私が生まれた時にはすでに父方の祖父母は亡くなっていました。

なので実質、孫だと可愛がってくれた祖父母は母方の2人だけ。


そんな祖父は数年前に亡くなりちょうど…離婚前でゴタゴタしていて私は実家のある九州には帰れずでした。

そしてこの度
大好きな祖母が亡くなったって連絡があったのは4月入ってすぐ。

朝方の母からのLINEで知りました。

それも前日朝に亡くなって本日夜にお通夜。
明日11時には葬儀だと書かれてました。

祖母は母の妹の叔母とふたり暮らし。
御年90歳も越え
痴呆も進んでいたようで施設に入ってる
と聞いてました。

以前から母に
もうおばあちゃんはそう長くないと思うよ。
と言われてました。
それでも東京と九州。

なかなか行ける距離でもなく
足は遠のいていて
もう何年も祖母の姿を見てませんでした。

訃報の知らせのLINEの文字を見て
ピンと来なかった私。
寝起きの頭の回らない時に見た文字だったため

もしくは
あまりの突拍子のない事だったからか


数分間、ぽかんとしてました。


母からのLINEの文は続きます。


『貴女は〇〇(息子の名)にお金がかかる時期だから無理して帰ってこなくてもいいからね。』

そこでハッとしてスマホで本日の飛行機の航空券のサイトを調べだしました。

どこをどう見ても
片道3万は掛かります。

そして最悪な事に
その日は外せない仕事がある日で
また3日後にはこれまた重要な仕事がある時でした。

どう考えても
捻出しても
動けない。。。。

とりあえず母に急いで電話しました。

母は祖母が住んでいた叔母の家に居ました。

始めは淡々と話していた母ですが
声が涙声に変わり
叔母が変わりに電話口に出てくれて
祖母の最後の様子を話してくれました。

気丈に話していた私も
「あんたは初孫で可愛がられていたからばあちゃんに会いたかろうけどあんたの状況はおばちゃん達もよくわかっとるから。
ばあちゃんだってわかってくれるよ。落ち着いてから会いに来ておくれ。待っとるけんね。」

泣きながら
それでも力強い叔母の声に


電話口で頷きながら泣くしかできなかった私です。

酷い孫だ

最後の最後でのお別れも行けない酷い孫だ

すぐ横の部屋では息子がまだ寝息を立て眠っています。

できるだけ声を押し殺して泣くしかできなかった


おばあちゃん

ごめんね。




あれから10日ほど経ちました。

黙々と仕事をこなし

本を読んで静かに過ごしていました。


やっとこうやって日記に綴れるようになってきました。


まだね
自分を憎んでたりします。

『仕方ない』
なんて言葉
嫌い

もっと動けたはず。。。

来年の春
祖母に会いに
今から計画中です。