禅修行3

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座禅の時間ももちろんですが

老師のお話しの時間はとても修行の糧になりました。

時には短い短歌で悟りを表現したり

時には

警策で(叩く棒で)いきなりバン‼️と音を出して

凄く静かな空間なので一瞬びっくりして全部の意識がその音に向きます。

これこそが悟りだと言われました。

たしかにその瞬間は自分が聴くとかそうゆう意識がまったくなくなるんですね。

全存在全エネルギーでその音になるんですね。

まったく私と言う自我はないんですね。

今回感じたのは

禅はやはり日本人の自分に凄くあっていると言う事

インドのヨガのメソッドの中には帰依と言ってサマディ悟りに入った聖者に自分の全存在投げ出す事

神様などに全て委ねる事で

自我意識を消してグルに帰依するんですね。

バクティヨガですね。

自分もヨガの聖者サマディマスターの

ブレッシィングを受けていますが

結局最終的にはグルに対しての全面的な帰依をしないと悟りには入れないシステムでした。

これももちろんサマディに入る一つの方法論だと思いますが

新興宗教が沢山あり何が本質かすぐに見極める事が不可能な日本人の自分には

その時のタイミングでは全てを投げ出す事は出来ませんでした。

それができないから(自我)が捨てられない😥

だから悟れないのかと悩んだりしました。

しかし

老師は弟子を自分の形にはめようとする

師匠にはつかない方が良いと言われました。

遠すぎず近すぎず適度な距離感が大切であると。

中道ですね。

昔の禅師は自分の弟子の育て方より他の老師の方が弟子に向いていたらそちらに行けと言われたそうです。

その老師同士があまり仲が良くなかったとしても。

師匠の私欲より弟子が悟りやすい師匠を選んであげたんですね。

そして禅、大乗仏教が素晴らしいのは

生活全てが修行である事!

もちろん仕事や家族との時間家庭生活も全てが修行なんですね!

なので出家していなくても在家でも皆んながブッタになれると言う思想なんですね!

そこも自分にはしっくり来たポイントです。

上座部(出家して修行するタイやミャンマーなどの南方仏教はブッタではなく阿羅漢を目指して修行するんですね)

阿羅漢とは尊敬に値する人と言う意味で

かなりブッタの境地に近い人と言う意味ですね。

それを大乗仏教は超えて

皆んながブッタになれると解くんですね🧘‍♀️

まさにガーテーガーテパーラーガーテ

般若心経の超えていけ超えていけなんですね。

色々と老師のお言葉で印象に残っているものがあるんですが

物事でできない事があってもできない事にくつろぎなさいと

できなくても今をありまま味わう事

できるできないじゃないんですね🤔

そして食事の時でも

漬け物のような添え物でもメインのおかずやご飯と同じように丁寧に扱いなさいと。

全て平等に扱いなさいと。

全て生きとし生けるものが平等であると言う思想

本当に一週間全てが一柱だと思ってやりきりなさいと言われたとうり全てが禅でした。

自分自身の禅の始まりにして終わりでした。

そしてパタンジャリのヨガスートラのシステムは本当によくできてるなぁと実感しました。

ヨガのポーズ(アサナー)もこの禅(ディーアーナ)にも繋がっていきますのでリマリマヨガスタジオ

にてヨガしましょう🧘‍♀️🧘‍♂️🧘‍♀️











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