人に何かを聞かれて、言われてこたえたくないとき
「答えない」という選択肢がある
人に何かを要求されて、やりたくないとき
「応えない」という選択肢がある
貴女には「選択肢がある」んだよ
ある年の節分の夜のこと。
帰宅のため歩いていると、道に鬼のお面が落ちていました。
「え!しまった!!今夜節分だったの?!」
夜も遅く、もうスーパーはやっていません。うちには豆まきできる豆もありません。
「え〜〜〜、がっかり〜〜〜」
翌日に友人にその話をすると「豆まきしたかったの?」と聞かれました。(自然に思いますよね。)
「別に豆まきはしないけど、自分でするかしないかの選択がしたかった。その日が終わっちゃえば、選択できないじゃん」と私は答えました。
友達は呆れていましたが、「私は自分で選択したかった」のです。
なんなら、翌日でも「豆まきする!」って選択することもできたのですが、その時の私は、「その日がおわったら強制終了」と思っていました。
豆まきでも、ひな祭りでも、サーフィンでもなんでも自分が選択すれば、できるのです。
自分でない誰かが「やれ」と命令をしても、やりたくないことはやらないという選択もできるのです。
無理やりなにかをすると相手を嫌いになりますし、自分が磨り減り、自分をすり減らす回数が増えると、自分の感情がわからない不感症になります。そして何よりも大変なのは「自分を嫌いになります」。
一呼吸おいていいので、自分の気持ちを感じてください。
貴女には「選択肢がある」んです