びびりんこ。
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2018-05-05 16:48:12

定点観測

テーマ:ブログ

ブログの存在を忘れかけて早・・・・何年だろう。

 

更新しなければ見る人もいないだろうが。

最早3年に1回くらいの定点観測になりつつある。

 

昔はいちいち何かあるたびに、騒いで書いて、読んでもらっていた。

 

学生時代:ガリ勉

フリーター、新人時代:自分探し

転職時代:模索

中堅時代:天職

 

その先→管理職、お母さん、起業・開業・独立、農家

 

みたいなかんじで、30代中堅の今の社会人層にキーワードをふるとする。

と、大体、天職→管理職の間くらいで、

新旧世代の橋渡しとして社会の原動力になりつつある。

ライフワークは定まった、目標を定めるのは自分、さあこれから社会に、家族に、恩返しを

していこう、というかんじである。

 

妖怪の館での仕事は、変わらず続けている。妖怪の館は廃墟となり取り壊され、

消滅した。何度かの移転を経て、私は会社の再起をかけて大阪でまだ、

頑張っている。むしろ起死回生を果たしたと思っている。

 

当初は暴挙に近かった新たなプロジェクトも、なんとか運転している。

老舗企業の強みは、鉄壁のノウハウとブランド力。

どんな嵐も乗り切ってきた膨大な経験値、情報の蓄積、そして

時間のみが築いてくれる、歴史。

 

フィールドさえあれば、あとは縦横無尽に走り回るだけである。

それが楽しくて仕方ない。


35歳にもなると、仕事には本腰を入れている。

もはや個人の人格が仕事の質であり信頼に直結する。

いちいち自分のプライベートや私的な心の変化を晒す必要は無い。

安定した精神状態、狂わない判断力、狂っても狂ってないフリを維持することも

また、ひとつの責任。

自分の小さな想像力では思いも及ばないところで、誰かに助けられ、誰かに観察され、

誰かに迷惑をかけている、という大前提を、よく理解する年齢であると思う。

 

大阪という町には、商取引の醍醐味が詰まっている。

人を思いやり、他人の生活に心を配り、幸も不幸も分かち合い、共生する町。

その基本は、「ひとさまのお時間をお金でいただく、それが商売」

という基本原則に基づいている。何事にも、他人の苦労が隠れていることを

必ず配慮する。大阪で商取引の世界にいると、

「タダより高いものはない」という言葉の深さを知る。これは脅しの言葉ではなく、

感謝を忘れないための言葉だ。。

関東と関西の決定的な違いは、「ものを差し出されたときに、何を対価と考えるか」だ。

これは深い。

 

関東人の整然としたロジックで、ものを頼んだときに相手の反応がYesであれば

言い分が通ったものと考えるのは、甘い。

関西人は、その後の長いお互いの付き合いを考えてものを言う。

ひらたくいえば、お互いに常に最大限の譲歩を前提として関係が成り立っている。

100円の物体と100円の硬貨を交換する関東人

100円以上の物体と100円の硬貨を交換する関西人。

どっちが安いか?

それは深い問いである。

 

大阪に来た時にはこんなに長くいると思わなかったのだが、

なぜ6年もいるかといえば、仕事に燃えたという理由だけでなく、病気になったからだ。

 

28歳で大阪に来て、29歳で癌が見つかった。

治療に5年を要し、命は助かったが、仕事も人生もぐちゃぐちゃになった。

20代で乳房がなくなったのは、精神的にきつかった。周りの幸せが目に沁みた。

 

私を支えてくれたのは、家族や友人、そして大阪の人たちだった。

治療のために仕事をやめる、東京に帰るという選択をしなかったのも、

全てはこの土地の懐の深さに助けられたから。

 

大阪で一緒に闘病した友達が、昨夏、亡くなった。

彼女の人生と私の人生が交差したほんの少しの時間。

長くて短い夢だったような、あれは何だったのだろうと反芻する。


ふたりで見た淀川の花火。

自分に縁もゆかりもなかった土地を、まさかこんな思いで記憶に刻むことになるとは。

梅田駅の構造をさっぱり覚えない私に、案内をしながら彼女はぐるぐると歩いてくれた。

通勤の帰り道、遠回りになるその道を、黙々と歩く。

冷蔵庫に貼った、彼女からの素っ気ない手紙。


手術をしたとき、29歳。

若い患者が少なくて、どこへ行っても最若年。ところが、私が入院した数日後に、

私より若く、重い患者が、入ってきた。それが彼女。決然とした強さで病気に立ち向かう反面で、

恥じらいや弱さを隠そうとしない彼女のまっすぐな生き方。黙って他人を気遣うやさしさ。

病気を隠して仕事を続け、栄転を受けて立ち、東京と大阪を行き来して闘病と仕事に大忙しだった彼女と、

私の人生は、なんだかんだで絡んだ。そして5年。

 

