【今日の1枚】Madder Lake/StillPoint(マダー・レイク/スティルポイント) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

古今東西プログレレビュー垂れ流し

ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Madder Lake/StillPoint
マダー・レイク/スティルポイント
1973年リリース

ジャジーさと神秘的なアレンジを施した
オーストラリアのプログレッシヴハード

 絵画にも使用されるミョウバンと混合された深紅色の水性染料 (アリザリン) のことで、別名「茜色の湖」という名を持つオーストラリアのプログレッシヴロックグループ、マダー・レイクのデビューアルバム。そのサウンドはアメリカンロックにも似たコーラスワークとブルージーなギター、そしてピアノやハモンドオルガンといったキーボードを多用した独特の陰りを持ったプログレッシヴロックとなっている。シングルでは『グッドバイ・ロリポップ』や『12ポンドの歯ブラシ』が大ヒットし、その2曲を収録した本作品はオーストラリアのアルバムチャートで最高13位を記録した名盤でもある。

 マダー・レイクは元々、オーストラリアのメルボルンにあるスウィンバーン工科大学(現在のスウィンバーン工科大学ホーソーン・キャンパス)のグラフィックデザインの学生によって結成されたサン・セバスティアンが母体となっている。結成時はケリー・マッケンナ(ベース)、ブレンダン・メイソン(ギター)が中心となって活動を開始しており、1969年時にはメンバーチェンジしてジョン・マッキノン(キーボード)、ジャック・クリーマーズ(ドラムス)、ミック・フェッテス(ヴォーカル)が加入している。活動の拠点はメルボルンのパブが中心だったが、後に郊外のパブにも足を運んで、主に英国のロックをカヴァーする演奏をしていたという。1970年頃にはオリジナル曲を作成し、ブルースやサイケデリックの音楽を取り込んだプログレッシヴロックを演奏するようになり、1971年にグループ名をマダー・レイクと改変している。彼らは後にオーストラリアのレコード会社幹部兼プロモーターであるマイケル・グディンスキーに認められ、1972年1月に開催された第1回サンベリー・ポップ・フェスティバルでオープニングアクトを務めることになる。フェスティバルは成功してグループの人気が高まり、1972年末にグディンスキーが共同経営するマッシュルーム・レコードと契約した最初のグループとなっている。1973年1月には2回目のサンベリー・ポップ・フェスティバルのヘッドライナーアクトを行い、2月に彼らのデビューシングルである『グッバイ・ロリポップ』をリリース。このシングルはメルボルンで最高15位を記録し、オーストラリアのシングルチャートトップ40入りを果たしている。その後も立て続けに三度のライヴコンサートを行い、メルボルンのクーヨン・テニス・センターで行われたローリング・ストーンズのコンサートもサポートしている。グディンスキーの思惑通りに一気に知名度を上げたマダー・レイクは、この機に乗じてアルバムの制作を開始している。メルボルンのTCSスタジオに入った彼らは、プロデューサーにジョン・フレンチを迎えて6日間レコーディングを行い、大ヒットシングル『グッバイ・ロリポップ』を収録したデビューアルバム『スティルポイント』を1973年4月にリリースすることになる。そのアルバムはアメリカンロックに似たコーラスワークとブルージーなギター、そしてキーボードを軸に展開していく独特な陰りを持ったサウンドになっており、英国のファミリーやトラフィック、キング・クリムゾンの影響を受けた技巧性の高いプログレッシヴロックになっている。

★曲目★
01.Salmon Song(サーモン・ソング)
02.On My Way To Heaven(天国への道程)
03.Helper(ヘルパー)
04.Listen To The Morning Sunshine(モーニング・サンシャインを聴いて)
05.Goodbye Lollipop(グッバイ・ロリポップ)
06.A Song For Little Ernest(リトル・アーネストへの歌)
07.12LB. Toothbrush(12ポンドの歯ブラシ)

