※ この記事は初学者用に聖書を編集し 注を付したものです。
皇帝ティベリウスの治世第15年(紀元28年)、『ポンティオ・ピラト』がユダヤの総督、『ヘロデ・アンテパス』がガリラヤの領主であったとき、神の言葉が荒野でヨハネに臨んだ。
彼はヨルダン川沿いの全地方に行って、罪の許しを得させる悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」
預言者イザヤが言っていた『呼ぶ者の声』とは、このヨハネのことである。
『荒野で呼ぶ者の声がする。荒野に主の道を備え、私たちの神のために大路をまっすぐにせよ。すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは低くされ、険しい所は平地となる。こうして主の栄光が現れ、人は皆ともにこれを見る。』(イザヤ書40章3~5節)
ヨハネは、ラクダの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、イナゴと野蜜を食べ物としていた。
エルサレムとユダヤ全土とヨルダン付近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネの所に来て自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた。
注:以下の聖句を参照。
『 主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると、主は言われる。これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると、主は言われる。』(イザヤ59章20~21節 新共同訳)
『 わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。』(マタイ7章21節 新共同訳)
『 洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。』(ペトロⅠ3章21節 新共同訳)
『 主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。むしろお前たちの悪が神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。』(イザヤ書59章1~2節 新共同訳)
ヨハネは群衆に向かって言った。
「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。斧が既に木の根元に置かれている。
だから良い実を結ばない木は、ことごとく切られて火の中に投げ込まれるだろう。」
そこで群衆が「自分たちは何をすればよいのか」と彼に尋ねた。
彼は言った。
「下着を2枚持っている者は、持たない者に分けてやりなさい。食べ物を持っている者も同様にしなさい。」
取税人も彼に言った。
「私たちは何をすればよいのですか。」
彼は言った。
「規定以上の物を取り立ててはいけない。」
兵卒たちも尋ねたので彼は言った。
「人を脅かしたり、騙し取ったりしてはいけない。自分の給料で満足していなさい。」
民衆はメシア(救い主)を待ち望んでいたので、みな心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がメシアではなかろうかと考えていた。
そこでヨハネは民衆に向かって言った。
「私は水で洗礼を授けるが、私よりも力のある方が来られる。私はその人の靴ひもを解く値うちもない。この方は、聖霊と火によって洗礼をお授けになるだろう。また麦をふるい分ける。そして麦は倉に入れ、殻は消えない火で焼き捨てるだろう。」
またヨハネは、大勢のパリサイ派やサドカイ派の人が洗礼を受けようとして来たのを見て、彼らに言った。
「蝮の子らよ。迫って来ている神の怒りから逃れられると、誰が教えたのか。
自分たちの父はアブラハムだなどと思ってもみるな。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。」
ヨハネはほかにも様々な勧めをして民衆に教えを説いた。
さて、パリサイ派の祭司やレビ人がヨハネに尋ねた。
「あなたは何者ですか。」
「私はキリストではない。」
「それでは誰ですか。エリヤですか。」
「いや、そうではない。」
「では、あの預言者ですか。」
「違う。」
「では一体 誰なのです。私たちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を誰だと考えているのですか。」
「イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ぶ者の声』だ。」
注:次の聖句を参照。
『 人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは、主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。』(エレミヤ書17章9~10節 新共同訳)
ユダヤ教の宗派である 「ラビ・ユダヤ教」は、当時「パリサイ派」と呼ばれていた。現在に至るまでのあらゆるユダヤ人・ユダヤ教の基礎が「ラビ・ユダヤ教」の流れを汲んでいる。ユダヤ教の教典「タルムード」は、モーセの律法(創世記~申命記)に対して絶対的な優位性を有する(タルムードの内容は サイト を参照)。
