子供の頃を思い出す味「カフェごはん空(そら)」へ | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(カフェごはん「空」のワンプレートランチ 

ナスの煮びたし(旨し)、ポテトサラダ、温泉卵、茶碗蒸し、つぼ漬け、サラダ、味噌汁

メインは鮭の西京焼き ご飯(五穀米みたいなヤツ)はお代わり自由)

 

 およそ1か月ぶりにAさんご夫妻に日本基督教団八ヶ岳教会に連れていっていただいた。

「今日はカレーの日じゃないですけど、いいんですか?」

 ったく、私が教会を訪れるのは無料カレーのためだと誤解しているらしいが、目的はあくまで山本牧師の説教で心のデトックスをするためである。

 

 教会に着くと山本牧師がきちんとした身なりで信者さん達を出迎えていた。

「こんにちは、またお邪魔します」

「あ、今日はカレーの日じゃないですよ」

 ったく、信者が信者なら牧師も牧師だ。

 

 さらにすれ違った顔見知りの信者さんまで、

「あら、今日はカレーの日じゃないのにどうしたんですか」とおっしゃる始末。ったく牧師が牧師なら信者も信者だ。

 私の名誉のためにはっきりさせておくが、私がこれまで教会を訪れたのはカレーのない日が今日を含めて4回、一方カレーの日はわずか2回に過ぎない。

 こんなに人を見る目がない人たちばかりで教会の運営は大丈夫なのか。老婆心ながら教会の先行きが心配になった。 

 

 この日は「カレーの日」ならぬ「清掃の日」ということで、皆さんで礼拝堂と集会所を掃除する日らしい。「カレーを信仰する男」の汚名を返上する絶好の機会がやってきた。

 一番目立つ床拭きモップを小脇に抱え、ひらりひらりとイナセに舞う様は江戸の町火消しの纏姿もかくやとばかりの男伊達、我ながらオトコの色気に溢れている。

 

(こんな感じ 町火消は力士、歌舞伎役者と並んで江戸時代のスターだった 豊原国周「東京十二伊達競」より)

 

 ところがカレーほどには注目も浴びず、徒労感だけが残る結果となった。

 ぐったりした私はAさんの奥様の運転で「カフェごはん『空(そら』」へ。ここを訪れるのは2年ぶりのことである。

(玄関口のおことわりは健在だった)

 

 「空」のワンプレートランチは主菜を肉か魚か選ぶスタイルである。この日の肉は「鶏つくね」、魚は「鮭の西京焼き」。

 なんだか魚はいつも鮭の西京焼きのような気がするが、と言って鶏つくねは焼き鳥屋のイメージが強すぎてご飯のおかずとしては受け入れられない。そんなわけで西京焼きに。

 

(Aさんご夫妻が選んだ巨大鶏つくね 「鶏ハンバーグ」というネーミングだったらこっちを選んだだろう)

 

 子供の頃おばあちゃんの家で食った昼ごはんのような、優しく懐かしい味わいに私の傷心が癒されていく。

 結局ああでもない、こうでもないと小高い丘の上にある店のテラス席に陣取って2時間近く話し込んでしまった。

 

 

(コーヒーとデザート(ブドウのゼリー)これでしめて1650円なり)

 

 Aさん(妻)によると、ここのお弁当は同じ値段で肉と魚両方がつくとのこと。

 今度はそれにして家で食ってもいいな、そんな思いで店を後にした。

 

 

(高台のテラス席から北側の中村農場を望む 気持ちのよい場所だが南風の時になんかの加減で店の南側にある中村農場養鶏場の匂いが押し寄せてくる時があるのが玉にきず)