おっぱい取りますと言われた瞬間から、水に潜ったような、自分ではない人の人生を外から見ているような、

無感覚が続いた。彼女と傷を見せ合って笑ったことをよく思い出す。

手術を繰り返した彼女の胸は、戦士のようだった。まるで某ドイツ車のエンブレムのように刻まれた傷を、

メルセデス!」と言って笑っていた彼女。華奢なすらりと背の高い体が、どんどん薄くなっていった。

 

色々なことを思う。

 

「なぜ生き残ったのか」という自問は、

「自分のところに突然飛んできた命のかけらを前に、呆然としている」に近い。

命とは、生きたいという意思そのもの。


そして、今この瞬間も、それぞれの置かれた複雑な状況のなかで

っそりと息を潜めて闘っている数多くの癌患者の人たちのこと。
ひとりひとりが、言葉にならない苦痛を抱えている。

大切な人とどう関わっていくか、決断に決断を迫られる病気である。

嬉しいこと、悲しいこと、怒り、日常のなかで色々なことを感じる一方で、

「彼女はもう、こんな気持ちを感じることすらできない」という、わだかまり。
 

 

癌とのお付き合い。時間の流れから取り残されていく。再発する夢。

汗だくで飛び起きる。「やっぱり駄目だった」何度も繰り返されるこの言葉。


彼女がいたらこう言うに違いない。
「でもさー、とりあえず生きてんだからさ、いいじゃん?」
 

そう、どんなに傷だらけになってもあきらめなかった、彼女の力強い手から、

掴んでも掴んでもこぼれおちてしまった命を、例えば私は今、生きていると思う。

例えば、というのは、命を受け取っていない人間などいないから。

みんな、誰かの命の上に生きている。

 

命はあっけなく簡単に滑り落ちていくものなのだと思った矢先に、

今にも命を手放そうとしている男に出会った。

 

藁をも掴む とはこのことだ。まさに私は藁だった。溺れる人間の力は

凄いというが、それも本当のことだ。

溺死寸前、精神も生活も破たんして、

生きているのが辛すぎてブクブクと水に沈みかけていたその男は、

目の前をテクテクと不用心に通り過ぎた物体にしがみついた。それが私。

 

これは一緒に死ぬかもしれないと頭の半分で冷静に考えながら、

私は引きずられていった。何度も転んで、そのたびに立ち上がって、

その溺死男にわずかに残った理性に賭けた。

絶対に途中で手を離さないから信じてついて来てくれと言った。

溺れるなかで相手に身をゆだねて、体の力を抜くことが

どれだけ彼にとって怖いことであったかは知る由もない。彼が偉かったのは、

「自分の苦労をわかってもくれない」と私のことを排除することなく、

とにかく私を信じたこと。私は自分の言った言葉を守った。信頼関係ができあがった。

 

そこからの2年間は、これほど全力で人間に対峙したことはない、

奇妙な体験だった。

ほぼ廃人状態で、他人を傷つけていた彼が、

笑顔を見せ、チームのリーダーになり、毎日大量の料理を作って

人を喜ばせている。あろうことか、私の支えになっている。

(命とはなんなのか、命の力強さとか輝きを、この土地は全力で教えてくれる気がする)

 

泥沼から抜けられない人間というのは、癖がある。

泥沼で生きる機構を身につけていることである。

まあ言ってみれば、エラ呼吸を体得しているとでもいうのか、人魚のような

ものである。陸に上がることが難しいのは、移行期間が苦しいから

である。

そして、陸に上がっても、苦しいままである。それでもバランスを保ち

泥沼に戻らずに人生を終える者もいれば、転落するものもいる。

いったん立ち直ったとて、それは本人にとって幸せではあっても、楽ではない。

坂道を上り続けるようなもの。いつでも引きずり戻される恐怖は抱えている。

 

それは癌の再発に怯えながら生きる私も一緒だ。

 

一方で、泥沼を知らない人間にはわからない日々の喜びを

感じる力があるのも、一緒だ。あって当たり前のものは決して当たり前ではないことを、

身をもって知っている。

 

これからの人生がどうなるやら、私には予測もつかない。

これ以上の事件・事故が起こりえないくらい、色々なことが起こった、5年間だった。

 

また今年もこれから、ひと騒ぎ、事件がありそう。

もうこれ以上背負えないくらい色々なものを背負ったが、まだ、荷物は増えそう。

私の人生はどうなるんだろう?次の定点観測で何を書くことになるのか、まったく未知。

 

 

 

2014-05-05 11:55:01

このままだと

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このままいくと、ブログの更新は年に1回か2回のペースになりそう。

