバーはいくつかの並行プロジェクトを行うようになる。特にヴィットリオ・デ・スカルツィを残して4人が脱退し、『?(クエスチョンマーク)』を発表している。残ったヴィットリオ・デ・スカルツィは脱退したジョルジオ・ダダモを中心にTAS(Trolls Atomic System)を結成するが、そこに至るまでニュー・トロルス名義の使用に関して法廷で争ったと言われている。さらにスカルツィはレコードビジネスにも手を出し、Magmaレーベルを設立している。一方のニコ・ディ・パロは新グループであるイビスを結成して2枚のアルバムをリリース。ドラマーのジャンニ・ベレーノはニコ・ディ・パロやフランク・ラウゲリの協力の下でマイナーだったトリトンズというグループをバックアップし、ザ・ローリング・ストーンズの『サティスファクション』を編曲した楽曲でチャートインさせている。その後、1975年にイタリアのシンガーソングライターであるファブリツィオ・デ・アンドレのツアーにジャンニ・ベレーノとジョルジオ・ダダモ、さらにギタリストのリッキー・ベローニが参加。さらにニコ・ディ・パロとヴィットリオ・デ・スカルツィが復帰して、新生ニュー・トロルスを再結成している。この新しいラインナップとルイス・エンリケ・バカロフのコラボレーションで、1976年に『コンチェルト・グロッソⅡ』をスカルツィのレーベル、Magmaからリリースすることになる。その後、『ライヴ』を発表するが、レーベルがMagmaからワーナー・ブラザースに移り、よりポップ性の強い音楽になっていく。グループ名がニュー・トロールズやイル・ミト・ニュー・トロールズと変えつつ、メンバーチェンジを行いながらも2007年の『Il Mito New Trolls - Live -』まで通算20枚のアルバムをリリース。2011年2月には指揮者のルイス・エンリケ・バカロフと共に未発表の協奏曲『コンチェルト・グロッソⅢ』をライヴで演奏し、2013年にCDとレコードでリリースしている。その後もドラマーのジャンニ・ベレーノとキーボーディストのマウリツィオ・サルヴィを中心としたオブ・ニュー・トロルスという名で現在でも活動を続けている。なお、2013年までグループを支えてきたベーシストのジョルジオ・ダダモは、長く患っていた病気のため2015年10月20日に死去。また、グループ創立者であるヴィットリオ・デ・スカルツィも新型コロナウイルス感染し、一度は回復したが1か月後に肺線維症による合併症のため、2022年7月24日にローマで死去している。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はビートロックから草創期のイタリアンロックの筆頭グループにまで上り詰めたニュー・トロルスの5枚目のアルバム『UT』を紹介しました。前回にもこのブログで紹介したルイス・エンリケ・バカロフ指揮のオーケストラが導入されたアルバム『コンチェルト・グロッソⅠ』があまりにも有名ですが、本アルバムは彼らがデビュー時から様々な音楽を経験し、卓越した演奏技術を持って挑んだグループ本来のサウンドが盛り込まれた傑作とされています。クラシックやジャズ、フォーク、ハードロックと変化に富んだ様々なスタイルの演奏をしており、一聴すると雑多なイメージが付きまといますが、1曲1曲がイタリアらしいカンツォーネとロックをベースにアレンジが効いた珠玉の楽曲ばかりです。上でも書いた通り、レコードのA面である1~4曲は、ダンテによる『饗宴』の一節が用いられた組曲風の構成になっています。意訳すると「他人の言葉を称賛し、自分の言葉を軽蔑するイタリアの下劣な人々の永遠の悪名と屈辱に対して、次の5つの憎悪すべき原因のために彼らは行動を起こすだろう。1つ目は認識における盲目、2つ目は陰険な尋問、3つ目は栄光のための欲望、4つ目は妬みによる推論、5つ目は精神の卑しさ、無気力」とあり、内ジャケットにも書かれています。この一節が用いられた理由は不明ですが、当時のイタリア社会はマフィアによる殺人が横行していて、尚且つ若者たちが将来を憂いて無気力だったそうです。そんなイタリア社会において音楽、すなわちロックの影響力は大きく、若者たちに音楽を通して何かを訴えかけたかったのではないかと個人的には思っています。

 さて、一方のニュー・トロルスはこのアルバムの後に分裂することになります。とはいえ、1966年のザ・トロルス結成時にヴィットリオ・デ・スカルツィ以外のメンバーが脱退して、新たなメンバーと共にニュー・トロルスを誕生させている時点で、すでにグループは分裂含みであったと言わざるを得ません。危うい橋を渡りつつも『コンチェルト・グロッソⅠ』の成功とライヴで観客を惹きつけるカリスマ性がグループの人気を支えていましたが、スカルツィとその他のメンバーに距離ができ始めたのは4枚目のアルバムの『サーチイング・フォー・ア・ランド(見知らぬ桃源郷の探索)』からです。たぶん、カンツォーネロックグループのイメージから払拭して、ハードなサウンドを前面に出した新たなフェイズに挑戦したかったのでしょう。アルバム『UT』というタイトルからしても、イチから新たなアプローチを目指そうとメンバーは模索したことが窺えます。しかし、そこには創設メンバーであるヴィットリオ・デ・スカルツィの曲をアルバムから外すことが命題となったそうです。なぜならこれまでほとんどの曲を制作してきたスカルツィの曲が本アルバムに1曲もないからです。さらにヴォーカルまで外されています。そうすると、すでにレコーディング時にスカルツィとその他のメンバーとの間は険悪な状態にあったことは言うまでもないです。これが本アルバムリリース後にスカルツィを残した4人が脱退することになり、後にグループ名を巡って法廷で争うことになるわけです。スカルツィ自身からすれば本アルバムのレコーディング終了と共に解散したかったのではないかな~と思っています。アルバムの最後のニコ・ディ・パロの名曲『誰を知るか』の歌詞で、「誰も理解できない。私は黙って去るつもりだ」、「目標も持たずに」、「そしてあなたも一緒に来るだろう」とあり、少しだけ次を見据えたメンバー内の思惑が見え隠れしているような気がしてしまいます。う~ん、考え過ぎですかね~。

それではまたっ!