「何のために病気になったのか、

意味がわかれば治る」

 

と、ある人に言われました。

 

 

 

わたしは当時、

 

治らないのは意味がわからない自分が悪い

 

と責められている気がして少し落ち込んだのと

スピ的な言い方に若干不快感もありました。

 

(スピがキライなわけではないのですが

なんとなく腹ただしく感じていました)

 

 

 

 

 

 

それを言われてから数カ月後、

 

 

 

 

 

 

 

①わたしは自分でコントロールできると知るために病気になった?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②コントロールせず、流れに身を任せて波に飲み込まれる方が生きている感じがする!

と感じていたのはなぜかを考えるきっかけのために病気になった?

 

 

 

と考えていました。

 

 

 

 

 

 

このときは、

すごい閃きや気づきだったように感じたのですが笑ううさぎ

 

 

 

病気になったのは、

 

そういう環境だった

そういう考え方だった

なるべくしてなった

 

と今では納得しかありません笑

 

 

 

 

寒い中薄着で過ごしていたら風邪ひいた。

 

そりゃそうだよね、という感覚と似ています笑い泣き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流れに身を任せておけば、

何かが起きた時に自分の意思ではないので

誰かや何かのせいにできる。

自分の責任にしなくて済む。

 

 

 

他人のせいにして被害者ヅラしていた方がいい。

 

 

 

自分のためにストレスフルな状況を解決するための行動を起こすなんてできるわけがない。

怖い。

 

 

 

 

 

 

 

自分の人生自分で舵をとれなんて言うけど、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしなんかが自分の力で自分の人生を切り開いていくことが出来るわけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

…これは

 

学習性無力感だったのかな。

 

(長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象)

※Wikipediaより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ、情緒的ネグレクトされていれば、

学習性無力感になるのも納得だよ凝視

 

 

 

 

※この記事↑でも紹介している本から引用。

 

親から適切な世話はされていてある程度の愛情もあったのだが、

環境的な問題から母親の精神状態に余裕が無く、その結果

「情緒的ネグレクト」になっていたことがあげられる。

 

環境的な問題から母親の精神的な緊張が高かったことから、

子どもは感情の機微を拾ってもらうことが無く

それが長期間続くことで学習性無力症のような状態となり、

ストレス刺激を与えられた時に動けなくなる無力な状態となる。

 

 

 

 

 

 

わたしが何をしたって意味がない。

わたしが何かやったって変わるはずがない。

 

 

根底にそれがあるから、

 

ストレス状態になっていても

何か行動をして事態を変えようとせず

人のせいにしてイライラしながらも

我慢してひたすら耐えていた。

 

 

 

 

 

 

わたしはどんな些細なことでも

自分の本音を叶えるために

事態を良い方向に進ませようと

自分が自分のために行動してきた経験

 

なさすぎました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経験がないから、

成功体験も失敗体験もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、リワークで

 

行動してみて事態を変えることができなかったとしても

行動したことで自分の気持ちは変わった

 

ということをいくつか経験できたので

 

 

行動してみることは大事だなにっこり

 

 

と思えるようにはなりましたキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が理想とする自分とのギャップも

徐々に受け入れられるようになってきたので

(自己受容)

 

 

いい意味で自分への期待が下がったこともよかったのかもしれない。

 

 

あんまりやってこなかったのだから

できなくて当たり前だわ、と。

 

 

 

 

この記事で↑

 

7時台の音はなくなりました(伝わった?)

でも8時台には音がする日もある(伝わってない?)

 

解決か解決じゃないかと言われると未解決ですが

 

行動できた自分を

今でも偉かったなぁ、と思える笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②コントロールせず、流れに身を任せて波に飲み込まれる方が生きている感じがする!

と感じていたのはなぜか

 

→生育環境による学習性無力感と関連があるのでは。

 

 

 

①わたしは自分でコントロールできると知るために病気になった?

 

→病気になってリワークに行ったことで

自分でコントロールしようとすることの大切さを知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

感情は自然発生するものだから

コントロールできないと思っていて

感情の波に飲み込まれるのは仕方ないと思っていた。


その気分の浮き沈みに翻弄されることで

「人生わたしは主役で生きてる」と思えていた。



 

発生する感情をコントロールするのは難しいけど、(ネガティブな感情を抱かないようにする!などね)

その自然発生した感情をどうするかは

自分でコントロールして決めることができる。

 

 

 

 

落ち込んだり不安になったり

感情の波の浮き沈みは誰にでもあるので

 

 

浮き沈みの波をどう乗りこなしていくか。

 

 

 

サーフィン

 

 

スノボ

 

 

 

 

 

 

 

 

昇天

 

 

 

 

今も波乗りの練習中です。

 

 

冷静にどんな波なのかを見極めたり

(ノートなどにアウトプットしたり)

 

 

乗りこなしの上手な人を真似したり

 (他の人の考えを知って視野が狭くならないようにしたり)

 

 

経験を積んで慣れていったり

(行動してみたり)

 

 

 

波乗りを必死にするのではなくて

 

波乗りを楽しみたいと思います笑

 

 

 





 

 

 

 

これも思い出しました、

 

気分の上がり下がり(波)はあって当たり前

 

ということ↓

 

 

 

 

 

 

 







 

自分の感情の浮き沈みに飲み込まれそうなときは、



自分でどうにかできること、

コントロールできることなんだ

ということをぜひ思い出してもらえればなと思いますにっこり




そうすると、






自分の人生を生きている、という実感が


気分の浮き沈みに翻弄されることから


自分でコントロールすること

変わると思いますにっこり