家造りの工夫③「シンボルツリー」は何がいい? | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

 「シンボルツリー」なるものが人口に膾炙し始めたのは1980年代後半、それまで団地住まいだったサラリーマンがバブル景気に後押しされて雪崩を打つように私鉄沿線の一戸建て建売住宅に移り住んだ頃からであろう。

 念願のマイホームを手に入れた彼らがまずやることといえば、ペットを飼うこと、それから庭にシンボルツリーを植えることだったわけである。

 

(私鉄沿線スノビズムを象徴するドラマ「金曜日の妻たちへ」(TBS)

 放映開始は奇しくも「戸塚ヨットスクール事件」が起きた1983年 これ以降今日に至るまで我が国は

 一億総白痴化路線をひた走ることになる)

 

 この時期に建てられた家には大きな特徴がある。

 ひとつは出窓があること、もうひとつはシンボルツリーとしてハナミズキが植えられていることである。

、 

(我が家の近所でもハナミズキは実に多い それもほとんどが一本立ちだ) 

 

 出窓の最大のメリットは出幅が50センチ以内であれば床面積に算入されないこと。20年前に建てた杉並の我が家も悪ノリして4か所に出窓をつけたのだが、その感覚で八ヶ岳南麓の家でも出窓をつけるよう工務店に頼んだところ大笑いされた。

 「ゆるふわさん、この辺の家をよ~く見てみろし。出窓の家なんかひとっつもないよ。それから雨どいも

雨戸もないからね」確かに彼の地では出窓でチマチマ容積率を稼ぐ必要なんてありはしない。

 その後防火規制が厳しくなったこともあって出窓はほぼ廃れてしまった。かつて人形や花がきれいに飾られていた出窓も住人が70代、80代になった今ではティッシュやら常備薬やらのガラクタ置き場に身をやつしている。

 

 一方のハナミズキだが、あの時期に何故流行りだしたのだろうか。

 あくまで推測だが、都や区が街路樹をプラタナスからハナミズキに変更したことがきっかけで「きれいな樹だね」と人々の目に留まりだしたのだろう。そんなこともあってハナミズキには一本立ちが多いものと思われる。

 

 (大泉の我が家のハナミズキも一本立ち 八ヶ岳南麓ではせめて株立ちにしなくちゃ)

 

 そのハナミズキが凋落した理由は飽きられたことと、落ち葉の始末が大変なことにある。

 代わって人気があるシンボルツリーは常緑樹、中でも一番人気はシマトネリコだという。

 

 

 (我が家の近辺でも最近はシマトネリコが目立つ)

 

 シマトネリコはそれほど巨大にならず、葉っぱもほどほどに茂ってシンボルツリーにはうってつけだ。

 ただ、黒やグレーを多用したスタイリッシュな外観の家にはマッチするが、どちらかといえばカントリー調の我が家ではどうだろう。

 

 二拠点居住の我が家では植栽は常緑樹がよい。

 他に人気がある常緑樹といえばレモン、ナツミカンなどの柑橘系だが、これは年々鬱蒼としてくる、という難点がある。

 

(シンボルツリー以前から果樹として人気のある柑橘系だが玄関前に植えたりすると大変なことに)

 

 散々悩んだ挙句、オリーブの木を植えることにした。

 青みがかった淡い緑がなんとも優しい印象のオリーブ。東京でもスクスクと育っている例をいくつも見ているから寒さの心配は要らない。

 

 シンボルツリーをオリーブに決めたことで、外壁の色、敷石のデザインなども一気にイメージが膨らんできた。やはりシンボルツリーには「シンボルツリー」と呼ばれるだけの意味がある。

 

(オリーブの巨木、といっても鬱蒼とした感じはない)

 

(鉢植えのオリーブをシンボルツリーにしている例も)