なんと時間の経過の早いこと。

疲れたなあ・・・・

大阪の人は、メンチカツのことを「ミンチカツ」という。


2013年の春、15人いた社員のうち、8人が辞めた。

8人分の残務整理と、8人分の業務と、同業者へバラまかれてしまった8倍の社内情報。

お取引先各方面へ流されてしまった根も葉もない誹謗中傷、嘘。
反旗を翻して社内を荒らしただけでなく、同業者でご活躍の上、古巣を
潰しにかかっている元社員。

それからの1年半。私はすり減ってすり減ってすり減って、
スリコギですりつぶされるゴマ粒のようにすりへって、
何度も泣いて上司にぶつかった。

毎日毎日辞めた社員の机を片づけた。縮小した支店の後始末、亡くなった社員の
後始末、重たい鉛の入った戦前のデスクを何個も捨てた。山のような書類の山に
埋まって整理した。スパゲッティ状態の大量の配線や扱ったこともない機械を
徹夜で調べながら配線した。贅肉だらけで筋肉がなく運動神経も悪い私は、
重いものを運んだりゴミの山に埋もれたり、ただでさえ営業で走り回らねば
ならないなかで業務終了後に延々と続く肉体労働で、しょっちゅうケガをした。
1日も休まる日などなかった。

大切につきあってきたお客様のところへ行ったとき、辞めた社員から
根も葉もない噂を流され、「お宅とは取引できない」と言われる毎日。
遠路はるばるへたくそな運転で出かけて行って、帰り道はサービスエリアで
泣いた。本当につらかった。

それでも、辞めようとは一度も思わなかった。「辞めてやる!!」って
何度となく飛び出したけれど、心の底では本気で辞める決心など到底
できていなかった。なぜならこの仕事が私の天職であって、この会社が
私の居場所であって、私にはこの会社でなければいけない理由があったから。


会社を守るのではなく、会社に守られていた。昔も今も、同じ。


私の上司は魅力のある人だ。私がいままで人生で出会った人の中で、一番
興味深い人かもしれない。

でも経営者向きじゃない。お人よしで頭が弱くて気も弱い、すごく心が広いが
それは無頓着からくるものであって、許容ではない。
会社も、社員も、守ることができなかった人だ。

私も一緒だ。できることなら何にもしないで生きていきたいタイプ。

疲れたなあ・・
2014-01-02 19:54:19

また、正月のつぶやき

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私の仕事人生においては2013年の大騒ぎは今までにない一大事だった。

そもそもの発端は大学時代、就活を放棄したことに始まり、ワークキャンプ生活、
good!の寮住まい、病気、転職、転勤、これまで常に波の激しい人生ではあったものの、

でも「どんぞこまで落とされる」「追い込まれる」という経験には程遠く、

どっちかっつうと克服するべき山に立ち向かっていたと思える。

でも2013年には、私は初めてプラスの試練ではなく、ひきずりおとされるような
試練を体験した。


というわけで、(「なんかあったのね・・・。」って思ってもらえたら十分)

私にはこの1年、まったくのプライベートがなく、ゆとりがなく、余裕がなく、

またラクをすることが自分に許せない、立ち止まることが許されない、

少しでも迷えばあっという間に自己嫌悪に陥る、崖っぷちを走り抜けた。

で、結局抜け出すことすらできず、さらなる危険な崖っぷちが2014年には

待っている。


つまりこの正月が最初で最後の休憩ポイントだくらいの勢いなのである。


大みそかまで仕事をして、年越しは終電の小田急線の中でなんとなく迎え、

新年最初の挨拶はタクシー運ちゃんと交わした「あけましておめでとうございます」

のみ。東京のタクシー運ちゃんは基本的にしゃべらない。お客様の時間の邪魔はしない。

実家に着いたら元旦はふつうに昼前までグウタラ転がって、ボサ頭で

のそのそ起き出し、家族の中でも最・だらしない元旦、を迎えた。


そんなこと、私にはこの1年なかった。そもそも副作用で不眠症になり夜は
ほとんど眠れていない。こんな激務は、私の病気の治療過程では想定されていない。
家で安静にしながら服用すべき薬を、会社でコーヒーで放り込み、長距離車出張や
海外出張、メシ抜き残業に突入するなんて、まったく想定されてない。


だから私はこの貴重な正月は、この1年できなかったことをする。

ピアノをひくこと
友達にあうこと
本を読むこと
カフェでゆっくり過ごすこと

要は「追われない」時間をつくること。


1年ぶりに料理をし、親とコーヒーを飲み、地元で友達にあい、本を読んだ。


ああ、こういう安まる時間を、少しでも良いからもう少し頻繁にとりたい。


この切迫感、常に追われ、常に危機を感じ、常に先回りせねば。
ビジネスの世界では体も頭も人より早く動けなければ、負ける。

こんなん、、もたないよねー。


2013-09-14 21:00:37

私がとらわれていること。

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今更、なのだけど、私が心をとらわれて、
頭を離れないことがある。

