光の鋏 | a tiniest hope

a tiniest hope

ちっぽけな希望の話

 
 
雨の朝
花をふた枝
テーブルへ
 
 
 
今ね
YouTubeで『ラムネ&40炎』観てる
パフェとカカオが可愛すぎて
アニメ画のやわらかさが懐かし過ぎて泣けてくる
 
だけど
〝未来形アイドル〟を風呂場で熱唱してたわたしは
もういないんですよね
それが哀しくもあり
妙に嬉しくもある
 
きっと
10年20年先のわたしも同じように
今のわたしを懐かしさをもって愛でるのでしょう
 
そのとき
戻りたい、などと決して思わないでほしいとおもう
 
未練なんてこれっぽっちも感じないで
前だけ見ててほしい
 
だけど後悔は
 
後悔はいくらでもしていい
後悔なんてしたくなくても
後悔しながらしか生きられないから
 
せめて
後悔のすべてが傷になって左腕に残っていたらいい
 
そうすればわたしは
わたしの愚かさと儚さを知り抜いて
また、生き延びられる
 
未練と後悔は全くの別物だと
 
過去を飲み込みながら息するわたしはおもうのです
 
 
 
 
 
 
“正しさ”が憎らしい
と思ったことってありませんか?
 
正しい答えが、必ず“正しい”答えなのだと
本当に言い切れるでしょうか?
 
万人にとっては正しい答えでも
それがわたしにとって
同じように正しい答えとは限らない
 
 
常識とかモラルとか数学の話をしてるんじゃないの
 
わたしのこころの話よ
 
 
理屈や理論で結論づけるには深すぎる問題に
正しさを突き付けてくるひとを
心底憎らしいとおもう
 
そして心底いとおしいとおもう
 
わたしが泣いても喚いても正しい答えをくれるひとのそばで
わたしのこころはゆっくりと潰されてゆく
 
そんな正しさなんていらないから
ただ寄り添ってほしいと
そう望む私も
心底愚かでいとおしいとおもう
 
わたし達の縁を切れる刃物があるとしたら
それはもうこの世のものではありません
 
 
 
 
 
花びらが
ひとひら
ひとひら
奈落に落ちる
 
遠くに見える高い塔には
 
きっと、うつくしいひとが閉じ込められている
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
わこ