年始、今年の目標を設定する人も多いと思います。
新年で気分も新たに、いつにどれくらいまでなっていたいのかを書き出すことはわたしも好きです。
・〜な仕事をやってみたい
・〜な場所に行ってみたい
・〜に住んでみたい
この書き出す希望・野望を書き出すとワクワクして楽しいですよね。
でもね、一つ気付いたのですよ。
「できそうなことだけを採用している...」
小さい頃って、「何歳で結婚して、何人子供をうんで...」こんな会話を親や友達、親戚の集まりなんかで普通にしていたと思います。
だって、成長に伴って「身長が伸びます。」「体重が増えます」と同じように「普通」で「当たり前」のことだって思っていたからです。
わたしが育った田舎では20代に入ると適齢期になり、20代半ばで結婚をしていたら子供を産むことが普通で当たり前で、小学生の同級生の多くがこの事例に従っています。
30代が初婚の都心と違い、30代になったら行き遅れ、「何か問題があるのかしらね?」ということになってしまいます。
でね、達成したいことを書き出したことを見た時に、この3つがなかったんですよ
・好きな人とわたしの家族を築きたい
・子供を産んで育てたい
・綺麗で楽しいお母さんになりたい
ノートに書くだけなのに、なぜ書き出さなかったのかな?っておもった時、この言葉たちがでてきました。
「だって、わたし一人では家族は築けないから。相手あってのことだから」
「結婚したって、適齢期を過ぎているから、子供が授かるのか産めるのかもわからない。」
だったら、叶わなかったら恥ずかしいから、書き出すのをよそう。
え!!!!
これって今まで地道にやってたこ「小さいこと、些細なことでも、自分の希望を叶える。」に反することですよね。
・コーヒー今飲みたい
・散歩に行きたい
・運動してスッキリしたい
これらは「簡単にできるから」自分の中に望みがあると認めるけれど、結婚や妊娠出産は一人ではどうにもならないから、その気持ちがあることを認めないという取捨選択。
できそうなことだけを採用する=/=自分の気持ちを認める
これって、自分を丸ごと受け入れていないですよね。
ごめんね、わたし。
かっこよかろうが悪かろうが、恥ずかしかろうが何であろうが、自分にその希望がある、自分はこう思う、こう感じる。
「わたしはそう思っている。そう感じている。こうしたいんだ。」
自分がそう思っているんだ、ということに気付いてあげよう。認めてあげよう。
どんな恥ずかしいことでも、自分を丸ごと受け入れてあげよう