それは、子どもの頃かすかに聞きかじったある「冤罪事件」のこと。


今から48年も前、悲しい事件が起こった。
静岡県で4人もの人が無残に殺され、家ごと火をつけられた。
1966年のこと。

「袴田事件」といわれて有名になったのは、この悲劇に続いて
さらに、明らかに有罪とは断定しがたかった30歳の若者に、
死刑判決が下ったことによる。

警察の捜査活動と裁判における検察側のあまりにも無理のある「でっち上げ」は、
この判決を冤罪である可能性が高いと世間に知らしめた。

彼は当時国民的スポーツとは認識されていなかったボクシングに夢中の、
元プロボクサーであった。ボクシングへの偏見は、あまりも短絡的に
袴田さんへの濡れ衣に結びついた。

彼はそれから48年間、拘置所に閉じ込められている。死刑囚として。
死刑囚とは、殺されるための順番待ちをする小さな部屋で、何日、
何年とも知れない毎日をただ「待つ」人々だ。


彼は何度も何度も無実を訴え、再審を求め、弁護団は刑の執行停止、
証拠開示、成年後見、彼を救うためにありとあらゆる訴えを
続けている。事件から、48年が経過しようとしている。

一旦誤審・冤罪が起こってしまえば、それを覆すことはあまりにも不可能に近く、
無実を訴えながらも死刑が執行されるだけでなく、長すぎる拘留の間に
無念にも病没したり、自殺したり、精神を病んだりして、
悲惨な人生の終わりを迎えた人がいること、今も独房の中で精神の均衡を
必死で保っている人がいること、突き破ることのできない厚い厚い壁に
囲まれた小さな独房で死を待つばかりの人々のことが、頭から離れない。


元々個人的に狭いところが嫌いで恐怖感を持っているからかもしれない。
こみ上げる憎悪や悔しさ、悲しみ、寂しさといった抗いようのない感情の
波に襲われる恐怖、正気を失っていく恐怖、人として生きる場所を失っていく
恐怖、ある日突然死を言い渡される恐怖。
罪人としてすべての苦しみは受け入れねばならない。早く死んでしまいたい
と願うほどの恐怖と苦しみを味わうことが、死刑囚の務めとなる。


それは本来、死刑というものが取り返しのつかない罪をおかした人に
与えられる「苦しみ」であるから。


冤罪とは、ただ刑務所から出られない、という話ではない。「刑」とは、
苦しみをもたらすものであり、それに相当する罪を犯していない人にとっては、
さらに何倍もの苦痛と精神的な変形を強要するものだ。

袴田さんは、再審請求の棄却とともに、精神に変調をきたしたと、
数少ない面会者が報告していた。

48年もの間いつ死刑が執行されるのかという巨大な恐怖と闘いながら
なお生き続けてきた彼の精神力は並々ならぬものがあり、またプロボクサー
でありながら、悔しさや憎しみを暴力に訴えることなく、自白の強要のため
捜査員に暴力を振るわれても何日も何日も耐え続けたこと、彼の気高さや
誇りを感じる。

ボクサーとは元来格闘技であり、自分と闘い、苦痛や恐怖を克服し、
勝利を勝ち取る人たちであると思うから、無実であるのに殺人者と
言われ、国家により「自らの死をもって償わなければならない」と
命令されたこと、いったいどれだけ悔しかっただろうと思う。


今、彼は誰にも面会しようとはせず、親しかった支援者や不屈の支援者である
お姉様の顔も見分けがつかなくなり、意味の分からないことを口走るなかで、
「袴田 巌は いなくなった」「死刑は廃止した」「自分は勝利した」
「国家から5億円の賠償金を取り 冤罪を晴らした」と言うのだそう。
また狭い独房の中を何時間も何時間もひたすら歩いていた、らしい。
拘置所で過ごした48年間が、彼の気高い精神を奪ってしまった。誰にも
会おうとしない彼の情報はごくごくわずかしかないのだけれど、私は
支援者の方の報告する彼の数少ない情報に、思わず涙が出てしまった。
彼は自分で自分を殺してしまったのだと思った。妄想の世界で、恐怖と苦しみ
を克服し、袴田巌という自分の人格を殺してしまったのだと思った。
何もできないのにこんなことを言う資格はないけれど、本当に
本当にかわいそうでならない。彼が逮捕されたのは、私より年下の
30歳のとき。その瞬間に彼の人生は止まってしまったのであり、
国家が彼を閉じ込め、死の恐怖にさらし、人生を奪い、精神を蝕んでしまった。
友達もいただろうし、家族もいた。彼が死刑囚であると国が決めつけたこと、
どれだけ悲しかったことだろう。


本当の犯人はどこかにいたはずなのに、袴田さんひとりに罪をかぶせることに
警察も検察も必死になって、真犯人を探さなかった。被害者である
4人のひとたちに対して申し訳ないと思わないのだろうか?4人も殺して、
そのまま犯人が逃げ切るなど、警察の怠慢じゃないのか?


