富岡城跡
熊本県天草郡苓北町富岡2240
慶長6年(1601年)に天草の領主となった、肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602年)頃から築かれた。寺沢氏は、富岡城に藩代を配置し天草を統治したが、寛永14年(1637年)島原・天草一揆で一揆軍から攻撃を受けた。この乱後、山崎甲斐守家治の領地となり、山崎氏は大規模な修築及び拡張を行い現在に見られる富岡城の形ができた。山崎氏の後に天草は天領となり鈴木代官の時代を経て、戸田伊賀守忠昌時代の寛文10年(1670年)破城され再び天領となる。
袋池神社
熊本県天草郡苓北町富岡
伝説
ある米屋の一人娘に両親が良い婿を迎えるためずるい商売でお金持ちになって、婿を迎えることになったある日、池で米を洗っていた娘が池に落ち大蛇となり底へと消えていった。
両親はこれは報いだと「祠」を建てたということです。
社頭
天草・島原の乱から10年後の正保4年(1647)に、初代の代官鈴木重成の手によって供養碑が建てられ霊を慰めたと言われています。