○前回の記事はこちらより

【戦争時代】桜散る頃に ~序章~

【戦争時代】桜散る頃に ~第一章・舞鶴から呉、そして沖縄へ~

【戦争時代】桜散る頃に ~第二章・奄美大島での死別~

【戦争時代】桜散る頃に ~第三章・戦艦大和に助けられた命~

【戦争時代】桜散る頃に ~第四章・祖父の足跡を訪ねて呉へ(大和ミュージアム編)~

【戦争時代】桜散る頃に ~第五章・祖父の足跡を訪ねて呉へ(呉軍港編)~

 

前回に引き続き、今回も呉訪問記を書き記したいと思います。

 

呉訪問初日の2013年8月14日は大和ミュージアムや呉軍港、灰ヶ峰等を回りましたが、訪問最終日は8月15日。今回の祖父の足跡を訪ねる旅は、まさに「終戦記念日」だからこそ呉に行ったと言っても過言ではありません。2008年8月15日に祖父から戦争の話を教えてもらってから早くも5年の月日が過ぎておりました。

 

終戦記念日だからでしょう、戦災者慰霊のために大和ミュージアムの日の丸も「半旗掲揚」となっております。呉市にある海上自衛隊の日の丸はどこもかしこもこの状態でした。はたしてそれに気づいている人はどれだけいたことでしょうか・・・。

 

まずは大和ミュージアムのすぐ近くにある海上自衛隊呉史料館、通称「てつのくじら館」へ。どでかい潜水艦がお出迎えしてくれます。 

 

中には海上自衛隊の活躍について紹介する資料が展示されております。

 

中でもあのどでかい潜水艦内部に入れるのはこの施設の見所でしょう。海軍から海上自衛隊へ、名前は変われど受け継がれているものは多いかと思います。とくに潜水艦乗りは過酷な勤務、戦時中の海兵さんはろくに風呂も入れたものではなかったので、近寄らずとも匂いで潜水艦乗りだと当時はわかったそうな・・・。

 

くじら館を巡ったあとは入船山を目指します。

この日も昨日と同様の猛暑日、蝉が短い命を燃やすかの如く鳴いていました。

 

そして着いたのが入船山記念館、海軍時代の旧呉鎮守府司令長官官舎です。

 

 

 

 

さすが歴代司令長官が居た庁舎、建物の細部に至るまで職人の技が光っています。

 

 

 

そしていよいよ今回の旅の本当の目的地である場所へ・・・。

それがこの長迫公園、つまり旧海軍墓地です。

 

まずは我が故郷、山形県を流れる最上川から名を冠した「重巡最上」の戦没者慰霊碑に献花致しました。

 

次に、この戦争で亡くなられた300万人もの貴い命を慰霊するための「大東亜戦争戦没者之碑」へ献花・・・。

 

そして最後は、大島輸送隊の命を助けれてくれた「戦艦大和戦死者之碑」に献花し、正午を知らせるチャイムと共に合掌。その時、碑に向かってこう話させて頂きました。

 

「戦艦大和の沖縄特攻が無ければ、祖父は昭和20年に死んでおりました。その祖父も82歳まで生きることができ、私もこうして生まれてくることができました。戦艦大和の乗組員の皆様、今まで祖父を長生きさせて頂き、ありがとうございました。この史実は絶対に忘れません。どうか皆様、安からにお眠りください・・・。」

 

その後は故郷・山形に帰り、祖父の墓前で呉に行ってきたことを祖父に報告。

「呉まで行ってきて、手を合わしてきたよ」と・・・。

こうして祖父の足跡を訪ねる旅は終わりを迎えたのでした。

 

 

 

 

 

今回書き記した祖父たち大島輸送隊の史実はあまり知られたものではありません。

しかし調べていくうちに気付いたことがあります。それは祖父の命が戦艦大和出撃によって助けられていたこの史実のように、今を生きる私たちの命もあの時代の多大な犠牲の上にあるという事です。私はその大事なことを戦争時代を懸命に生きた祖父から学ぶことができたと思っています。

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