今更になって、DNA鑑定が実施され、再審への期待は高まりつつある。
それでも、あまりにも遅いと思わざるを得ない。袴田さんの精神力と
体力が少しでも救われ、健やかな日々が戻ることを、本当に願っています。

私はこんな国のために税金を払うなど到底納得できないし、オリンピックに
かける意気込みのわずか一部分でも、彼の再審が叶うよう、投入してほしいと
思います。

「冤罪を発生させる」というのは、大きな罪。本人だけでなくその周りの
たくさんの人たちを苦しめておいて、何の責任にも問われないっておかしくない?
袴田さんの無罪を信じながら、彼を抱きしめることもできないまま亡くなった
彼のご両親は、「被害者」では?


もし自分が、自分の大切な人が、同じ目に遭ったら、と思うと、本当に苦しい。
きっと私の精神力では耐えられない。
2013-09-07 21:07:47

わお!

テーマ:ブログ
最後に記事書いてから1年以上経過していることに気が付いた・・
ていうか、まだブログが残存していた。
へぇーーまだ残ってる!という驚き。

(↑この言い方、映画「igby goes down」に出てくる、主役の陰に隠れた
役どころの子が唯一迫真の演技を見せるシーン。。を、思い出す。誰か
知ってるかな?)


近況は、大騒ぎ過ぎて書くに書けず。毎日が大騒ぎのお祭りのトラブルのトラベルの、
海の向こうから日本の隅々まで、走行距離はウン万キロ、車ごとフェリーのおなかに
乗せられて海も渡れば飛行機でチャイナの僻地、ドイツの僻地、イタリアの僻地へも
飛ばされ。期待に見合う仕事には遠く及ばず、有難いやら申し訳ないやら。
ひとりで飛ばされた中国の大地では、寒村から各々バイクやバスや三輪車で
はるばる工場へ勤めてくる工員さんに交じって、極寒・酷暑のなか工場業務。
女工さんたちに交じって、「見分けがつかん」と言われつつ、より良い楽器の
輸入のため走り回っております。

大阪市内の超無謀運転の中も、「おらおらー」
とつぶやきつつ、飛ばしております。割り込み万歳。
高速は常に右車線。もちろん警察のお世話にもなった。「パトカー乗ってもらえるかな」
と言われりゃ、行きますが。時間は深夜、道は海を渡る鳴門大橋だったり
四国の単線高速だったり、僻地もいいとこ。でかい車からスカートにヒール靴の女の子が
飛び降りてくるので、大体警察官はギョっとする。「し、仕事なに?」

しごとは猛烈に忙しく、膨大な残業時間に会社がビビッて「名ばかり店長」ならぬ
「名ばかり部長」へ昇進。ちなみに部の名前は、無い。

転勤も3年目に入り、彼氏はいたりいなかったり、激務に追われて日々業界の
ドンからチンピラまで、とにかく多々出会いもありかわいがって頂きつつ、
泣き虫は相変わらずで悔しけりゃ泣き、ひねくれては泣き、うれしくて泣き、
ひがんでは泣き、涙をバネに日々この根性でどうにか生き延びております。

高校時代、「おまえの根性、すげーな・・・」と言った友達がいた。(女子)
「おまえもな!!」と言い返すのが私の常であったけど、あいつもきっとがんばってるだろ(笑)



地方を海岸線に沿って、また山の尾根に沿って走り回っていると、日本は
本当に自然が豊かな国だと実感する。町とよべるような集落そのものが、圧倒的な
山や川や海の存在のあいまに、申し訳程度に存在し、車で飛ばせばそんな小さな町は
あっという間に通過してしまう。夜になれば漆黒の闇、静かな海、崖、深い山、
満天の星、だれもいないサービスエリア。(ていうかサービスエリアなのに自販機しか
ない ただの駐車場)四国や九州にわたるのに船を使えば、「密航禁止」「不審な船は
通報を」「連れ去り注意」等の看板。海に囲まれた島国である日本には、船が
重要な移動手段であり、また小さな港が無数にあり、同時に海を渡れば日本に
上陸することなどなんとも簡単。ほとんどが人っ子一人近づけない、大自然と闇だから。


仕事しながら、海や山に時々立ち寄って、明石の港でぼんやりしたり、淡路島で
橋や渦潮を見ながらコーヒー飲んだり、四国の港で海を見たり、神戸の山で
星を見たりした。

京都には頻繁に行く。比叡山や川床も行った。奈良も行った。名古屋は車で
飛ばせば3時間くらいで行けるようになった。三重の海沿いも走った。ナビに
道がなくて、海の上を走ったまんま、なぜか帰社することができ、今でも
どこを通ってきたのか謎。

