こんにちは!

 

昨日のお昼は、会社の近所にあるお弁当屋さんの魚弁当でした。

ここのお弁当は評判が良く、お昼時はいつも数十メートルの行列ができるのですが、昨日のお弁当はいつにも増してインパクトが凄かったです。

 

 

ニシンが弁当箱からはみ出してるし、そのお腹には数の子がギッシリと詰まっていて凄いボリューム。

 

勿論、とっても美味しかったのですが、あまりの量の凄さに胃がもたれました(;^_^A

魚弁当食べて胃がもたれるなんて経験は初めてかも(笑)

 

さて、今日は焼き魚と何の関連性もありませんが、パスするという事について少し書いてみたいと思います。(他サイト日記の再編集版です)

 

トランスする人たちには、「パスする」とか「リードされる」と言う言葉の意味は皆知ってると思いますが、、、

生まれた性別がバレないことを「パス」、見破られることを「リード」と言います。
これは和製英語でななく、元々海外のトランスジェンダーが使っていた言葉みたいですね。

私はトランスジェンダーに成りたかった訳では無く、女性になりたくてトランスした訳です。

だから、トランスと見破られるぐらいなら、トランスする意味なんて全く無いとずっと思っていました。

だから、他人に、リードされた時は悔しくて悔しくて。

何のために、こんなに頑張ってトランスしてるのだろう、、、と泣いた夜が何度あったことか。

でも、完パス(完全にパスすること、絶対に見抜かれないこと)なんて、どだい無理な話なんですよね。

いや、中にはそのような方もいらっしゃるのでしょうが。

私みたいなのが、完全埋没を目指して、そればかりに固執しすぎると、大切な人生を楽しむということを見失ってしまいそうな気もするのです。

私は中年過ぎてトランス開始してるし、骨格や身長なんて女性ホルモンで変わる訳でもありません。
見破る方の感度も個人差が大きく、勘の良い人は、私みたいな中途半端なトランスは瞬間で見抜きます。

だからといって、自分の未完成さをいつまでも悔やんでも仕方ないので、やはり自分なりの落としどころを見つけて生きていく覚悟も必要かな、と最近思うようになりました。

そう「落としどころ」

中性的な服装をしているのならともかく、女性の服装したり、化粧をするということは、社会の中で女性という宣言して行動している訳で、社会もその尺度で相手を判断します。

その女性というアイコンに対して、あからさまな違和感を相手に与えることが無いレベルでほぼ女性化が達成されていれば、100%の完成度に拘る必要は無いのかなと思うのです。

まぁ、女性として概ね(おおむね)見做(みな)される状態。

そう、ぱっと見、そんなに違和感が無い状態。

女子トイレで目が合ったり、振り向かれたり、睨まれたりすることが無いぐらいの違和感の無さ。

トランスと見破るヒトは居るけれど、関係の無い街を歩く人からは「まぁ、女性」と認識されている状態。

そのあたりが、落としどころなのかな。。。と思うのです。

少し話は、横道にそれるけど、SRSしたからといって、決して女性になれる訳でも無いし、精神的に大きく変わるわけでは無いことを以前に書いたことがあります。

でも、SRSすることで、気持ちに少しだけ余裕が生まれる部分はあると思います。

たとえ、リードされて、以前なら三日泣き続けるようなことがあっても、今なら

あ、バレたのね。仕方無いなぁ、ハハハ。
でも、もう「〇〇ぽ」なんか付いてないもんね~だっ!(^ν^)

と、心の中で少しは笑えるぐらいの余裕。
(そう、心の中だけで叫んでください。決して口に出してはいけません)

まぁ、それでもムカつくことはムカつくけどね。
自分に。

それなりに精進します。

皆さま良い週末を!


 

 

 

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