昨年、日本武道館大会を開催したのは元弱小団体だったDDTだけである。
その大会のメインイベントでは飯伏幸太という選手とケニー・オメガという選手が戦っていた。
中盤戦以降から何度も危ない場面や『死ぬんじゃないか!?』なんて場面もみられた。
だけど、心の何処かで懐かしさと何となく見慣れた光景だと感じた。
それはそうであろう。
昨年から遡ること約15年前後前の同じ日本武道館で、そこで行われていたのは
飯伏やケニーよりも30kg以上は体重のある男達が同じように危ないと思わせる場面が多々あったのだから
俗にいう“四天王プロレス”
当時の全日本プロレスはトップレスラーである天龍源一郎がメガネ屋さんに買われ、怪物・ジャンボ鶴田は病に侵され不定期参戦を余儀なくされ
残った選手はスタン・ハンセン、テリー・ゴディー、スティーブ・ウィリアムスといった“デカくて強い”ガイジン勢
鶴田&天龍の2トップが抜けた日本人はと言うと、若手からようやく抜け出したぐらいの三沢光晴と川田利明。これに若手で頑張っていた田上明と小橋健太
強固なガイジンに立ち向かう若い日本人4人
次第にガイジン相手に引けを取らなくなっていった4人は、日本人同士で熱いファイトを繰り広げ
いつの間にかガイジンが追いかける側に回っていた。
コーナートップからリングへの雪崩式やエプロンからの場外への断崖式
今じゃ当たり前に使われている技であるし、ネーミングであるが
四天王プロレスから生まれたモノであると記憶している。少なくとも流行したモノであると。
当時、ライバル団体の新日本プロレスは絶頂期で東京ドームで年に数回興行を行っていた。武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士と馳浩、佐々木健介のハセケンを中心に鶴田や天龍と同世代の長州力や藤波辰爾が元気であったし、加えてビッグバン・ベイダーやスコット・ノートンといった強固なガイジンもいた
この時代のプロレス団体は新日本と全日本、メガネ屋から派生したWARとデスマッチのFMW、ルチャのみちのくプロレス
これに格闘技系団体と女子プロ団体が3つ
そんな状況であるから
新日本に対抗するには肉体を駆使した激しいファイトを続けるしかなかったのかもしれない。
その闘いにファンは魅了され、求めるモノも過激になっていった
もちろん彼らとて生身の人間である。
あれから時は流れ
三沢光晴は死亡
川田利明はラーメン屋(本人的には飲食店)
田上明はお笑いファイト
いつしか四天王プロレスなんて言葉も忘れられていた。
何故か四天王プロレスからかけ離れた100kg未満の体重の軽い選手しか居ないジュニア団体・闘龍門(現・DRAGON GATE)を追っかけていた。
それでも、何処か消化出来ない自分がいた。
もう求めていなかったはずである。
けれど気にはなっていた。
そんな中、流れてきた昨年末の小橋建太引退の報
いくかどうか直前まで迷っていた。
でも行かないと終わらないと思ったので行った。
思えばジャイアント馬場もジャンボ鶴田も三沢光晴も引退試合はしないまま他界していった。
全日本プロレスの選手は引退試合は出来ないんじゃないかと思うぐらいに。
だから小橋健太はトップレスラーとしては初の引退試合かもしれない。(長州は復帰したし猪木は時代が違うので、前田は格闘家だし高田も違う気がする。)
惜しむらくはジャンボのテーマが鳴って、三沢コールが図らずも発生したにも関わらず
ジャイアント馬場に関しては小橋の発言のみだったことか
これで四天王プロレスは終わった。
本当に25年間ありがとうございました
その大会のメインイベントでは飯伏幸太という選手とケニー・オメガという選手が戦っていた。
中盤戦以降から何度も危ない場面や『死ぬんじゃないか!?』なんて場面もみられた。
だけど、心の何処かで懐かしさと何となく見慣れた光景だと感じた。
それはそうであろう。
昨年から遡ること約15年前後前の同じ日本武道館で、そこで行われていたのは
飯伏やケニーよりも30kg以上は体重のある男達が同じように危ないと思わせる場面が多々あったのだから
俗にいう“四天王プロレス”
当時の全日本プロレスはトップレスラーである天龍源一郎がメガネ屋さんに買われ、怪物・ジャンボ鶴田は病に侵され不定期参戦を余儀なくされ
残った選手はスタン・ハンセン、テリー・ゴディー、スティーブ・ウィリアムスといった“デカくて強い”ガイジン勢
鶴田&天龍の2トップが抜けた日本人はと言うと、若手からようやく抜け出したぐらいの三沢光晴と川田利明。これに若手で頑張っていた田上明と小橋健太
強固なガイジンに立ち向かう若い日本人4人
次第にガイジン相手に引けを取らなくなっていった4人は、日本人同士で熱いファイトを繰り広げ
いつの間にかガイジンが追いかける側に回っていた。
コーナートップからリングへの雪崩式やエプロンからの場外への断崖式
今じゃ当たり前に使われている技であるし、ネーミングであるが
四天王プロレスから生まれたモノであると記憶している。少なくとも流行したモノであると。
当時、ライバル団体の新日本プロレスは絶頂期で東京ドームで年に数回興行を行っていた。武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士と馳浩、佐々木健介のハセケンを中心に鶴田や天龍と同世代の長州力や藤波辰爾が元気であったし、加えてビッグバン・ベイダーやスコット・ノートンといった強固なガイジンもいた
この時代のプロレス団体は新日本と全日本、メガネ屋から派生したWARとデスマッチのFMW、ルチャのみちのくプロレス
これに格闘技系団体と女子プロ団体が3つ
そんな状況であるから
新日本に対抗するには肉体を駆使した激しいファイトを続けるしかなかったのかもしれない。
その闘いにファンは魅了され、求めるモノも過激になっていった
もちろん彼らとて生身の人間である。
あれから時は流れ
三沢光晴は死亡
川田利明はラーメン屋(本人的には飲食店)
田上明はお笑いファイト
いつしか四天王プロレスなんて言葉も忘れられていた。
何故か四天王プロレスからかけ離れた100kg未満の体重の軽い選手しか居ないジュニア団体・闘龍門(現・DRAGON GATE)を追っかけていた。
それでも、何処か消化出来ない自分がいた。
もう求めていなかったはずである。
けれど気にはなっていた。
そんな中、流れてきた昨年末の小橋建太引退の報
いくかどうか直前まで迷っていた。
でも行かないと終わらないと思ったので行った。
思えばジャイアント馬場もジャンボ鶴田も三沢光晴も引退試合はしないまま他界していった。
全日本プロレスの選手は引退試合は出来ないんじゃないかと思うぐらいに。
だから小橋健太はトップレスラーとしては初の引退試合かもしれない。(長州は復帰したし猪木は時代が違うので、前田は格闘家だし高田も違う気がする。)
惜しむらくはジャンボのテーマが鳴って、三沢コールが図らずも発生したにも関わらず
ジャイアント馬場に関しては小橋の発言のみだったことか
これで四天王プロレスは終わった。
本当に25年間ありがとうございました