トラブルは絶えず、喧嘩っ早い私はかなりの問題児ではあるが。。続くんだろうか、
この仕事・・・


今年31歳。

体の中に癌が見つかったのは、29歳のとき。まだ20代なのになんで、って、
毎日泣いた。天職と思える仕事に出会って、妖怪の館を耐え、女子のいないこの業界を
耐えて、念願の本社勤務になった。その矢先だった。

でもちゃんと生きてる。体はがんばってくれてるし、仕事もしてる。髪も残ってる。
あと4年で無罪放免。副作用は苦しい、本当に苦しい。長い長い4年、でも、なんとか
笑ってやり過ごせそうな気がする。4年経ったら、こどもが欲しい。癌の治療中は
こどもが産めない。放射線をいっぱい浴びるし、卵巣も働いてくれない。
こどもが大好きで、結婚したかった、私は悲しくて
本当に泣いた。でも今は泣かない。もうさっぱり、忘れることにした(笑)


たぶん、がんばったら、ご褒美に、特大のこどもを授かるのだ(笑)ホントか・・・
意味不明・・


なんの因果かわからないけど、最近いろいろ調べ物をしている。
ちょっと思うことがあって、「冤罪」というものを、調べている。

まった頭でっかちなことを・・と言われそうだけど。根暗なんで・・

また、そんないきさつはおいおい、書きます。


今日は、東京から車で会いに来てくれた人がいました。
会社のコンサートグランドのピアノを使って、セッションをしました。
楽しかったです。
2012-08-21 19:40:50

近況

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ブログの更新を再開します。

本当にいろんなことがありすぎて、毎日毎日たくさんの人に会って話をして、
(そうでもないか・・・)人生どうなるやらよくわかりませんが(笑)

今日はお忍び(?)保津川でゆっっっくりしました。

休みらしい休みはいったいいつぶりか・・・。


近況を、書いたら、現実を見ることになるので、嫌で、ずっとウロウロしています。

文章を書くということは私にとっては「さらけ出し」と同じ。
音楽家が人前で弾くのと同じ、といったら、音楽家の人はピンとくるのかもしれない。
私は音楽家の足元にも及ばないが(笑)

再開します、、って、やっぱり書く決心はついてなかったみたい。


アハ。もうちょっとウニャウニャしてから、戻ってきます。
2012-05-29 07:53:06

患者。

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MRI、エコー、血液、麻酔、CT、レントゲン、エコー、レントゲン、CT、血液・・

同じようなことを何度もやって、なんだか忙しい。


それでも仕事したい。

ていうかこないだ広報ネタとしてインタビューした対談、私の超ニセ英語のまま
だから、早く日本語にしないとあのぐっちゃぐちゃのメモは意味がなくなる。

ていうか今でも読めないだろ。

やばー・・・


本当に本当に、病気って嫌なものだ。この時間の拘束が。


昨日は、ひたすらエコー。エコー。エコー。CT。

どっから切って、どう戻す。というのを、からだにマジックでお絵かき。色とりどり、
いっぱい書かれた。

たまに注射で薬を入れて、色のついた皮膚をマジックでなぞる。

理学療法士という人が来て、体のサイズや動きを調べていった。


おとといからかゆくてかゆくて気になっていた足の裏の虫さされは、
看護婦さんに薬をもらった。

食事はみんなで同じテーブルで取る。いきなり人生論も出る。
病気が病気だけに、食卓はかなり面白い(笑)
まさか自分が大阪で「患者」として、関西弁で人生論を聞くことになるとは


思いもしませんでした。



「しゃあないねん、たえられへん、ほんまは泣き叫んでしまいたくなるけど、
もうあかんねんて。前向くしかないねん。あんたもがんばりや」



って、重い患者さんもいれば、

「今はヒマやからリハビリしよるけど、家帰ったらめんどくさなるもん。
からだ動かんようになったらこまるわ。けどもう元気やし。もう退院や。ええんかいな」

ってケロリとしている人も。





クラブのママの患者さんには、おかまのお見舞い客が。どういうこと(笑)


手術前の絶食が続いております。明日までごはんは無し。おなかが減って
寝るに寝れない。





昨日は安定剤を飲まされてフラフラと寝た。



手術は5時間後。

おなかすいたなあー・・・・・・・・・・・
2012-05-25 18:12:24

出張締め。

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出張、強制退去。


ま、当たり前か。

今、日本とドイツをまたいで進めてきた水面下プロジェクト、過去1年を
さかのぼって社長と二人三脚でゴソゴソと動いてきたわけなのだけど、
最終局面、というところ。


いま、ドイツ現地からは我々を協力にリードしてきてくれた、現地楽器メーカーのCEO
が来日していて、ボン社長と一緒にアテンドして回る計画を立てた。
私はそんなタイミングで手術を控えているといのが悔しくて悔しくて、
どうしても、事の成り行きを見ておかなければ!

