【今日の1枚】Egg/The Polite Force(エッグ/優雅な軍隊) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Egg/The Polite Force
エッグ/優雅な軍隊
1971年リリース

クラシカルな中で独創的な音作りに挑戦し
カンタベリーサウンドの萌芽が感じられる傑作

 元「Uriel(ユリエル)」の後継グループとして、後にカンタベリーミュージックの中枢を担うキーボード奏者のディヴ・スチュワート、ベーシスト兼ヴォーカリストのモント・キャンベル、ドラマーのクライヴ・ブルックスのトリオで結成されたエッグのセカンドアルバム。そのサウンドはクラシカルな要素が強かったファーストアルバムよりも、さらに独創的でアヴァンギャルドな音作りに挑戦した楽曲になっており、深い音楽性と柔軟なアプローチのあるディヴ・スチュワートと複雑な展開を好むモント・キャンベルの凄まじいエネルギーが感じられるアルバムとなっている。テクニカルで洗練された楽曲の多いハットフィールド&ザ・ノースとはまた違い、メンバーのやりたいことが集約された隠れた名盤として今なお評価が高い1枚である。

 エッグというグループはシティ・ロンドン・スクールというパブリックスクールに通うディヴ・スチュワートが、冴えない風貌で変わり者だったスティーヴ・ヒレッジ、そしてモント・キャンベルと出会ったところから始まっている。勉強はまるでダメだった3人が共通して興味を持っていたのが音楽であり、ヒレッジは独学でギターをキャンベルはベースやギター、ピアノを覚えていたという。グループ結成に動いた彼らは、メロディ・メイカー紙でドラマー募集の広告を出し、応募してきたクライヴ・ブルックスを加入させて、「Uriel(ユリエル)」というグループ名で活動を開始する。まだ学生だった彼らは当時、クリームやジミ・ヘンドリックスといったブルース調の音楽をはじめ、人気だったキース・エマーソン率いるザ・ナイスやサイケデリック性の強いソフト・マシーンやピンク・フロイドといった有名グループのアレンジ曲を演奏していたという。彼らは多くの大学でギグを行い、1968年にはワイト島のライド・キャッスル・ホテルを宿舎として、リハーサルやライヴ演奏をする毎日を送るようになる。その中でアーサー・ブラウンやフェアポート・コンヴェンションのサポートを行うようになって音楽的スキルを身に付けていったが、その年の夏にメンバーのスティーヴ・ヒレッジがケント大学に進学するためにグループを脱退してしまう。彼らはヒレッジの代わりにギタリストを募集してはオーディションを行ったが、彼ほどの腕前のあるギタリストが見つけられずに断念。残った3人はブルース調の音楽を捨てて、モント・キャンベルの多調性なハーモニーとクラシックの要素を取り入れたトリオ編成のグループとなる。彼らはロンドンのコヴェント・ガーデンにあったサイケデリック・クラブ“ミドル・アース”で、出演するグループのサポートを務めていた際、ミドル・アースのマネージャーがユリエルのマネジメントをぜひ行いたいとの申し出があったという。彼らは喜んで承諾をしたが、マネジメントをする条件としてグループ名の変更を余儀なくされる。理由は「Uriel(ユリエル)」では奇妙すぎてしまい、何よりも「Urinal(しびん)」の響きと酷似していたからである。

 1969年にグループ名をエッグに改めた3人は、ミドル・アースに所属するグループとなり、ギグではストラヴィンスキーやホルストのクラシックの要素を取り入れたオリジナル曲をプレイするようになっている。トリオグループとしての知名度も高まりつつあった時に有名な話として、脱退したスティーヴ・ヒレッジを加えたユリエルの4人が再結集して“Arzachel(アーザケル)”名義でアルバムをレコーディングをしている。これは企画アルバムとして制作を打診されたものだが、彼らにとって初めてレコーディングを行った作品となっている。BBCのラジオセッションやBBC2のマイケル・パーキンソンの「カラー・ミー・ポップ」のテレビに出演したエッグは、後にデッカ・レコードとの契約の話が持ち上がり、マネジメントを通じて最終的にデラム/ノヴァレーベルと契約をしている。こうして1969年10月にランズドワン・スタジオに入った3人はファーストアルバムのレコーディングに入り、1970年3月にデビューアルバムがリリースされる。そのアルバムはモント・キャンベルの楽曲をベースに、ディヴ・スチュワートのクラシカルでサイケデリックなオルガンが鳴り響く内容となっており、後のカンタベリーミュージックにも通じる複雑なプレイが堪能できる傑作となっている。その後、ミドル・アースのギグでも順調な人気を獲得していったエッグだったが、セカンドアルバムのレコーディング後に事態は一変する。なんとデッカレコードがアルバムのリリースを突然拒否してきたという。彼らはデッカから次のアルバムリリースの約束があったからこそレコーディングを行ったことを訴えたが、後で分かったことはデッカのレコード部門の営業が契約課に話を通していなかったという酷いものだったという。最終的にプロデューサーであるニール・スレイヴンの説得もあって、レコーディングから8か月後の1971年の2月にセカンドアルバム『優雅な軍隊』が無事リリースされることになる。アルバムはクラシカルな要素だけではなく、より独創的な音作りに挑戦するなど、グループの成長ぶりがうかがえる作品になっており、ディヴ・スチュワートとモント・キャンベルの深い音楽性と柔軟なアプローチによるカンタベリーミュージックの萌芽が感じられる傑作となっている。

