五蘊(色・受・想・行・識)   般若心経=智慧(心のお経) | 尊星術-output blog

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光晴堂 宿曜占星術最高師範 竹本光晴氏 師事

五蘊(

 

人は私や私の魂というものが存在すると思っているけれど、

実際に存在するのは感覚イメージ感情思考

という一連の知覚・反応を構成する五つの集合体を

 ごうん

(五蘊)と呼びます。

 

=体、肉体(物質、この世を作っている物質すべて)

 

=感覚(外からの刺激に対してどう受け取るか)    

 

=イメージ(受け取った情報に対して、自ら作り上げて考えること、想像する)


=感情(意思作用、何かをする)

 

=思考(外から入ってきた情報を心に映し出す)

 

受・想・行・識=心の働き

 

五蘊は「生命とは何か」「私とは何ものか」

という命題に対する仏教の答

 

西洋哲学では、「我思う故に我あり」と思い込んでいますが、仏教では「我」はなく、私とは仮の姿である。と考えられています。


その仮の私の姿は何ですか?となったときに

構成している要素、何が集まってできているかと?

なった時に仏教では五蘊と呼びます。


簡単に言うと人間の心と体の働き

 

そして、これから来るであろうと言われている

「精神テクノロジー文明」


今、この五蘊の中で色(体)がなくても、全ての感覚は

「脳」に操作、処理されている。

脳があれば、脳の伝達信号によって実際に触られていないのに、

触られていると感じる。

 

それをテクノロジーの進化によって脳の意識だけで実体験できるような

「VR(バーチャル・リアリティー)仮想現実」


実際にアニメ(異世界もの)やゲームで、VRの世界にのめりこんで、

体は機能していていないけど、意識は残っているので、

VRの世界にずっと生きていける様な物語もあったりして、

近い将来有り得る話だなと思います。

 

例えば、人間それぞれ自分のアバター(なりたい姿)になれ、

世界、物語、設定も自分の思い通りにできればどうですか?


ロマンはないけど、様々な人が自分の思い通りにならないから、

悩んだりするわけで、もし自分の思い通りの世界になれば、

悩みなんてなくなりますかね?笑

 

人生、思い通りにならないから面白いと考える人もいるでしょう。


自分は、人間が追い求めてきた「幸せ」というものは、

VRというテクノロジーの進化である程度は達成できると思います。


だが生身の体を授かって生きてきた、人たちは肉体があってこその

人間、リアルだと思う人もいると思います。


もし、生まれたばかりの赤ちゃんがVRの世界を体験すると

どうなるでしょうか?

 

体は、死んで機能しなくなっても脳の意識でVRの世界で

生き続けて、何の抵抗もなくその世界が当たり前、常識と思い、

感じ成長し生き続けるのではないでしょうか?

 

今、現在自分達も実は気付いていないだけでVRの世界を

生きているかもしれませんね笑

 

 

そして、心の働き(受・想・行・識)も今現実的に普及

していっている、「AI(人口知能)」はこのままテクノロジーが

進化していくとまさに(受・想・行・識)に

当てはまるのではないかと思います。

 

 

今まであげてきた五蘊(色・受・想・行・識)は

人間が決めた概念ですよね?

 

そして、般若心経では上矢印五蘊を空(実態がないもの)と

言っています。

りんごで美活 | 青森りんご公式サイト(一社)青森県りんご対策協議会

例えば上矢印の赤い林檎をもし林檎というものを知らない、

認識しない動物(例えば犬)にとっては、

何に見えているでしょうか?

林檎と認識して食べるでしょうか?又は赤い何か?と

思うでしょうか?人間には赤い果物と認識できても

動物にはまず私たちでいう赤に見えているのであろうか?

赤い集まりと捉えているだけなのかもしれません。

 

つまり、林檎というのは人間の経験や知識に基づいて

人間の心がそう決めているだけで、赤い林檎という実体は

実在しない。

 

光と目の前の物、そして、受け取る人間の目の感覚器官の

一瞬の関わり合いから生まれた偶然の産物。

もし暗闇の中で、林檎を見た時、写真のような鮮やかな

赤い林檎に見えるでしょうか?


私たちは特定の概念を作り、


そのどれもが私ではないし、私に属するものでもないし、

またそれらの他に私があるわけでもないのだから、

結局どこにも私などというものは存在しないのだ。

私たちは、実体を持っているからそれを物質(色)と

呼ぶのですが、そうよ呼んでいるからそれは「概念」で

あるからそれも空「実態がない」である。

 

観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみったじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう

 


観音菩薩は「五蘊(ごうん)」には空(実体がない)と説いています。
五蘊には色・受・想・行・識という5つの要素があり、

これらは人間の意識のもとになるといわれています。

つまり、人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することには、

すべて実体がないというのです。


そして、観音菩薩はさらにシャーリプトラに語りかけます。
「形あるすべてのものに実体がないのであれば、その反対に、

すべてのものはあらゆる形をとることができる」と。

そしてそれは、人間についても同じことが言える、といいます。
実体がなければ、生まれることも、滅びることもありません。

汚れることも、清らかであることもなく、増えることも、減ることもないのです。

真実の世界においては、形あるすべてのものや人間のあらゆる感覚もなければ、

悩みや苦しみという概念もありません。

 

一端徹底的に分析した上で、その分析した結果に対して錯覚である、

空(実態がない)と説いて非常に奥深いひねり(?)をいれている。

上矢印によってそれら5つの要素も幻のように実体がないのだと。


そして、この智慧によって、すべての苦しみや災いから抜け出すことができました。

 

度一切苦厄どいっさいくやく 舎利子しゃりし

 

舎利子(シャーリプトラ)=お釈迦様の一番弟子 

 

 

ここまでで!??となった人は多いんじゃないでしょうか?

           

そう上矢印で説明した五蘊(色・受・想・行・識)は(実態がない)

だと説いていて、ここで般若心経の醍醐味、真骨頂の

「空」というものに触れていきたいと思います。

 

次回は「空」について

ブログにアップします。