生きていくためには、お金を稼いでお金を使う。

贅沢なことさえしなければお金は十分に足りるとも言えるが、家族を養う以上、住む場所を得て、子供を進学させてやりたいと思うはずだ。

そのためのお金は、贅沢なことではなく、人としての一種の義務を果たそうとするためのものだ。

人として最低限やってあげたいことをするために、必死に働く必要がある。

そうやって貯めるお金は、人のために使うか、人のために残したいと思うものだ。

自分のために使ってしまうこともあると思うが、それではどこか虚しさが残る。

生きたお金にするためには、人にやってあげることに使うお金にしたいと思うものだ。

人として暖かい行為は、得たものを分け与えるということにある。

よく、畑でできた野菜をもらうことがあるが、これは本当に暖かい行為だ。晴れ

お金についても同様のことは言える。¥

どれだけ子供に残せるかという考え方は、私たち兄弟が親から与えられた心のあり方だ。

お金に苦労した者はそのありがたみが分かる。

子供に同じような苦労をさせないようにとの心意気から生まれる考え方だ。

親から恩恵を受ければ、自分も子供に恩恵を与えたいと思うものだろう。

分け与えたいと思う者は、やはり親族以外にないだろう。

遺産相続の際に、兄弟にもっと分け与えてあげればよかったかと、後から思うこともある。

人として生まれて、一体どれだけのことができるか。

ほとんどは自己満足で終わることばかりなので、人に残せる意味は大きくなる。

人に残すものは自己満足には終わらない。

自己満足に終わらず、死後にも影響を残せるのが分け与えるということだ。

どうやって稼ぐかだけに目が行ってしまい、どうやって与えるかについては無頓着なことが多い。

人生のよさは、結局は与えることによってしか得られにくいものだ。

自己満足を越えることができるのだろうか。ぶーぶーあせるオバケ台風