★曲目★
01.A Visit To Newport Hospital(ニューポート病院への訪問)
02.Contrasong(コントラソング)
03.Boilk(ボイルク)
04.Long Piece No.3:Part1(小品集 第3番:パート1)
05.Long Piece No.3:Part2(小品集 第3番:パート2)
06.Long Piece No.3:Part3(小品集 第3番:パート3)
07.Long Piece No.3:Part4(小品集 第3番:パート4)

 アルバムの1曲目の『ニューポート病院への訪問』は、ダウナー系のヘヴィなサウンドから始まり、ディヴ・スチュワートのモジュレイターを通したようなクラシカルでアヴァンギャルドなオルガンを中心とした楽曲。モント・キャンベルが作詞を担っており、ユリエル時代のワイト島のホテルでの体験談を歌っている。最後は再度ダウナー系のヘヴィなサウンドで幕を閉じている。2曲目の『コントラソング』はレコーディング時にゲストで参加したヘンリー・ロウザー(トランペット)、ボブ・ダウンズ(サックス)ら4本のブラスを加えたシンフォニックジャズ。3枚目のアルバム『ザ・シヴィル・サーフィス』に収録されている『ウインド・カルテット』にも通じる変拍子満載の楽曲になっている。3曲目の『ボイルク』は、9分に及ぶ楽曲になっており、多彩な楽器群が鳴り響く中で、J・S・バッハの『アダムの罪によりすべては失われぬ』が組み込まれた実験性の高い楽曲。最初にこぼれるような水音が響き、鐘の音やグロッケンシュピールの響き、オルガンによる不協和音、早送りしたようなドラミングといった音が渾然一体となっている。4曲目の『小品集 第3番』は4つのパートに分かれた楽曲になっており、モント・キャンベルが作曲している。パート1はクライヴ・ブルックスによるリズムを主体とした楽曲から始まり、その上を不協和音に近いディヴのオルガンが鳴り響く。ここではキャンベルもオルガンとピアノを担当しており、ダブルキーボードで臨んでいる。途中からディヴ・スチュワートのアヴァンギャルドなピアノの連続性とオルガンによる多重録音したと思える楽曲となり、ユニークでありながら以外にもハーモニーとなっているのに驚いてしまう。パート2はピアノとオルガンによるクラシカルな楽曲となっており、多重録音で臨んでいる。転調と緩急のあるサウンドでありながら優雅な雰囲気にさせてくれる曲である。パート3は複雑なリズム上で奏でるオルガンがドラマティックであり、後にカンタベリーミュージックの中枢となるディヴ・スチュワートの深い音楽性と柔軟なアプローチが垣間見える演奏になっている。パート4は変拍子を湛えた複雑な即興性のある楽曲。彼ら3人の技巧的なアンサンブルが垣間見える内容になっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、ファーストアルバムに収録していた組曲より散漫とした箇所も見受けられるが、1つのテーマを軸に非常にバラエティに富んだインプロゼーションが飛び交う構成になっていると思える。このあたりは前作がザ・ナイスに通じた音楽性から、明らかにエマーソン・レイク&パーマーに通じた音楽性に変化している。そういう意味では彼らのグループとしての成長が感じられ、なおかつスリリングさを併せ持った演奏テクニックが格段にアップしたということだろう。

