ご無沙汰しすぎでしたね!
単にアメーバブログのアクセスのしかたが、わからなくなっていたという、それだけのことなんですが、久しぶりにあけてみたら、びっくり。ものすごく、粗末なブログになっている。
あわててピンクにしてみました。しかも、アクセスが毎日、すごいあるみたいで、更新してないのに、読んでくださってありがとうございます。
おかげさまで震災以降にたいへん不調だったリウマチですが、小康状態となり、掃除もできるまでに回復しました。
元気なときはトライアルいらないので、ブログ更新しないんですけどね!
さて、不調時にものすごいいろんなトライアルしてましたので、どんどん書いていこうと思っています。
行ったところで、おもしろかったのは、『超能力者』。
もう、リウマチ関係なくて、趣味の範囲になってきたんですが、
やっぱり周囲のリウマチの方で、「治るといわれてだまされた」「お金をとられた」という人が多いんですね。
なので、どんなものかと思って、どんどんその手のものに行ってみてます。
ただし、このブログのコンセプトどおり、
「高いものは知らん。」
です。
みなさ~ん、もし「治る」とか言われて、高かったら、その時点でやめるんですよ!
いいものは、安いのです!
むかしのブログではけっこうかっこいいことを言っていました。
「明日死ぬとして生きよう」
とか。
しかしですね、甘かった。
今回の地震のとき、会社はものすごい揺れました。
会社の女性は「ああ、もうこの皆で死ぬ運命なんだ。」
と思ったそうです。
わたしは震災の経験があったので、そこまでは思わなかったですが、
ただ、「わかったつもりでいたけど、人間ってやっぱり死ぬんだわ。」
と思いました。
それで、大袈裟なのですが、本当にそれ以来、人生観が変わりました。
本当に明日死ぬと思っていたら、具体的に何やるか、当時はわかっていませんでした。
でも、今は違います。
具体的には、部屋の片付けを本気でやりました。持っていけないものは持たない。
あと、家族や友達に「いつでも会える」と思うのはやめました。
ホントに明日死ぬんなら会えないですからね。だから、毎日誰かと会う、笑う、話す。
あと、ほしい物を我慢するのはやめました。本当に好きなものに囲まれよう。
偽善者になるのをやめました。自分のできることだけをやろう。
きっと小さいことが大事なんだと。
「明日死ぬとして生きよう」
とか。
しかしですね、甘かった。
今回の地震のとき、会社はものすごい揺れました。
会社の女性は「ああ、もうこの皆で死ぬ運命なんだ。」
と思ったそうです。
わたしは震災の経験があったので、そこまでは思わなかったですが、
ただ、「わかったつもりでいたけど、人間ってやっぱり死ぬんだわ。」
と思いました。
それで、大袈裟なのですが、本当にそれ以来、人生観が変わりました。
本当に明日死ぬと思っていたら、具体的に何やるか、当時はわかっていませんでした。
でも、今は違います。
具体的には、部屋の片付けを本気でやりました。持っていけないものは持たない。
あと、家族や友達に「いつでも会える」と思うのはやめました。
ホントに明日死ぬんなら会えないですからね。だから、毎日誰かと会う、笑う、話す。
あと、ほしい物を我慢するのはやめました。本当に好きなものに囲まれよう。
偽善者になるのをやめました。自分のできることだけをやろう。
きっと小さいことが大事なんだと。
被災者に対して、ついつい、がんばってください!とか、言ってしまいがちです。
あと、義援金を送らないと!物資を自分で運ばないと!
とか
自分がいまできることは何かと考えてメールを出す!
とか、やってしまいがちです。
でも、実際に被災地に行ったことがある方はわかると思いますが、かなり悲惨です。戦場跡のようで。
しかも、今回は地震だけではなく、津波に原発。そんな中、生きていくことはものすごい大変です。
親しい人が死んでしまった悲しさで息をするのさえ、がんばってる中で、やっぱり、被災してない立場だから、がんばれって言ってしまうんだと思う。
別に自分が悪いわけではない、だからそれ以上がんばらなくていいんですよ、と心の底から言ってあげたい。
わたしは持病があるから率先して物資を運ぶこともできないし、義援金もわずかしか出せない。
物資はおそらくものすごく真剣に運んでくださっている方がいる。義援金もぽんと10億円ポケットマネーを出せる人がいる。
義侠心を震災時に示すってことは本当に大切だとは思うんだけれど、でも被災者はこれからずっと長い間苦しむ。家はどうやって立てればいいのか、とか。仕事は、学校はとか。
だから、わたしは、一時的ではなくて、被災者に対してずっと続けられる自分なりにできることをやろうと思っています。
あと、義援金を送らないと!物資を自分で運ばないと!
とか
自分がいまできることは何かと考えてメールを出す!
とか、やってしまいがちです。
でも、実際に被災地に行ったことがある方はわかると思いますが、かなり悲惨です。戦場跡のようで。
しかも、今回は地震だけではなく、津波に原発。そんな中、生きていくことはものすごい大変です。
親しい人が死んでしまった悲しさで息をするのさえ、がんばってる中で、やっぱり、被災してない立場だから、がんばれって言ってしまうんだと思う。
別に自分が悪いわけではない、だからそれ以上がんばらなくていいんですよ、と心の底から言ってあげたい。
わたしは持病があるから率先して物資を運ぶこともできないし、義援金もわずかしか出せない。
物資はおそらくものすごく真剣に運んでくださっている方がいる。義援金もぽんと10億円ポケットマネーを出せる人がいる。
義侠心を震災時に示すってことは本当に大切だとは思うんだけれど、でも被災者はこれからずっと長い間苦しむ。家はどうやって立てればいいのか、とか。仕事は、学校はとか。
だから、わたしは、一時的ではなくて、被災者に対してずっと続けられる自分なりにできることをやろうと思っています。