納骨の多様化についての考察 | お寺を作れ!【りんご地蔵修行記】~札幌市南区澄川曹洞宗観音院住職のブログ〜

お寺を作れ!【りんご地蔵修行記】~札幌市南区澄川曹洞宗観音院住職のブログ〜

このブログは札幌市南区澄川にある曹洞宗観音院住職が書き綴ったものです。お寺をゼロから建ていく様子を赤裸々に描いています。ご笑覧下さい。合掌



昨今では遺骨の収蔵の様式に

沢山の選択肢があり、

恐らく今後もその多様化は

進んでいくと考えられる。ニコニコ


しかもそのスピード感は早く、

最も古い様式であるお墓は、

一歩間違えるともはや

「負の遺産」のように

取り沙汰されている。爆笑


普通に考えて

お墓が負の遺産なわけはないが、

あるプロセスを経て、

今の沢山の選択肢の中から

メリットデメリットで比較検討すると

そういう状況に陥ってしまう。ガーン


私が考えるに、これは、

マーケットが作り出した

新しい価値観に

人が流されていく

典型的な事例だと思う。ニヤリ


現にお墓というものに対して、

「先祖に心を手向ける場所」

というよりも、

「子供に迷惑をかけるもの」

といった負の遺産的な印象の方が

強くなってしまっている気もする。ニコニコ


そう見えてしまうのが、

私だけではないとすれば、

明らかにメディアによる

墓じまいを必要以上に煽る傾向が

原因でもあると言える。ウインク


結論を先に言えば、

遺骨の収蔵の様式に、

これが正しい!とかこれが一番

という絶対的な正義はない!

そしてその序列もない!ウインク


その家の家族構成や住環境、

就業形態、親族関係、その他

色々なものが作用して、

個々の家庭または個人など

それぞれで違うものだと思う。ニコニコ


僧侶と立場としても、

多様化した最新の納骨様式が

全て悪だとは言いがたい。キラキラ


問題は、その様式をもって

あなた自身が大切な人の遺骨を

敬意をもって弔うことができるか…

ということだと思う。星


埋葬と処分の差は、

「敬意」のほかならない。ラブラブ

例えば昨今話題の海への散骨や

風船に遺骨を入れて飛ばす宇宙葬

などを一概に否定すべきではい。アセアセ


その様式にあなた自身が

敬意をもって弔うことが出来るなら

私はよいと思う!!ニヤリ


ただし、人によっては、

粉末にした遺骨を

風船に入れて飛ばす際に、

「ありがたい」とは思えず、

「これでいいのかな?」と

首をかしげる人もいるのは事実。


そういう人は、そういう人なりの

選択をすべきだと思う。ウインク


今一度原点に返って考えると、

従来の構図は下記のもの。



まずはお墓というのがベースにあり、

そうでなければ納骨堂という選択がある。

それがなんらかの理由で困難な場合、

やむおえず、、、

「合葬」ということになる。

この「やむおえず」がポイントとなる。


しかし納骨の様式が多様化すると、

いつのまにか

従来の直列式の構図から、

並列式の構図へと変わっていった。↓


(↑住職の終活講座資料より引用)


実際今の世の中では、

納骨の様式を横並びのように捉え、

その中で選択されているように思える。

そして新しい様式は、

費用面の画期的なメリットが

大きくうたわれている。ニヤリ


実はここで置き去りにされてしまった

本来持つべき基本的な視点がある。

それは、「弔いの価値」。ニヤリ

納骨した後に実際にそこで、

手を合わせ心を手向けた時、

亡き人に向き合えるかどうか…

という視点である。ニヤリ


納骨の様式が横並びになった際、

どうすれば良い弔いになるか…

という視点はゼロではないにしろ

忘れられてきているのは事実。ショボーン

もちろん費用面は大事です、

否定はしません。ウインク


しかしながら、

同じ合葬墓に入れるにしても、

もうどうすることできない…

仏さんに申し訳ないが

やむおえず合葬墓に入れる

というのと、

ど〜れにしようかなルンルン方式で

選択したものとでは、

プロセスと心構えが全然違う

ということは理解できるかと思う。

あくまでも私個人的な意見ですが、

やはり従来の直列型の構図は、

人としては自然体のような気もするおねがい


なので、お寺の立場としては、

現在有している納骨堂を

現代社会においても最大限に価値を高め、

魅力的なものにしていきたいウインク


経営の観点から見る

コストパフォーマンスも

より高めていきたいが、

あくまでもそれは最新様式に

対抗・競争するためてめでなく、

弔う側によりよいスペックを

提供するためと考えます。おねがいウインク


そして、最新様式について

無意味な批判や悪口を言うこと、

特に僧侶がそれをするところも

しばしば見受けられるが、

それを選択してしまった人を

不安にさせる以外何もいいことはなく、

僧侶の立場としては、

そうならないよう心掛けたい。ウインク