“ユートピア”への狂信と懐疑 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

きょう(22日)は、Bunkamura主催の『コースト・オブ・ユートピア~ユートピアの岸へ』 上演に際する、スペシャルトークイベント に行ってきました。
トークイベントのスピーカーは、ドストエフスキー研究の第一人者、亀山郁夫氏。
私は亀山氏が日経新聞に連載中の「ドストエフスキーとの旅」を毎週(日曜)楽しみに読んでいますが、実際にドストエフスキー作品で読んだのは『地下室の手記』くらい。
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10037950906.html
『罪と罰』も読み通す自信も気力も無く、映画で観ました。


でも、氏のエッセイ「ドストエフスキーとの旅」は、第一回目から切り取ってあります。
己の身を切り刻むような誠実さ、真摯な内容が魅力です。
また、氏が綴るロシアの矛盾にキューバのそれが重なります。
キューバファンの多くは、キューバに“ユートピア”を重ね合わせていると思いますが、私は“ユートピア”と現実のギャップにもがく知識人の苦悩や、彼らは敗北者なのか?とか、夢が潰えたあとの生き方に興味があります。


そんな私のもとに届いたBunakamuraのメールマガジン:


 世界の現代史を決定づけた革命前夜の壮大な物語―。
 『コースト・オブ・ユートピア』(作:トム・ストッパード /演出:蜷川幸雄)
 は19世紀激動のロシアを舞台に、理想の社会を目指し革命を志した、実在の
 人物たちの青春時代から壮年期までが描かれた大歴史叙事詩です。
 しかし、戯曲に描かれているのは、理想と現実の間でもがき、成就しない
 恋愛やどうにもならない嫉妬心に苦しみながらも<前進>を続けようとする
 生々しい人間の姿です。


 より深く本作品世界を理解し、楽しんでいただくために、ロシア文学者・
 亀山郁夫氏(東京外国語大学長)によるスペシャルトークイベントが急遽決定
 しました!


 近年、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」の新訳で、
 ロシア文学への認識を新たにさせた亀山郁夫氏(ロシア文学者、東京外国語
 大学長)が、ロシアという大国の特徴や19世紀に生きた知識人たちの秘話を
 語ります。
 近くて遠い“激動の”国、ロシアを知ることで、舞台への期待感をより
 高めていただき、決して英雄とはいえない、人間味溢れる登場人物たちに
 更に共感を持っていただけることでしょう。
 ぜひ、ご参加ください!!


一読するなり、迷わず申し込み先のURLをクリック!
きょうの日を迎えた次第。


MARYSOL のキューバ映画修行-The coast of Utopia 「コースト・オブ・ユートピア」の主人公は、アレクサンドル・ゲルツェン という人。
亀山氏いわく「ドストエフスキーより、成熟していた知識人(思想家)」。
ニコライ一世の時代(19世紀中頃)、農奴制という“奴隷制”に倫理的な心の痛みを覚え、ロシアの悲惨な現実を変えようとした彼ら知識人の、理想(観念)と現実(人間の世、偶然)の葛藤を、悲劇的かつ滑稽に描いているのが魅力だとか― すでにロンドン、NY、ロシア本国でロングラン大ヒットを記録したそうです。


ただ、聞けば聞くほど私には、19世紀ロシアの人間ドラマが、1960年前後のキューバに重なります。
亀山氏の話はどれもこれも示唆に富んでいたのですが、アレア(もしくはデスノエス)との接点を考える上で最も印象的だったことのひとつは:
ゲルツェンという人物は、啓蒙主義者であり、人間の本性を善と見なすオプティミストでありながらも、そうした“ユートピア的思想”を非現実的だと認識していた、という点。
「これこそ新しい理想」的な言質には、うさんくささを覚えていたらしい。
トークの終盤では、何度か「懐疑」という言葉を口になさっていました。


「狂信の幸福」を選ぶか、「知ることの不幸」を選ぶか?
ゲルツェンは「後者」を選ぶ(精神的な乞食として生きる)のですが、チェ・ゲバラやフィデルは、前者でしょうか。


私のキューバ体験は、後者だけれど、「人間は性悪であると同時に性善である」という希望は放棄していません。(だからこそ、それを裏切らない行動をしたい)


最近読んで感動した本「サラミスの兵士たち」 、きょうイベントのあと駆け込んでみた映画『大いなる幻影』キューバ映画の魅力― たぶん根っこで繋がっていると思う今日この頃です。