という一心で、無理やり出張同行。

貧相な英語を使ってボン社長の補佐をしながらの行脚が始まった。


大阪から順に東へ、場所を移動しながらのハードスケジュール。


もちろん現地CEOもうちのボン社長も海外を飛び回る生活で、この出張の前後も
ミッチリ、アジア⇔ヨーロッパの移動がつまっており、一日の休憩も
はさんでいない。二人の社長は、隙あらば睡眠。睡眠。Zzzzzzzz・・・・


そもそも、このプロジェクトは、私の夢なのよね。階段の1段目、という感じ。


やりたいことがいっぱいある。


でも、仕事の種類が変わってきたここ最近は、それも一筋縄ではいかないのだと
痛感。


どうあろうと、みーんなのお陰で成り立っているのが、今の姿。
みんなの成長と幸せのためには、会社が健康でないといけない。

夢は、その次です。


だから、私は今回の出張を、自分のなかで「最後のチャンス」と思っていた。

どうせしばらく出張なんか行けなくなるし、そもそも私が抜ければ夢も抜ける。
この話がコケたら、方向性考え直そう・・・と、ある意味覚悟をしてた。


ところがよ。


過去、私が妖怪の館で七転八倒していたころ、支えてくれていた「棒人間」
というのがいた。過去のブログにも登場したことがあるのだけれど、
まあ、外部からうちの会社を監視する立場の人間であって、私はずいぶん
お世話になった。

彼がボン社長に対して釘を刺していたことを、私は後で知った。

手術を控えた人間を出張に連れ回すのは常識的に考えて優先順位を間違っている。
早く切り上げて帰らせるように。


と。


私の我儘と根性、思いを知っており、かつ棒人間が至極もっともなことを
言っているのがわかるボン社長は、間に挟まって、時差ボケの
激しい中さらに眠れなくなり、疲労をためこんでいた(笑)




まあ、そんなわけで、強制退去になり、東京へ向かう二人の社長を見送り、
自分は大阪へ引き返してくることになりました。


愛知の新幹線乗り場での別れ際、私は商談の成功を願って「good luck!」

親指立てて、大声でお見送りをした。


そのまま入院する私に手を差し出して、ボン社長が「good luck!」
と返してきたのは、メソメソする顔を唯一見せた相手がボン社長であって、

「生きるために体を切るんやから、ほかのことを考えたらあかんねんて」
「あんたは「嬢」やない、「丈」やで」

と繰り返し励まして(?)くれたここ1か月が、ぎゅっと詰まっていたような。






そして、私は、棒人間の性格に関して、たぶんボン社長よりはよく知っている、
と思う。
彼がとても気分屋で、非常に厳しいこと。

出張切り上げて引き返す道中、私のメールボックスには棒人間からの
仕事の山が入ってきて、


「入院間際で悪いけど」という一言でまとめられていた。


なんてこと。


結局仕事やん!!!


今から会社行ってきます。





殺す気か・・・(笑)
2012-05-20 13:52:58

明日。

テーマ:ブログ
相変わらず、昼夜問わず、時間問わず早朝から深夜まで
会社や出張中の上司からの電話が。時差は仕方ないとしても・・・。
入院するから、といって、ちょっといなくなるだけなのに、仕事が山積みになる。

今日も本当なら会社に行かないと・・・昨日途中ですっぽかして
調律師とお好み焼きを食べにいってしまった(笑)曽根崎警察の近くは、
適度に人の多い繁華街。だけど東京みたいに人が多すぎないので、
私にはとても歩きやすい。

明日、検査結果が出そろって、方針が決まって、手術の説明を受ける。
両親同席。

仕事したい、大阪にいたい、という私の我儘で、東京での手術せず
大阪で全部片付けることにした。超重い腰ながら調べまくって、自分で病院も決めて、
検査結果のプレパラートとでっかい画像写真を持って京阪電車に乗り、
てくてく病院まで歩いて行って、「手術してください。」って言った。


なんなんだろ、この経験(笑)


私にとっては東京ー大阪間はもう何度となく行き来している通勤路のような
もんだけど、母にはたぶんだいぶ遠い。術後しばらく動けないから、母は
しばらくいてくれると言うけれど、慣れない大阪で母が滞在するのに、
負担をかけることを考えたら、東京で手術した方が良かったかなー。。
とか考える。


たぶん緊張してるんだな。ひよってる、といった方がいいかも。どんどん
何もかもが進行していくけど、気持ちは全然ついていかない。全部間違いで、
夢か勘違いかなんかで、ぱって目が覚めたら「なかったこと」にならないかな?


