四日目
老師の提唱で川の話しをされていて川は常に流れていて新しく囚われがないと言うようなお話しをされて目の前の川を眺めにいきました。
じっくりと眺めていたら自分には
その川が止まって見えたんですね??
明らかに流れているのに。
自分の心が流れている川を止まって見せているんですね。
その後座禅で
呼吸を観察していたんですが呼吸を苦しくしていたのは自分の今まで経験した瞑想体験だったりとか知識が邪魔をしていた
事に気づき。 本当にすっとありのままの呼吸を観れるようになると
とても静かに穏やかにまた定力が深まったのがわかりました。
今までこびりついていた知識や想い込みを
ストンッと落とした瞬間本当に呼吸が楽に穏やかになりました。
魔境の方はまだ続き
今までの人生や今までの自分の過去生が流れるように見えてきます。
でもそれにも囚われない。川のように流します。
この日今までの瞑想合宿の中でも自分の中で短期間で深いところまで入っているし
老師もサマディ悟りまでの可能性を全力で工夫しなさいと言われていたので
ますます座禅の時間が増えていきました。
五日目の朝
老師が呼吸への意識を切り替えて今度は
六根
仏教用語。眼,耳,鼻,舌,身,意の6つの感官能力をいう (意を除いて五根ともいう
を全部解放して
ありのままにして観なさいと言われたので
呼吸への意識を辞めて全てを開きました。
その瞬間に全てが変化しました!
まずは頭の中に声が聞こえてきたんです!
これは初め凄く恐怖でした。
何故なら自分は今まで統合失調症と言う
頭の中で幻覚が聴こえてくる病気を患っていたからです。
まったく病気の時と同じで男性や女性様々な人々の声が聞こえてきます。
病気の時の恐怖や苦しみの体験が全てフラッシュバックしてきて少しパニックになりましたが座禅が終わるとその声が止むんです。
とにかく老師はありのままにすることと言われていたので
ありのまま聴こえるままにしておきました。
すると
だんだんその声が自分の心の声、自我意識の声だと言う事に気づくんですね。
もちろんちゃんと様々な女性や知らない人の声として聴こえてくるんですが
明らかに自分のエゴ自我意識が作り出した声なんですね。
静かにとても冷静に観察すると自分の想いが作り出した妄想なんです。
これに気づいただけでも本当に今回の禅修行の大きな恩恵を授かったと想います。
これに気づいた瞬間
観ているものと観られるものと言う完全な分離がおきました。
心に振り回されない状態。まさに心のトリックに気づいた瞬間でした。
老師も自我意識は手を変え品を変え誘惑してくると言われていました。
この時に自分の自我がなくっなってしまう怖さや恐怖心が出ると自我意識が暴れ始めます。悟りと言う未知の領域への恐怖心です。
それを老師に話すと
老師は
悟りはまったく怖い体験でもなんでもなく今までの個性はちゃんとあるし怖がらなくてよいですよと言っていたのですがまだ恐怖心は消えません。
六日目
最終日
完全に観察者として心を観察しながら心を観察します。
身体はもうまったく座禅の時はクラゲのように肉体は感じません。
呼吸も凄く静かと言うよりまるで気にならないくらいスムーズです。
たまに自我が自分の今までの人生での様々な場面を写し出して誘惑しますが囚われません
とても静かです。
しかし少しだけ悟りへの期待と自意識欲が働いて来ているのを感じていました。
そんな境界を彷徨いながら最終日なので
夜座と言って自主的に夜座る時間が来ます。
来ていた皆は凄い探究心で
ほぼ夜も眠らず座りっぱなしの人もいました。
まぁ禅が深まっていると寝ているのか寝ていないのか不思議な感覚になるんですが…
自分はさすがに一日10時間近い瞑想でかなり疲労していて
最後はとても美しい如来が如来の国から出てきて菩薩となり地球で経験を積む幻覚を観て気持ち良くなり寝てしまいました。
しかし最終日に老師に話したらそれは忘れなさいと言われました。
帰って臨済禅師(臨済宗の開祖)が
座禅中に如来や仏にあったらそれを殺せと言われているんですね。
これも自分の自我意識が作りあげた魔境なんです…
うーむ😔
禅深いです。完全にはまりました。
次回は3に続きます。