(桜の木の下には死体が埋まっている?)
税務署からの不幸の電話の翌日、小野寺センセイから連絡があった。
「幸いお父上は『買い替え特例』は使っていなかったようです」
「じゃあセンセイの屁理屈、いえ高邁な理論が問題だったんでしょうか」
「いろいろ聞かれましたが、明確に否認はされませんでしたね」
その場のやりとりでは連中もはっきりと断言せず、追って沙汰する、ということになったのだそうだ。あ~辛気くさ。
それから2日後再びセンセイから連絡があった。
「本件これで終了だそうです」
「ということは・・・」
「これにて、一件落着~」
やった~。おカミにも、血も涙もあるらしい。
(凛々しいお姿 悪を許すな!がんばれ国税専門官)
ここからはセンセイの推測だが、土地の取得価格を証明する書類が存在しない今回の申告は所轄の税務署サマでもおそらく初めてのケースだったので慎重に対処なさったらしい。
「大切な売買契約書は皆さんきちんと持ってるでしょうからね~」
「よほどのおバカさん以外は、いえ、そうですね」
2024年3月現在我が国には8万1280人の税理士がいるが、その多くは法人税、所得税が専門で、小野寺センセイのように資産税(相続税・不動産譲渡所得税など)を得意とする税理士はごくわずからしい。
仮に今回のようなおバカがいたとしても、多くの税理士は機械的に「5%ルール」を適用するでしょう、とのこと。
5年前にたまたま小野寺センセイに巡り合った私は運がよかったのだ。
あ~ありがたや、税理士トモ(友じゃないって)。
「先生、次回は私が死んだ時ですから。エンディングノートに『相続手続きは小野寺先生に頼め』って書きましたから、よろしくお願いします」
「いや~(←照れてる模様)、ブログを拝見するとサックス始めたりお元気そのものじゃないですか」
「私に残された4940日、毎日モトをとろうと考えているんです」
「まさにメメントモリ(memento mori ラテン語で「死を忘れるな」)ですね」
(ピーテルクラース「ヴァニタス(=メメントモリの寓意画)」1630オランダ・マウリッツハイス美術館蔵)
やがてくる不可避の死にどう臨むか。
「メメントモリ」も古代ローマ期にはもっと享楽的な意味合い、つまり「生きてるうちに楽しまなきゃ(=私)」というニュアンスがあったらしいが、やがて「来世に備えて信仰を深める」という宗教的なプロパガンダに飲み込まれていった。
時を措かず我が国でも浄土教が普及し始めた平安期からその傾向が顕著になったことから、宗教が個人の信仰から宗教業へと変貌していく世界共通の過程が垣間見える。
(徒然草は悲観的メメントモリの集大成)
残り4940日を存分に楽しむために必要なものの第一は健康、それと同じくらい大事なものがカネである。センセイのおかげでこれからも毎日モトをとる生活がどうにか続けていけそうだ。
明日ありと
思う心のあだ桜
夜半に嵐の
吹かぬものかは
(メメントモリを追求する私の座右の銘)
(もうお目にかかれないのもさびしい限り)