最近、名古屋市長や阿久根市長が議会と戦っている姿がよくテレビに出ます。私は両市長の政策、政治方針がどうかということには、あまり踏み込むことをしません。それぞれの地域で決めることです。


 ただ、両市長は同じ問題を抱えています。それは「議会を解散するのが難しい」ということです。議会による市長不信任決議可決の時、あるいはリコール成立です。どちらも成立するのはとてもハードルが高いのです。市長不信任は総議員の2/3の出席で、3/4の多数で可決です。リコールは市民の1/3(名古屋市は人口が多いのでもうちょっとルールが複雑です)によって発議されます。


 名古屋市長はリコールへの道を歩んでいるようで、阿久根市長は近しい議員から不信任決議案を出してもらって議会に挑戦状をたたきつけるというスタイルを取っているようです。阿久根市長については、一度不信任可決後の市長選で再選されているため、議会側もこれ以上不信任を突きつけることには後ろ向きだということだと理解しています。


 日本の地方自治体は、アメリカの大統領制に近いですから、首長と議会が対立する際には最後の調整弁が実は非常に限られているのです。双方がある程度すり寄るのが、これまでの多くの地方自治体の普通の慣行でした。ある意味、日本文化における「馴れ合い」的なところが、首長・議会の関係を補完していたと言っていいように思います。また、アメリカの議会の例を出すと、あれはあれで「超コネ社会」、「超根回し社会」ですから、そういう中で調整を付けていくやり方と、あとは「党議拘束のなさ」という点が大統領・議会関係を補完しています。


 ということは、日本の制度には、サブカルチャーとしての「馴れ合い」的なものがない首長が出てくることが、制度的にあまり想定されていないのかもしれません。対立関係になった時に、首長が(1)直接市民にリコールを働きかける、(2)自分に近しい議員から不信任案を出してもらう、なんてことをしていること自体が、常識的には奇妙なわけです。勿論、市長辞任というのはもう一つのオプションですが、阿久根市なんかでは、もうそのオプションも事実上存在していません。名古屋市においても、街の規模が大きすぎて、軽々に市長辞任→選挙なんてやっているとそこにかかる予算だけでもバカになりません。


 ありとあらゆる制度は、それを支えるサブカルチャーと一体になって運営されています。この首長・議会関係の緊張の原因は、勿論、それぞれの市長のキャラクターと政策にあるわけですが。、それとは別の問題として、そもそも両市長の中には「首長と議会はある程度折り合いながら、馴れ合いながらやっていくものなのだ」という政治的サブカルチャーが存在していないことにも一因があります。そして、それを解決するシステムがないということです。


 単に、市長に議会の解散権を与えろということが言いたいわけではないのですが、かといって今の状態が普通だとも思いません。最近、議会制度のあり方としてよくこのことを考えます。