圧倒的な強さで制圧しないと何が起こるか分からない
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自分の書いた本をたくさんの人に読んでほしいと思う。勧めて断われたら平静でいられないかもしれない。しかし、買うのを拒めば症状が悪くなる恐れがあるからといって、読まないであろう本を買うのも変ではないか、とその時私は思った。本の内容に興味がなくても、買ってあげなくては、と思ったとしたら、その時築かれる対人関係は縦関係である。幸い、私が断わったことでその人の症状が悪くなったという話はその後聞かなかったのだが、世の中の人は皆が自分の本に必ずしも興味をもっているわけではないということを学ぶということも大切なことではないか、と思ったものである。思いやりが大切なことだとされる。人の気持ちは黙っていてもわからないといけないと思った時、その人と築かれる対人関係は縦関係である。なぜならその時、相手は何か要求があったとしても自分で言葉を使って要求できないと見なしているということであり、そのような相手よりも自分は優位に立っていると考えているということだからである。他方、人の気持ちは黙っていてもわかるべきだと考える人は、自分の気持ちが人に伝わらなければたちまち攻撃的になるかもしれない。黙っていたら何も伝わらないのは自明だというのに。


子どもが勉強しないからといって親がそのことで困るわけではない。勉強していなければ志望校の選択の範囲が狭まるかもしれない。進学しないで就職の道を選ぶことになるかもしれない。しかしそれらはすべて子どもの課題である。総じて、親の課題を子どもに解決させることはできない。多くの親が、子どもが勉強をしなかったり、学校に行かなかったりすると、あなたのためを思って、という。子どものことが心配なのは親の課題である。私が心配だから学校に行ってというのならまだしも筋は通っているが、子どもにしてみれば親の課題のために親の願いを受けなければならない理由はない。親子関係のみならず、対人関係のトラブルは人の課題にいわば土足で踏み込む時に起こる。自分で考えがあって他の人とは違う人生を歩んでいる人に、必ずしも悪意ではないにしても、例えば、結婚しないの?とか、そろそろ子どもを作った方がいいんじゃない?というようないい方をすると、そんなふうにいわれた人は自分の課題に踏み込まれたと感じるだろう。赤ん坊は生きていくために親を使って食べ物を口に遥ばせなければならない。そうしないと生きていけないのであり、そのために人を道具にすることを覚える。