 アルバムの1曲目の『サーモン・ソング』は、8分を越える大曲でスペイシーなキーボードとワウワウのギター、そしてマッケンナとクリーマーズによる独特のリズムセクションからなるスリリングな楽曲。ゆったりとした流れから後半はまるでトラフィックとネクターを融合したようなリズミカルなアンサンブルとなり、6分過ぎにはフェッテスのヴォーカルとハウリングするギターが飛び込んで終えている。2曲目の『天国への道程』は、マッキノンのキーボードとメイソンのギターを中心としたブギーロック。フェッテスのヴォーカルを中心としたハーモニーが素晴らしく、1960年代後半の英国ロックを彷彿とさせる内容になっている。3曲目の『ヘルパー』は、静かな雰囲気からメイソンのギターワークとフェッテスのエフェクトを多用したヴォーカルが冴えたサイケデリック要素のある楽曲。後半にはピアノやパーカッションにコンガを使用しており、派手なブギーロックを聴かせてくれる。4曲目の『モーニング・サンシャインを聴いて』は、フォーク調からアップビートするヴォーカル曲。ドライブするベースラインとメイソンの素晴らしいギターが加わり、よりヘヴィに変化しているのが印象的である。5曲目の『グッバイ・ロリポップ』は、国内シングルチャートでトップ40入りを果たした楽曲。ハーモニーを活かしたポップな楽曲だが、キーボードやギターを複雑に組み込んだアレンジは聴きどころがある。6曲目の『リトル・アーネストへの歌』は、メイソンのギターワークとスペイシーなキーボード、そして何よりもアルバムの中でも最高のフェッテスのヴォーカルが堪能できる楽曲。アメリカンロック並みのコーラスワークも素晴らしく、テクニカルなリズムセクションも魅力的である。7曲目の『12ポンドの歯ブラシ』は、アルバム発表後にリリースされたシングル曲であり、こちらもマダー・レイクを代表する楽曲。タイトなリズムとジャジーなギター、スペイシーなキーボードが飛び交うハードロックとなっている。観客と一緒に歌える「ナナナナ…♪」というヴォーカル箇所はライヴで盛り上がるところらしい。こうしてアルバムを通して聴いてみると、アメリカのカントリーブルースに近いギターワークとブリティッシュロック風のキーボード、そしてジャジーで的確なリズムセクションによる独特のサウンドを創り出している。そのブルースとサイケデリックを融合したサウンドは当時、最も革新的であったとされ、後にオーストラリアの最初期のプログレッシヴロックの不朽の名作とされている。

 アルバムはオーストラリアのアルバムチャートで最高13位を記録し、2枚目のシングル『12ポンドの歯ブラシ』はライヴで定番の曲となり、マダー・レイクの代表的な1曲となる。しかし、キーボーディストのジョン・マッキノンが脱退し、代わりにアンディ・コーワンが加入。1974年4月にセカンドアルバム『バタフライ・ファーム』をリリースしたが、アルバムとその関連シングルは初期のアルバムほど商業的な成功を収めることができなかったという。そんな中、西オーストラリア州パースに拠点を置いていた英国の指揮者デヴィッド・ミーシャムは、英国の作家であるオルダス・ハクスリーのSF小説『すばらしい新世界』のテーマ曲としてマダー・レイクに依頼する話が舞い込んでくる。デヴィッド・ミーシャムは天才キーボーディストであるリック・ウェイクマンの『地底探検』のアルバムで共演した指揮者である。しかし、オーストラリア放送協会が間に入って資金提供したことで、マダー・レイクとのプロジェクトが停滞。その期間にキーボーディストのアンディ・コーワンとヴォーカリストのミック・フェッテスが脱退してしまう。フェッテスはコメディアンのシェーン・ボーンとバンディクーを結成することになる。代わりのヴォーカリストに一時コリン・セッチズが担当したが、初期のキーボーディストであるジョン・マッキノンが復帰し、ヴォーカルを兼ねることになる。しかし、今度はベーシストのケリー・マッケンナが脱退し、代わりにイアン・ホールディングが加入。シングル『アイ・ゲット・ハイ』をレコーディング後、マダー・レイクはマッシュルーム・レコードから離脱することになる。その後、ケリー・マッケンナが復帰するものの時すでに遅く、グループとしての活動はできなくなり、1975年末に休止を余儀なくされることになる。メンバーは離散してしまったが、1982年にレコード会社創立10周年を記念した『マッシュルーム・エボリューション・コンサート・ライヴ・アルバム』に3曲を提供するために再結成している。その後は音沙汰なかったが、1996年にツアーに戻り、1998年に開催された『マッシュルーム25ライヴ:ザ・コンサート・オブ・ザ・センチュリー』に出演。その後にグディンスキーはマッシュルーム・レコードをフェスティバル・レコードに売却したことにより、マダー・レイクの2枚のアルバムはアステカ・レコードからCDとして2008年に再リリースされることになる。2008年11月に、フェッテス、クリーマーズ、メイソン、マッケンナに新キーボーディストとしてアンディ・バーンズが加わった新生マダー・レイクを再結成。クイーンズクリフ音楽祭のヘッドライナーを務めたのを皮切りに活動を開始し、2013年に39年ぶりのアルバム『ワールド』をリリースする。このアルバムは最も空白期間の長いロックアルバムとして記録されている。2年後にはチャリティーギグやライヴにも積極的に活動をしてきたが、2016年11月18日にヴォーカリストのミック・フェッテスが65歳で亡くなったことで活動に終止符を打っている。