「サドカイ派」は、紀元前2世紀に現れ、第一次ユダヤ戦争(紀元66~73年)に伴うエルサレム神殿の崩壊と共に姿を消した。
イエスはヨハネから洗礼を受けるために、ガリラヤからヨルダン川に来られた。
ヨハネはそれを思いとどまらせようとして言った。
「私こそあなたから洗礼を受けるはずですのに、あなたが私の所に来られたのですか。」
イエスは言われた。
「今は受けさせてもらいたい。すべて正しいことを成就するのは我々にふさわしいことです。」
ヨハネはイエスの言われるとおりにした。
イエスが洗礼を受けて祈っておられると、天が開けて、神の霊(聖霊)が鳩のような姿でイエスの上に降り、そして天から声がした。
「あなたは私の愛する子。私の心に適う者。」
ヨハネはイエスを見て言った。
「世の罪を取り除く、神の小羊。
『私の後から来る人は、私よりも力のある方だ』と私が言ったのは、この人のことだ。
私をお遣わしになった方がこう言われた。『ある人の上に霊が降って留まるのを見たら、その人こそは、霊によって洗礼を授ける人である。』
私はそれを見たので、この方こそ神の子であると証をしたのだ。」
それからすぐに、イエスは霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。
イエスは40日間 荒野にいて、その間 何も食べず、その日数が終わると空腹になられた。
すると悪魔がイエスに言った。
「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい。」
イエスは言われた。
「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(申命記8章3節)と書いてある。」
次に、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。
「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛び降りてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手で支えるであろう』(詩編91編11~12節)と書いてありますから。」
イエスは彼に言われた。
「『主なるあなたの神を試してはならない』(申命記6章16節)とも書いてある。」
次に、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った。
「これらの国々の権威と栄華をすべてあなたに差し上げましょう。それらは私に任せられていて、誰でも好きな人にあげてよいのですから。もしあなたが私の前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう。」
するとイエスは言われた。
「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』(申命記6章13節)と書いてある。」
悪魔はあらゆる試みをし尽くして、一時 イエスを離れた。
そして御使いたちがイエスの御もとに来て仕えた。
注:このようにサタンは「奇跡を体験すれば幸せになれる」「富や権力を得れば幸せになれる」と人を騙し、それを餌にして自分に仕えさせようとする。またサタンは聖句の一部だけを使って人を騙す。RAPT有料記事273を参照。
ある日、ヨハネは2人の弟子と一緒にいたが、イエスが歩いておられるの見て言った。
「見よ、神の小羊。」
その2人の弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
イエスは振り向き、彼らがついて来るのを見て言われた。
「何か願いでもあるのか。」
彼らは言った。
「先生、どこにお泊りなのですか。」
イエスは言われた。
「来なさい。」
そこで彼らはついて行って、その日はイエスの所に泊まった。
イエスについて行った2人のうちの1人は、名をアンデレといった。
後日、彼は兄弟のシモンに言った。
「私はメシアに出会った。」
そしてシモンをイエスのもとに連れて来た。
イエスは彼を見て言われた。
「あなたはヨハネの子シモンだが、ペトロと呼ぶことにする。」
その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、途中でフィリポに出会って言われた。
「私に従って来なさい。」
このフィリポがナタナエルに言った。
「私はナザレのイエスに出会った。モーセが律法に記し、預言者たちも記していた人だ。」
ナタナエルは彼に言った。
「ナザレから良いものが出るだろうか。」
フィリポは言った。
「来て見なさい。」
イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼についてこう言われた。
「あの人こそ本当のイスラエル人だ。その心には偽りがない。」
ナタナエルは言った。
「どうして私を御存じなのですか。」
イエスは言われた。
「フィリポがあなたを呼ぶ前に、私はあなたがイチジクの木の下にいるのを見た。」
ナタナエルは言った。
「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
イエスは言われた。
「『あなたがイチジクの木の下に居るのを見た』と私が言ったので信じるのか。
もっと大きなことを、あなたは見るだろう。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上に昇り降りするのを見るだろう。」