誤った選民意識 | メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240401-OYT1T50207/


社会とは、様々な職種で構成されて成立している。
その社会の規模が大きくなればなるほど、その職種は細かく分かれていき、専門的な知識や技術を求められるようになりますが、それは原住民と呼ばれる人の小さな社会と比較してみると分かりやすい。





仮に50人程度で構成される原始社会で考えてみると、例えば家を作るとしたら、力仕事が出来るまでに成長した男性達が集まって、木を切り倒して柱や梁を作り、土地を整地して棟上げをして、屋根や壁を作っていく。
ではそのような男性達が、家を作る専門家なのかと言えば違う訳で、狩りに行ったり漁に出たり、はたまた夜の見張りに出たりと、様々な事をこなしていかねばなりませんから、エキスパートよりマルチな人、たとえそこに上手い下手があったとしても、何でもこなせる事が求められる訳で、これは女性であっても同じ。
マルチな人達の集まりだからこそ、共有や共同が求められる訳で、俗に言う原始共産制とは、小さな集団でしか成り立たない。




では現在の日本社会は、原始社会と同じような小さな集団だろうか?
言わずもがな今の日本社会は、巨大な集団なんですけど、巨大な集団を成立させる為には、何かに特化した専門的な職種というのが求められる訳で、例えば農業を例にしますが、サラリーマンが家庭菜園で野菜を育てる事は可能ですけど、サラリーマンが家庭菜園を沢山作ったとしても、今の日本社会を安定的に支えるだけの野菜を得る事は出来ない。
一戸建てで小さい庭でもあれば、庭でニワトリを飼う事も可能ですし、もっと広い庭でもあれば、豚や牛を飼う事も可能でしょうが、サラリーマンが世話をしながら働きに出られるかと言えば、そんな事は不可能である。
家を新しく建てるとして、建築基準法に則った家を、自分達の仲間だけで建てる事も不可能ですが、ではなぜ今の日本社会が成り立っているのかと言えば、様々な職種、様々な専門家が存在しているからであって、様々な職種や専門家の中で、知識の優劣や腕の良し悪しを比較する事は出来ますが、異なる職種や専門家を、異なる分野の人が自分と比較する事はナンセンスなのだ。




さて川勝知事の発言を見る限り、前の文脈から出た発言とは言え、そのような発言をする事自体がナンセンスであるし、言葉をもって舵取りをする政治家としてもナンセンスである。
そもそも政治家という存在自体が、大きな社会であるからこそ求められる「専門家」ですが、政治家という専門家に求められる資質とは、広い視野と見聞であって、今の日本社会を構成する様々な職種や専門家が、どのような物を求めているのかとか、それらが社会に対して、どのように絡み合っているのかとか、そういった事を理解しようとせず、自分達のみがエリートであると勘違いしている政治家は、政治家として質が低い。
県庁職員は、行政に携わる為の知識や経験を求められるのは確かだが、「専門家」としての知識や経験を求められるのは、どのような職種においても同じである事すら理解出来ないのであれば、それは川勝知事が、間違った選民意識を持っているからだろう。




政治家や行政が、間違った選民意識で政治を行うとどうなるか?
例を上げるとしたら、川勝知事の大好きな中国のように、人口を遥かに上回る部屋数の住宅を建てる事を許すようになりますが、高い知性の持ち主である川勝知事には、そのような事は理解出来ないだろう。




このような人を、昔の人は「学者馬鹿」と言ったのである。