 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はカントリーブルースとサイケデリックな要素に、スペイシーなキーボードを組み込んだオーストラリアの最初期のプログレッシヴロックグループ、マダー・レイクのデビューアルバム『スティルポイント』を紹介しました。ちょうど英国のファミリーやトラフィック、キング・クリムゾンの影響を受けたような陰りのあるロックサウンドに、サイケデリックロックの毒気が加味されたと言っても良いと思います。ヴォーカル曲と言ってもインスト中心の楽曲が多く、リズムチェンジが多用されるなどアンサンブルの作りが凝っていて、思った以上に神秘的な広がりがある内容になっています。とにかくブルージーなギターと的確なリズムセクションが楽曲の肝と言っても良く、そこにアメリカナイズされたような明朗なヴォーカルハーモニーが、1960年代の音楽を引きずっている感があります。英米の音楽を取り入れてはいますが、あまり時代に左右されない曲が多いのもオーストラリアという国の特徴なのかもしれません。

 さて、マダー・レイクが最初に契約したというマッシュルーム・レコードは、1972年にマイケル・グディンスキーとレイ・エヴァンスによってメルボルンで設立されたオーストラリアのレコードレーベルです。1973年のサンベリー・ポップ・フェスティバルの主催者であり、そこからマダー・レイクの他にエアーズ・ロック、マッケンジー・セオリーといったロックグループをデビューさせています。一時は低迷しますが、スカイフックスというグループの成功によってオーストラリアのトップレーベルにのし上がっています。スカイフックスのデビューアルバム『リビングイン・ザ・70's』は、それまでにリリースされたオーストラリアのレコードとしては最大の売り上げを記録したと言います。1998年にはフェスティバル・レコードに売却してしまいますが、グディンスキーにとってマダー・レイクというグループは特別な思いがあったようで、定期的にメンバーを呼び集めて再結成の手伝いをしたと言われています。中でも1998年に開催された『マッシュルーム25ライヴ:ザ・コンサート・オブ・ザ・センチュリー』は、最初からマダー・レイクを組み込んだツアーを計画していたそうです。そのために再度メンバーを集めたというから凄いです。確かにレーベル1号の彼ら無しでは考えられなかったということなんでしょうね。

 

 本アルバムはブルージーなサウンドの中にサイケデリックロックの毒気を加味した独特のプログレッシヴロックです。欧米の音楽を貪欲に取り込むオーストラリアの懐の深さが垣間見れる面白いアルバムです。

それではまたっ!