 アルバムがリリースされた時期のメンバーは一度アルバムのリリースを断られたことで意気消沈し、それに並行するようにギグの回数も減っていったという。エッグはロンドン近郊のみでライヴ活動を行い、再度BBCのセッションに出演している。その後、ディヴ・スチュワートはヘンリー・カウのクリス・カトラーとジャズ・オーケストラのオタワ・ミュージック・カンパニーを設立し、メンバーを含む大編成によるコンサートも開いている。ちなみに1972年のエッグのBBCセッションでは、後に再結成してリリースする『ザ・シヴィル・サーフィス』に収録される『エニアグラム』や『ジャーム・パトロール』も演奏されたという。一度はBBCセッションの模様を収録したライヴアルバムをリリースする計画もあったが、ディヴが出来が悪いという判断で見送られている。その後もデッカとの関係は修復されないまま悪化が続き、モント・キャンベルが本格的にフレンチ・ホルンを学ぶためにロイヤル・カレッジ・スクールに進学する決意をしたことで、1972年7月にエッグは解散することになる。ドラマーのグレイヴ・ブルックスは後にグラウンド・ホッグスに加入して活躍。ディヴ・スチュワートはユリエル時代のメンバーだったスティーヴ・ヒレッジのグループ、カーンのレコーディングにゲストとして出演し、その後はハットフィールド&ザ・ノースのキーボード奏者として活躍していくことになる。その活躍の中、所属レコード会社のヴァージンレコードからメンバーのソロ作の打診があり、ディヴ・スチュワートにも声がかかる。しかし、ディヴは自身のソロアルバムよりも悲願だったエッグのサードアルバムの方を選択。エッグが再結成され、ヴァージンレコードのサブ部門であるキャロラインレコードより、1974年に『ザ・シヴィル・サーフィス』がリリースされる。このアルバムの録音にはかつてのキャンベルやブルックスをはじめ、ハットフィールド&ザ・ノースでも活躍したコーラス隊、アマンダ・パーソンズが参加しており、ジャズや現代音楽、クラシックをも取り込んだエッグらしい多様性のある楽曲になっている。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はディヴ・スチュワートやモント・キャンベル、グレイヴ・ブルックスといった好奇心にあふれたミュージシャンが結集したエッグのセカンドアルバムを紹介しました。本アルバムはカンタベリーミュージックを好んで聴いていた時期にファーストと合わせて購入したものです。エッグのアルバムを聴いて思ったのは、ジャズロックをベースに超絶テクニックを披露するハットフィールド&ザ・ノースやナショナル・ヘルスとは違い、エッグはクラシックやジャズ、サイケデリックといったバラエティに富んだサウンドを取り入れています。ストレートに自分たちのやりたいことを実現したアルバムと言っても過言ではないです。これはメンバーが学生時代からの友人であったからこそ自由奔放な演奏が可能だったのだろうと思います。演奏に高い技術を求められるハットフィールド&ザ・ノースの中にいたディヴ・スチュワートが、自身のソロアルバムよりも再度エッグのアルバムを作りたいと思ったのも、少しだけ分かるような気がします。

 さて、本アルバムは複雑な構成と展開を好むモント・キャンベルが作曲した楽曲が多く、そこにディヴ・スチュワートが柔軟にオルガンやピアノで応えた内容になっています。自由奔放でアヴァンギャルドな展開が多いですが、きちんとひとつのテーマを軸に作られています。3曲目の『ボイルク』はファーストアルバムにも同名の曲がありますが、非常に実験性の高い楽曲であるにも関わらず、バッハの曲が織り込まれているというカンタベリーミュージックらしいユーモアがあります。このアルバムは当時、音楽評論家によって意見が割れた作品として有名で、ディヴ・ウイリアムズは「エッグというグループは、自分たちの理想とする音楽を信念を持って追求しているし、独特の想像力を兼ね揃えている」と評しています。一方、ロン・ゴダードは「趣味が悪く酷く退屈で、うんざりするほど凡庸である」とバッサリです。これはカンタベリーミュージックを知らない人が実際にアルバムを初めて聴いた時の感想に似ています。クールというより「何だこれは?」という感じです。でも、複雑なリズムの中でインプロゼーションが展開する構成とちょっとしたユーモア、そして何よりも後のハットフィールド&ザ・ノースで活躍するディヴ・スチュワートのオルガンやエレクトリックピアノのトーンを聴くと、カンタベリーサウンド好きにとっては思わず感激してしまいます。そういう意味ではカンタベリーサウンドの中枢を担うディヴの懐の深い音楽性と柔軟なアプローチが垣間見える作品であり、それを引き出したのがモント・キャンベルということになりますね。

 クラシックにとどまらず、ジャズやサイケデリックな音楽を取り入れた多様性のあるサウンドが魅力のアルバムです。後のカンタベリーサウンドの萌芽が感じられるユニークな作品をぜひ、聴いてみてほしいです。

それではまたっ!