“英雄的ゲリラ”:世界一有名なポートレート誕生秘話 | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

近々紹介する予定の『シリーズ:ラファエル・アルシデス』の第3章のための参考情報です。

英雄的ゲリラ
第3章に登場するチェの写真(右)を撮ったカメラマンが、アルベルト・コルダ。
そのコルダによれば、この写真を撮ったとき「チェの瞳は怒りに燃えていた」。

というのも写真が撮られた前日の1960年3月4日、ハバナ港で悲惨な爆発事件が起きたから。


その事件とは、革命防衛のためベルギーから購入した武器や弾薬を満載したフランス船「ラ・クーブル号」から積み荷を降ろす作業中、なぜか榴弾が爆発(フィデル・カストロは米国の陰謀と見なす)、200人以上が負傷し、100人近くが死亡した大惨事のこと。


事件が起きた午後3時ごろ、チェは農業改革庁(INRA)で会議中だったが、爆発音と巨大な噴煙に驚き現場に急行。負傷した港湾労働者や兵士たちの手当てに奮闘するも多くの人命が失われた。


後に「英雄的ゲリラ」というタイトルと共に世界で最も複製されたという、この有名な写真は、事件の翌日(3月5日)に行われた追悼集会におけるチェの表情をとらえたもの。
それは奇跡的に訪れたシャッターチャンスの産物だった。


7年後、イタリアはミラノで出版社を営むジャン・ジャコモ・フェルトリネッリが、チェの写真を求めてコルダのスタジオを訪れる。
そこでコルダがこの写真のネガを見せたところ、フェルトリネッリが気に入ったので、コルダは現像し無償で提供した。


数か月後の10月9日、チェがボリビアで捕まり処刑されると、フェルトリネッリはチェの写真を大型のポスター(70×100㎝)に印刷し販売。
こうしてチェの肖像は世界中に拡散し、抵抗運動や闘争のシンボルとなった。


※「ラ・クーブル号爆破事件」について
A) レイセスター・コルトマン著「カストロ」より
1960年3月、一隻のフランス船がハバナ港で爆破された。船の積荷はベルギーからの武器と弾薬だった。二度にわたる凄まじい爆発により81人が死亡、さらに数百人の負傷者が出た。そのなかには、キューバ人港湾労働者や消防士も含まれていた。(中略)カストロはあらゆる惨事のなかに、つねにチャンスを見出した。彼は、爆発は〈革命〉の敵、とりわけ米国人による執念深く残虐な敵対行為の証しとみなした。(中略)彼は新しいスローガンをつくりだした。「パトリア・オ・ムエルテ、ベンセレーモス!」(祖国か死か、われわれは勝利する)は以後何年にもわたりあらゆる演説の締めくくりにおいてくりかえされることになった。


B) イグナシオ・ラモネ著「フィデル・カストロ みずから語る革命家人生」(上)より
1960年3月4日、ハバナ港のふ頭でフランスの貨物船ラ・クーブル号を爆破して、フランス人船員を含む100人以上を殺害し、キューバ人数百人を負傷させた。


C)拙ブログ関連記事:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10022431355.html



































※アルベルト・コルダ
キューバ革命が成就する前は、ファッション・カメラマンとして活躍していたが、革命後、報道写真を手がけるようになる。
拙ブログ参考記事(コメント欄もお読みください)
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10021889774.html
尚、上のブログで報告したドキュメンタリー映画『コルダビジョン』は、『チェ・ゲバラ 世界一有名なポートレート』 という邦題でDVD化され販売されている。
 
コルダの証言映像(ラ・クーブル号爆発事件と翌日の追悼式の映像、チェの写真を撮ったときのことなど)はこちら でご覧ください。


※ “英雄的ゲリラ”

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E9%9B%84%E7%9A%84%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%A9