花と車椅子 | a tiniest hope

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ちっぽけな希望の話

 
 
 
 
こんにちは
 
今日は早朝から過食嘔吐
最近少し頻度多めです
 
ドサッと詰めて
サクッと吐いて
アラ、すっきり
 
その後、上機嫌で散歩るぽるしてきました
 
最近、カショオさんとの付き合い方が上手くなってきて
自分的には楽
 
治せないと思うから
治さない
過食嘔吐の自分を全肯定しています
 
吐きたくないときは吸収して
吸収したくないときには吐く
お腹をふくらましたくないときは拒食する
 
すごくシンプル
 
てんちむ的な言い方すると
〝好きなことして生きるより
 嫌なことしないで生きてく〟
 
これをベースにしてからは
より息しやすくなったような気がします
 
 
神様が何者であるかはわからないけど
何が神様でないかはわかる
 
それと同じ
 
 
そんな感じで
手探りで
だけど確実に
 
わたしの世界は
はっきりと姿をあらわし始めています
 
 

 

 

赤の他人が

いつだったかわたしを諭したことがある
 
〝もしも迷ったら、あなたのまわりで何人の人が喜ぶかを考えなさい〟
 
その言葉は温かく響く
そこにはある種の真実が宿っている
そしてその想いには、献身と愛が満ちている
 
それは脳みその少ないわたしにもちゃんとわかった
 
だけど少ないわたしの脳みそは
その言葉の中に
わたしの喜ぶ姿が入っていないことに気づいてしまった
 
 
誰がどんだけ喜んだって
わたしが喜ばなくちゃ意味がない
 
意味なんてあったってなくたっておんなじだけど
まずはわたしが笑ってるってことが
わたしにとって一番正しいことだとおもった
 
今まで誰かを喜ばすために必死だったから
 
自分のことなんて置いてきぼりだったから
 
だから
吐いて切って消えたくなって
自分の心を飲み下すしかなくなったんだ
 
もう二度とそんな痛みは抱えたくない
 
まずは自分のことを一番に考える
 
そうしてから
大切なひとたちの笑顔を想像する
 
そのうえで、喜ぶだろう人の数を数えてみる
 
簡単なことかもしれないし
間違ってることかもしれない
 
だけどきっとこれを
選び方のひとつにする価値はある
 
 
あなたがおいしいと思うものが一番やさしい
あなたが寂しいと思うことが一番愛しい
あなたが楽しいと思うことが一番正しい
 
 
 

 

 
今日はお彼岸の中日ですね
 
わたしも朝からぼたもちをこさえて、お墓参りに行ってきました
 
人ひとりが亡くなっても
その存在を想って墓標を訪う人が生まれくる
 
そして
人ひとりが亡くなっても
そんなのお構いなしに
“今”は未来へと進みつづける
 
「世界は持続している」
 
たとえば
わたしが消えてなくなっても
世界は持続してゆく
 
そのことはいつだって
わたしを芯から強めてくれる
 
 
お墓参りのあと
母の車椅子を押して桜を見てきました
 
想いを伝えるということと
生きてゆくことは、とても似ているとおもいます
 
 
 
 
わこ