悪が存在しない世界を想像してみましょう。
倒す「べき」悪が存在しないので、
正義の勇者は、世界を救う英雄/救世主になれないですね…。
正義の味方、正義の勇者が輝けるのは
引き立て役となってくれる「悪」がいてくれるからこそ。
「悪」が存在しなければ
正義もまた輝けず、その存在意義がなくなるのです。
救世主が輝けるのは
「助けを求める、か弱い存在」がいてくれるからこそ
「絶望的な状況」がそこにあってくれるからこそ。
「助けを求める、か弱い存在」
「絶望的な状況」が存在しなければ
救世主もまた輝けず、その存在意義がなくなるのです。
逆に言うと、人々が
「正義の味方」「世界を救う英雄や救世主」の出現を求め続ける限り
その対となる「悪」や「か弱い存在」「絶望的な状況」を生み出し続けます。
人々が、
「巨悪を討つ正義の味方がいないと、世界は良くならない」
「世界を救う英雄・救世主が現れないと、世界は良くなるわけがない」
と思い続けている限り、
そこに意識を向け続けている限り、その対立軸となる
「巨悪」
「救いを求める、かよわい人々」
「救われるべき困った状況」
を創造し続けることになります。
それが、二元論的なものの見方・とらえ方から生み出されるものであり、
僕たちの意識の力(=創造主としての力)であり、
宇宙の法則でもあります。
つまり、「正義の味方」や「世界を救う英雄や救世主」や
「神聖かつ大いなる存在」などへの依存心は
それらにもっと依存したくなる状況、、、
「巨悪」「救いを求める多くの人々」「生活苦、食糧不足、貧困などの苦境」を創り上げます。
もしも、こちらの記事をご覧のあなたが、
この3次元マトリックスから抜け出し
「目を醒ます」
「より世界の本質・真実を知る」
「愛と調和に満ちた世界で生きる」
という明確な意思があるのでしたら
そのパラドックスに気付く必要があります。
僕たちの意識の反映が、この世界の姿なので。
「正義と悪」というものは、
光と闇の分離が色濃い世界/次元において生み出された概念であり
一人一人の魂の学びのために、必要かつ必然ではあったのです。
が、新しい地球に向かっている魂・意識にとっての現状、、、
ことここに至っては、善悪の対立というものは
もはや「演劇」であり、「プロレス」であり、「茶番」です。
すなわち、善悪とは、
新しい地球に向かっている魂にとって
もうそのお役目を終えた「固定観念=思い込み=洗脳」であり
今やそれを手放し、昇華・統合し、卒業するときを迎えています。
また、あえて、救世主という言葉を使うのでしたら
「愛と喜びと調和に満ちた新しい地球を創る地球人全員と全ての存在が救世主」
「そこに何らかの形で携わる地球人全員と全ての存在が救世主」
だと思います。
僕たち地球人一人一人が
何ものにも依存せず、真に自立する意識を持ち
愛と調和に満ちた生き方を選択すれば、
「正義の味方」「世界を救う英雄や救世主」「大いなる存在」などにすがったり
そういう存在に救いを求めたりすることもなくなるでしょう。
そうすれば、その結果として
対となる「悪」「救いを求める人々」「困難で絶望的な状況」を
宇宙は(≒僕たちは)、もう新たに生み出さなくなるでしょう。
そこの『からくり』に気付き、
自分の意識を愛と調和の方向に
意識的に使う人が増えれば増える程
この世界は、愛と調和の方向にどんどん進んで行くでしょう。
そして、毎度、繰り返しになりますが、
ご覧くださっているあなたにとっての真実とは
・あなたが感じたこと
・思ったこと
・判断し見定めたこと
になります。
ご自身の感覚、直感、違和感を信頼なさってくださいね。
最後までお読みくださり、ありがとうございます!