お世話になります。
林でございます。
台風13号の影響で延期になった南房総市立千倉中学校の運動会。
来年度から合併ということで最後の運動会となりました。
来賓として呼んでいただいたので、開会式だけ見させていただきました。
暑い中、生徒たち先生方、保護者の皆様。
本当にお疲れ様でございます。
熱中症予防の観点からやはり、開催時期の変更をすべきと考えます。
元々体育の日は10月10日ですので、その辺りにするとか。すでに他の地区では5月に開催したりですとか、猛暑日近くなることが安易に想像できる9月に開催する妥当性はもはやないものと考えます。
生徒1人1人をできるだけ、じっと表情を確認させていただきましたが。
何人かは私の勝手な見方ですが、全然気持ちが乗っていない子もいました。
それもそのはずで、そもそも運動が苦手だったり嫌いだったりする生徒に運動会に強制的に参加させる意味というものが、現代にマッチしているのでしょうか?
色分けして、戦わせる意味はどこにあるのでしょうか?
小学校の運動会を見させていただいた時も思ったのですが、どこか軍隊の香りの残る集団行動や応援合戦。
令和の時代に本当に必要でしょうか?
昭和に生まれた大人たちが勝手な価値観を押し付けていませんでしょうか?
教育を大人たちの事情で偏らせていませんでしょうか?
議員になってから、妙にその辺が引っ掛かるようになりました。
やりたくないことを無理矢理やらせるから、余計に嫌いになってしまう。最悪トラウマになってしまうケースもある。
私は中学校2年生の時、青年の主張的な作文を全校生徒の前で読み、自身の主張を全生徒に聞いてもらったことがあります。
その時、私が言いたかったのは
「やらされるということは、実はめちゃくちゃ楽。
自主的に何か行動することはとても難しいが、そこに私達の生きている意味がある」
という主旨のことを主張しました。
具体的には
素行不良の生徒たちが先生に言われたことすらやらない。反抗的な態度をとることで、自己主張する。
こんなことに全く意味はなく
先生に言われたことを実践した上で、その必要性を考え、先生に改善を求めたり、必要なものはより効率的に実践し続ける。
その場合での先生との意見の相違は徹底的に話し合うべきである。
自分から何もやっていないのに、先生に反抗するな。するんだったら、それなりの理論武装をしろ。
自主的に行動すべきことを考えてから、物を言うべきだ。
と、5分間くらい熱弁しました。
なんと生意気な生徒だったことでしょう。
次の日、3年生にボコボコに暴力を振るわれたことは今でも忘れません。(時効ですけどね。笑)
同時に先生にも反発的な主張でした。
先生の言うことを鵜呑みにするな。とも思ってましたから。笑笑
今、思い返すとこの時の主張はまだまだ詰めの甘いただの坊主の戯言ですが。
それくらい、中学生というのは多感で、成長生長の幅の大きな時ですので、現代の難しさも加味すると。
今まで通りの教育を慣例的に行ってばかりいたら、大人になった時にそのツケが大きくまわってくるのは必至と考えます。
運動会だけを、とっても慎重に考えるべきですし。
今後の義務教育の意義というものもしっかりと教育委員会には最新のアップデートをし続けた状態で執り行って欲しいと考えました。
5年後も見通すのが難しい世の中。
子どもたちに何を教えるか。
義務の中身というものを突き詰めていただきたい!

