船橋/長野

母子バラバラ殺人事件

1989年

 

朝日新聞(1989年5月14日)

 

【母子遺体の発見と夫の逮捕】

今から35年前の1989(平成元)年5月13日、長野県東筑摩郡本城村の青木峠に近い国道143号線沿いの雑木林の急な斜面に、成人女性と男児の遺体があるのを、森林組合の職員が発見しました。

 

朝日新聞(1989年5月14日)

 

女性の遺体は11個にバラバラに切断されて黒いビニール袋に入れられており、投棄された時に袋が破れて遺体の一部が外に出ていました。

 

残された2人の着衣と血液型、さらに遺体を包んでいた新聞紙が千葉県内で配布された4月23日付の「聖教新聞」で「シキミ(仏事に使われる植物)」も見つかったことから千葉県の創価学会にも照会して、警察は被害者の身元特定に取りかかりました。

 

毎日新聞(1989年5月15日)

 

警察が身元の解明に全力をあげていた5月15日、福島県郡山市に住む根本房雄さん(当時65歳)から、「船橋市に住む娘と孫ではないか」という通報がありました。

ニュースを見て遺体の特徴が似ていることから心配になり、娘に連絡を取ろうとしてもとれなかったため、郡山署に届け出たそうです。

 

そして、遺体の指紋と福島の実家に残されていた娘さんの指紋とが一致したことから、被害者の母子は、千葉県船橋市西習志野1丁目のアパートに夫の阿部隆(同32歳)と一緒に住む阿部アヤ子さん(同40歳)と長男の秀之君(同2歳)と断定し、警察は5月18日に阿部さんのアパートを捜索しました。

朝日新聞(1989年5月18日)

 

朝日新聞(5月18日夕刊)

 

すると室内から、遺体をバラバラにした時に使ったと見られる血のついた包丁や、浴室から血痕が見つかったこと、さらに夫が5月6日から9日まで船橋市内で借りていたレンタカーのトランクから異臭がすることから、行方が分からなくなっている夫の隆が2人を殺害して遺棄したとみて、即日、全国に指名手配しました。

 

朝日新聞(1989年5月19日)

 

警察の調べによると、夫の隆は、長野で母子の遺体が発見されたニュースが流れた5月13日の夜に、近所の行きつけの飲食店で「アヤ子のおふくろが危篤で郡山に行くのだが、銀行が休みなので電車賃を貸してほしい」と頼んで5万円を借り、翌14日から姿をくらませていました。

 

朝日新聞(1989年5月21日)

 

全国指名手配から4日後の1989(平成元)年5月22日午前3時半ごろ、JR熊本駅前の派出所をのぞき込んでいる全身ずぶ濡れの不審な男がいたので警察官が職務質問したところ、「長野で人を殺してきた」と供述したので熊本南署に連行したところ、確かに指名手配されている阿部隆だと確認されたため、同日午後に捜査本部のある長野県警松本署に身柄を移送しました。

 

朝日新聞(1989年5月22日夕刊)

 

阿部隆が熊本に来たのは5月18日で、阿蘇山の辺りをうろついたり熊本市内で映画館に入ったりした後、「22日午前2時ごろ、死のうと思って熊本市内の白川に入ったが、死に切れなかった」と話しており、妻子の写真38枚を持っていました。

所持金は77円で、逃走資金も底をついていました。

 

毎日新聞(1989年5月22日夕刊)

 

【犯行に至る事情と動機】

阿部隆とアヤ子さんは、共に福島県郡山市の出身です。

 

県立の女子高を卒業後に20歳で一度結婚したアヤ子さんは1児をもうけましたが、子どもを夫の側に残したまま離婚し、働きに出た鉄工所がたまたま隆の実家だったそうです。

 

アヤ子さんに惹かれた隆の熱烈なアプローチで、2人は1981(昭和56)年12月に結婚、2年後(1983)に千葉県柏市に転居しました。

どうやら隆の親は、8歳年上のアヤ子さんと息子の結婚に反対だったらしく、「駆け落ちまでして一緒になった」と隆は取り調べで述べたそうです。

 

柏市から2人は、千葉県船橋市高根台を経て、事件当時住んでいた同市西習志野のアパートに1985(昭和60)年9月に入居しています。

 

一家が暮らしていた

「ハイムナカムラ」(2階201号室)

*事件後に建て替えられています

 

夫婦は、パチンコ店に住み込みで働くなどしながら仲睦まじく暮らし、やがて夫の隆はトラック運転手になりました。

 

まだ笑顔が見られたころの

阿部アヤ子さんと秀之君

(「週刊女性」)

 

ところが、長男の秀之君が産まれた年の1987(昭和62)年12月、隆が交通事故に遭うという不幸に夫婦は見舞われます。

 

1年近く入院し、退院した後も頸椎捻挫(けいついねんざ、いわゆるムチ打ち症)に悩まされた隆は、仕事に就けない状態が続きました。

 

しばらくは支払われた事故の補償金で暮らしていましたが、アヤ子さんが保険の外交員をして生活を支えたようです。

ただ、彼女の年収は180万円ほど(「週刊女性」1989年6月6日号)で、一家は生活苦に悩まされることになります。

 

ところが隆は、自暴自棄になったのか、公営ギャンブルや賭けマージャンなどで事故の補償金を使い果たし、夫婦の間ではいさかいが絶えなくなりました。

 

