CIBERCUBA(執筆者:Joel del Rio)の記事からの抜粋
1963年2月19日、ベニー・モレ(本名:ベルナベ・マキシミリアーノ・モレ)の死去が知らされると、国中が悲しみ、喪に服した。
これほど多くの国民が参列し、その死を悼んだ葬儀はかつてなかった。
最初、人々は救急病院を取り囲んだ。その後、彼の亡骸に付き添い、芸術・芸能労働者組合に向かい、遺体はひとまずそこに安置された。
出棺時、“バルバロ・デ・リッモ(べらぼうなリズム野郎)”に最後の別れをしようと人々は霊柩車の周りに群がった。
そして、彼の生まれ故郷、サンタ・イサベル・デ・ラハスに向かう葬列が通る街道沿いの村々からも、ベニーに別れを告げに人々が集まった。
ラス・ラハスに着くと、まずスペイン系社交クラブ(カシーノ)で、次にアフリカ系社交クラブで宗教的な葬儀が営まれた。
その後、愛する人々が見守るなか、棺は墓地に埋葬された。
以来2月19日になると、人々は彼の死を嘆きつつも、何よりその歌声に耳を傾け、偲んでいる。
また、ICAICの忘れがたいニュース映画(ノティシエロ)のおかげで、彼の葬儀の光景は、何世代にも渡り、鮮明に記憶に残っていく。
サンティアゴ・アルバレスが監督・編集した映像は、ありふれたニュース映像とは一線を画す、唯一無二の一篇である。
Marysolより
私がベニー・モレを初めて意識したのは、2006年のハバナ映画祭で見た映画『エル・ベニー』がきっかけ。
そこでも書きましたが、ラストの葬儀のドキュメンタリー映像に心を掴まれました。
以来、全編を見たいとず~っと思い続け、時々Youtubeを検索していたのに発見できず…。
ところが、上に一部訳出した元記事のなかに、13年間探し求めていた映像が入っていました!
なんと嬉しいサプライズ!
ぜひ皆さんにも見て頂きたいと思い、シェアします。
今から57年前のキューバにタイムスリップすると共に、アルバレスの革新性にも触れて頂ければ幸いです。
参考:アルバレスの革新性
キューバを代表する歌手、ベニー・モレの葬儀のニュース(1963年)で、陽気なベニー本人の歌をバックに使い、それまでの常識を破る。
この大胆な試みは、死者への敬意を欠くと物議をかもしたが、アルバレス本人は映像だけでなく音楽に語らせること、コンビネーション、モンタージュによる表現の可能性に気づく。
★わが師、マリオ先生が語るベニ・モレの魅力
https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10025744689.html