『続・低開発の記憶』プレミア@N.Y. | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

MARYSOL のキューバ映画修行-Memorias del Desarrollo 先日お知らせしたように、きょう17日はニューヨークの「ハバナ映画祭」でミゲル・コユーラ監督の「続・低開発の記憶(Memorias del desarrollo)」が上映される日。
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10501414379.html
彼の作品のベース、『低開発の記憶』(トマス・グティエレス・アレア監督/1968年)がきっかけでキューバ映画にハマり、原作者デスノエスとも“奇跡の出会い”をし、彼からミゲルを紹介された私は、両作品の橋渡しをすることを、ブログを書く上でひとつの目標にしてきました。


ミゲルの作品の出来栄えは未見なので分かりませんが、いずれにせよ、両作品は、キューバ革命の激動の半世紀を象徴する映画になると思っています。


原作はどちらもエドムンド・デスノエスの小説で、タイトルも小説と同じ。
アレア監督は、デスノエスと密接な関係を保ちながら(映画化を通して、原作も改訂された)、そしてコユーラ監督も途中まではデスノエスと常にコンタクトを取りながら本作を製作しました。


ただ、コユーラの場合は、独自の視点やアイディアが湧いてきて、主人公の年齢も20歳以上若返るなど、デスノエスの原作から離れていき、共同作業が困難になってしまいました。

結果的に単独での映画化になりましたが、私としては、デスノエスが今晩のプレミア上映に出席してくれることを密かに願っています。


でも、仮に出席しなかったとしても、すでにミゲルから送られたDVDを見て、出来栄えに満足していることをデスノエスはメールで私に伝えてくれました。
いわく
MARYSOL のキューバ映画修行-Edmundo Desnoes §予想を上回る出来栄え。
§原作の主人公の内面がきちんと映画に反映されている。
§真剣な意図のもと、ステレオタイプな表現に堕していない。



ということで、映画の成功を祈っています。反応が楽しみ。


インタビューに答えるミゲル・コユーラの映像:
http://www.ny1noticias.com/13-portada-news-content/cultura_y_sociedad/116862/en-entrevista---memorias-del-subdesarrollo-?ap=1&Flash
彼の話している内容:
MARYSOL のキューバ映画修行-Miguel Coyula 「『低開発の記憶』の続編を撮るにあたり、非常に重い責任を感じた。しかし脚本を読み始めてまもなく自分独自のバージョンで製作しなければならないことに気づき、それからは完全に自由を満喫しながら製作を進めた」。


「デスノエスとは2004年のハバナ映画祭で知り合い、続編の小説が完成間近であることを知り、ぜひ映画化したいと思った。(アレア監督の)『低開発の記憶』の映画話法には、70年代以降失われてしまう実験的で、自由な映画話法が魅力のひとつ」。


「低開発の記憶の主人公セルヒオは、プチブル出身で、急速に変化するキューバ社会に違和感をもつ、シニカルな観察者。一方、続編の主人公は50年代に生まれ、彼の知的形成が革命のなかで成されている点が、前作と大きく異なる」。


「この作品は、いわゆるポスト・マルキシズム世代の映画で、21世紀におけるイデオロギーの死について分析している。一般化する気はないが、僕たちの世代は、キューバの未来が期待どおりに実現されず、挫折感を抱くと同時に、革命の中で育ったせいで、アメリカに限らずどんな社会に対しても批判的な眼差しを獲得した」。