はー。動き出す気にならない。


今日も会社で作業中の職人が待ってる。お客さんも来る。


はー。もう行かなきゃ。


昨日から、なぜか「シェエラザード」の中の一曲が、ずっと頭の中で回ってる。
"young prince and princess”
ピアノで弾いて遊んでいたら、後ろで調律師が口笛でご機嫌に乗っていた。


前任のピアノ部門責任者のおじさんは、本当に音楽が好きだった。らしい。
私が大阪に来たのは彼が癌で亡くなった1年ほど後で、とうとう会うことができなかった。
ひとりでピアノ部屋にいるとき、いつも「なんで死んじゃったんだろ」
「会っておきたかった」って心の中で思う。
そのおっさんが残していったピアノを弾いていたら、なんかすぐ近くに
いるような気もすんだけど…。
2012-05-17 22:06:36

ご報告。

テーマ:ブログ
っっって、、


寿に妊娠、出産、二人目、もしくは1周年やら2周年!!


人生の変わり目のこんな年。嬉しい報告が毎日のように舞い込んできます。

一方私、陥没した人生から復活したのがかれこれ5年ほど前。

びびりんこのブログには、そんな頃のこともいっぱい詰まっていて、
たくさんの人が読んでくださって、私は写真とかあまりうまくないから、
字ばっかりで蕁麻疹の出るようなブログを続けてきたのだけど、
ほんとに文章を書くことと読んでもらうことが、私の支えでした。

だからこそ、絶対だまっとこ、、って、思っていたけど、、
自分の支えが今どうしても必要なので、一応文章にしてみます。
直接電話や会いにいって報告ができなかったあの人、あの人、あの人・・・
いっぱい顔がうかぶ。いま自分の生まれ育った東京から離れたところに
いることが、こんなに心細くて、こんなに歯がゆいなんて。


私、からだに病気がみつかっちゃったのね。病名は偏見が怖いのでさすがに
ブログに書く勇気がないけど、まだまだ命に関わる前の段階で早々に手術
できることになり、今準備として検査に追われているところ。


妖怪の館に就職したのは4年前。30年前を引きずったパンタロン、
口を開けば虚言を繰り返す子泣き爺、極度に頭の悪い噛みつき男、
そして一歩も歩かないぬりかべちゃん、80過ぎて居眠りとお菓子三昧の
上司、会話の成立しない掘立小屋が職場という過酷な環境で
踏ん張って踏ん張って、人を変え、移転し、お金を回し商品を回し人を回して
会社とともに走った4年。今になって、やっと、やっとやりたい仕事が始まって、
企画開発やピアノの新ブランド開拓に燃えていたところ。


病気の発覚は私には今になっても信じたくない事実。悔しくて悔しくて、
ときどき身体が痛くて、悲しくなるけど、今、絶対自分の歩く道を変えるわけにはいかない。
私にはやりたいことがたくさんあるし、必ずふだんの毎日をとりもどそう。
と、決めて、前にも増して仕事。周りの人、ゴメンナサイ(笑)
病院に行く日は早朝出勤して仕事を片付けてから行く、病院と会社を一日に何度も往復、
入院直前まで出張も行くし、手術直後の会議にも出る。
これから何年も続く長い病院通いは、自分の人間力の肥やし・・・かも?


正直、体にこれから起こる変化は本当に怖い。見た目も変わるし、きっと
体調も悪くなる。たぶん機嫌もわるくなるし、ピアノが思うように弾けないかも
しれない。少なくともグランドピアノの天板を自分であけることはできないと思う。


大阪で私の面倒を見てくれているボン社長は、私の病気発覚で本当にショックを受けて、
しばらく立ち直ってくれなかった。

隠したままやり過ごそうとする私を徹夜で説得し、
「社内全員が私の病気を理解しなければ自分が耐えられない、頼むから皆の前で
発表してくれ」と言うので、私はやむを得ず皆に宣言した。あの日の朝、
大好きなピアノの部屋に呼び出され、上司と二人で「よし、行こう」と言ったときのことを、
私はたぶん一生忘れないと思う。


それでも、腫れものに触るように、ていうかまるで腫れ物のように、これから
扱われること、傷物と思われること、これから人生踏ん張っていくのは、
難しいかもしれない。あたしちゃんと幸せになるのかな?いつになったら
親孝行するんだろ。いつまでも親に甘えて迷惑かけて面倒かけて、何のために
生きてきたんだか。

って、ふとした瞬間に思ってしまう。不安で泣いてしまうときもある。
そんな自分はマイナスだ!と、そのたびに鼓舞して、いかんいかん。と思い直す、
毎日その繰り返し。

でも今できることはただ一つ。元気になること。
とにかく、今の自分がいちばん自分らしい。と、思えるように、日々がんばってます。
あとで思い出したら、「あんとき大げさに騒いだっけなー(笑)」くらい、思えたら、ね。


そんなわけで、しばらく余裕がなく周りをすっぽかしたりそっちのけだったり
するかもしれません。かとおもえば凹んで甘えてきたりするかもしれません。
少なくともブログを読んでくださっている皆様にはいつか恩返しをしまする。
どうか見守りお願いします。

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