阿部 隆

 

自供によると、「妻に連日なじられ、生きるのぞみをなくした」隆は、「いっそキレイに片づけよう」と思い、1989年5月1日午後11時ごろ、寝ているアヤ子さんの頭をカナヅチで2回ほど殴ったあと首を絞めて殺し、さらに秀之君の鼻と口に粘着テープを貼って窒息死させました。

 

そのあと、風呂場でアヤ子さんの遺体をノコギリと包丁を使ってバラバラに切断し、黒いゴミ袋に入れました。

そして5月7日、船橋市内で借りたレンタカーのトランクに妻子の遺体を乗せた隆は、トラック運転手をしていた時に通ったことのある長野県の青木峠まで運んで遺棄したのです。

 

【裁判】

逮捕された隆は、取り調べを受けて殺人、死体損壊、死体遺棄の罪で起訴され、裁判にかけられたはずですが、それについての情報をブログを書いた時点では見つけることができませんでした。

 

そこで、「もし阿部隆の裁判・判決について情報をお持ちの方がおられましたら、お教えいただけると嬉しいです」と書きましたら、いつもブログを読んでくださり裁判の判例に詳しい方がさっそく、「この夫は、千葉地裁で懲役18年(求刑は、同20年)の判決を受けています」と教えてくださいました。

 

朝日新聞の京葉版には載ったとのことなので、もう一度探して見つかれば、記事を追加でアップしようと思います。

 

サムネイル

小川里菜の目

 

駆け落ち同然に結婚し、5年あまりたってようやく子どもにも恵まれた阿部隆・アヤ子夫妻ですが、夫の交通事故と失職によって生活はあっけなく崩れます。

 

生活苦からギャンブルに逃げた隆が、アヤ子さんに浪費をなじられたことから逆ギレし、妻だけでなくまだ2歳3ヶ月にしかならない一人息子まで殺害して、2人の遺体を長野の山中にまるでゴミのように投棄した非情で無惨な事件です。

 

この事件は、夫が妻の遺体をバラバラにし、また幼い子どもまで殺したことに世間の関心が集まりましたが、なぜこのような悲劇が起きたのかについての情報はほとんどありません。

 

また、遺体を包んだ新聞紙の件から分かるように、阿部夫妻は共に創価学会の会員で、特にアヤ子さんは学会組織の末端である「ブロック」の役員をするなど熱心に活動していた*ことから、教団が何か関係しているのではないかとの憶測もネットでは流されていますけれど、小川が見る限り事件と直接の関係はないように思われます。

 *夫の隆の方は、活動的な信者ではなかったようです

 

このように限られた情報から考えられることは少ないですが、小川が事件から思ったことを一つだけ書いておきたいと思います。

 

これは、阿部隆は決して根っからの怠け者、遊び人ではなく、交通事故の後遺症で思うように働けなくなってから、急激にギャンブルで身も心も持ち崩したと仮定しての話になります。

 

もし自分(小川)が夫だとして、事故で満足に働けなくなり、妻がパート仕事で得る月15万円ほどの収入では親子3人がカツカツ暮らすのも苦しいとなったらどうするだろうかと想像してみます。

 

元のように長距離貨物ドライバーとして働き一家を支えるだけの稼ぎを得ることは無理だとしても、競馬場やオートレース場に通ったり、事件の時もレンタカーで船橋から青木峠まで片道4時間半近くも運転できているのですから、幼いわが子のためにも、たとえ不本意な給与であっても今の自分にできる仕事を探し、妻の収入と合わせて生活する方法を必死で見つけようとするでしょう。

 

それも難しいのであれば、自分が家事や育児をより多く引き受けて、もう少し多く働けるよう妻を支えることもできたのではないでしょうか。

 

ところが隆はそのどちらもせず、ギャンブルに逃避し自分だけのうさ晴らしに無駄金を使うことしかしませんでした。

 

そんな無責任な態度を妻がとがめるのは当たり前のことなのに、逆ギレした隆は、ついには「キレイに片づけよう」などと、自分の思い通りにならないことの腹いせに子どもがおもちゃ箱をひっくり返すような行動に出て、後先も考えず妻子を殺害してしまったのです。

 

それはなぜなのでしょうか。

 

そこに小川は、衣食住や子育てなど一つひとつの具体的な日々の暮らしへの責任意識が希薄で(なぜならそれらは男ではなく「女の役割」だから)、一家の大黒柱として「女こども」を養っているという「男のプライド」が揺らぎ傷つくと、すねて一発逆転の「男のロマン」とかいうギャンブルの現実逃避に走り、それも行き詰まると「もうどうにでもなれ!」と人生を投げ出す「男らしさ」の弱さ/もろさ/身勝手さを見る思いがするのです。

 

熊本でお金が底をついてこれ以上逃げられなくなった隆が、派出所に出頭する前に市内を流れる白川に入って「自決」しようとしたと言ったのも、男としての格好をつけるためにずぶ濡れになって見せただけのパフォーマンスだろうと小川は冷ややかに見ざるをえません。

 

危機の時にこそその人の真価が現れると言いますが、化けの皮がはがれた阿部隆という無責任な夫に命を奪われたアヤ子さんももちろんですが、何も分からないまま幼くして実の父親に人生を断たれてしまった秀之君が哀れでならない小川です。

 

 

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いしますおねがい