詰所の心電図モニターの音が変わった。
130から140回打っていた音が急に60回前後に減っていた。
『今夜かもしれないなぁ…でも最初の時から縁があったから、見送ってあげたい…」と思った。

彼は去年の暮れに初めて入院してきて、その時は大量の出血がなかなか止まらず、何度も先生から危ないとご家族が説明を受けていた。

『これが最後かもしれないから、丁寧にお顔を拭いてあげたい。』と温めた蒸しタオルを持って病室に行った。
彼の周りにはたくさんのご家族が取り囲んでいた。
彼のすぐそばには長い時を一緒に過ごしてきた彼の奥さん、そうして、二人の娘さんと彼の長男さんとその3人の子供さんがいた。

彼の病気は重く、先生とご家族がよく相談されて、もう最期の時には無意味な延命処置はせず、静かに彼の旅立ちを見送ることになっていた。
病室には静かなふいんきが漂っていた。

彼のお顔を拭くために、奥さんのそばに行った。
「お顔を綺麗に拭きましょうね。」と声をかけて、ゆっくり拭いていった。

「本当に最初の時から、お世話になりました。あの時からもう何度も駄目かもしれないと言われながら、何とか退院出来て、お正月が出来なかった分、お盆はみんなが集まって楽しく過ごせました。魚釣りにも行ってたんですよ。」と奥さんが言われた。
「最初の時は本当に大変だったですね。でも本当に今まで頑張られましたね。
『よく頑張ったねとかありがとうね』って言ってあげた?」
「言ってないです……。」
「今ならまだ聴こえるかもしれないよ。もう最期になるよ。『大好きよ』って言ってあげなくちゃ。今言わないともう言ってあげれないよ…。」と奥さんに声をかけていた。

いつもいつも最期の時にはご家族にこう言って声をかける。
「大好きだったよ、愛してるよ、ありがとう。」って言ってあげてくださいねと。
それは患者さんのためというより、遺されて辛い悲しい時を今から過ごさないといけないご家族のためかもしれない。

「今までそんなこと言ったことないよ。」と戸惑われる方も、
「でも、言ってあげてくださいね。」と促すと恥ずかしそうにしながらも、一生懸命に何度も何度も声をかけられている。

「大好きだったけど、人の面倒ばかりみてて、もう少し家にいて欲しかったよ。」と奥さんが言われて、他のご家族の方が吹きだされていた。
「親父は面倒見が良かったからね。」と長男さんが笑顔で言われた。
別れは悲しいけど、和やかな空気が流れていた。

その時奥さんが、
「悪くなる少し前に『死ぬんだったら、ここの病棟で死にたい。』って言ってた。ここに来れて良かったってきっと思ってるよ。」って言われた。
その言葉を聞いて、急に涙が流れてきて、止まらなかった。嬉しかったけど悲しかった。

「○○さんは本当に穏やかで嫌な顔なんかされたことなくて、私たちに看護婦みんなから好かれていましたよ。
○○さんありがとうね。奥さんありがとうね。」
「ほかのみなさんにも伝えてくださいね。」と奥さんも泣いていた。

彼はその夜半にみんなに見守られて、静かに静かに旅立っていった。
穏やかな彼らしい旅立ちだった。