男性に深く愛されたい女性のためのLOVEセオリー・占い師コウスイのブログ

四柱推命・霊感・守護霊・風水・吉日・神社・神様や神社のパワースポットツアー、男性心理についてまで。


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この世界に入り、鑑定を続ける中で気づいたことがあります。


それは、人の悩みというのは突き詰めると、


あるひとつのことに集約されるのかもしれない、ということです。


多くの方のお悩みをお聞きし、ひとつひとつを精査していくと、


悩みの根源というものは実のところ、


非常にシンプルなものであるのではないかと思うようになりました。


その悩みの根源とはなんたるかというと・・・・


人は「愛されたい」という一点を求める故に、


悩み苦しんでいるのかもしれないということです。



例えばあなたが、会社の人間関係に悩み、


親との確執に悩み、お給料が少ないことに悩み、


信頼できる友人がいないことに悩み、将来の不安に悩んでいたとします。(多重の悩み)


こう見れば、ものすごく悩みの多い人生のように思えます。


ですが、これもよくよく精査していけば、


誰かかから(とくに異性に)愛されるという救いがあえれば、


それほど深刻にならないのです。



人間関係の悩み…会社の人とうまくいかない、


友人とうまくいかない、親友ができない・・・・


そんな日常があったとしても、


たとえばあなたのことをいつも愛してくれて、


理解してくれていている人がいて、


いつもあなたの話を親身に聞いてくれ、


「支えてあげるから大丈夫だよ。」と、安心するまで優しく言ってくれる・・・


そんな日常があったらどうでしょう?


心が温かくなって、なんだか大丈夫だな!と思えてきませんか?


他人がたとえ自分を理解してくれなくても、私をわかってくれてる人がいる。


それだけで心強いと思えるはずです。


むしろ逆に、「私にはいつも支えてくれる人がいて、なんて幸せなんだろう」


そんな気持ちにすらなるかもしれません。



これは他の悩みでも同じと思うのですが、


たとえばお給料が少なくて、将来を考えると不安で心配でしょうがなかったとしても・・・・


愛する人が「一生守っていくから!安心して」と力強くいってくれたらどうでしょう?


その力強い言葉と愛による励ましで、将来の不安は半分以上吹き飛ぶと思いませんか?



はたまた、お子さんのことで悩んでいる場合も同じだと思います。


旦那さんがあなたの気が済むまで、親身に話を聞いてくれて、具体策を提示してくれる。


そして、「俺がちゃんとしてやるから、一緒にがんばろうな(^^)」と


心から優しく言ってくれた上に、それを行動でも示してくれたら?


それだけでたちまち悩みは解決してしまうわけです。




いろいろな例をあげてみましたが、いずれの悩みも、


そばに理解して支えてくれて愛してくれる人がいたら、


大抵の悩みは深刻にはならず、ほぼ解決できてしまうと思うのです。

(現実は解決の途中であっても、心の中の解決はできると思います。)



私のこれまでの鑑定のデータや経験から考えると、


人間の「愛されている度合い」と「幸せ感」は、どうやら比例するように思います。


愛されていると実感することが多い人ほど、


人生や気持ちに余裕があり、幸せだと感じている度合いが強いことが多いのです。


占いに来る一般的な女性の相談の、ほぼ80~90%は、


異性のことにまつわる相談(結婚、恋愛、配偶者との関係)であることからも、


それは言えることではないかと思います。


つまりなぜ占いに相談に来るのか?その理由は、


「愛されたくて、その方法を知りたいから占いに相談する」


「満足に愛されていないと感じるから、悩みが深刻に思えて相談する」


ということではないかと思うのです。



「結婚したいのですが、ご縁はいつでしょう?」


「今付き合ってる彼の気持ちがわかりません。」


「好きな人がいますが、相手とうまくいくでしょうか?」


「夫とうまくいかず、辛い毎日です。」


「不倫をしています。これから私はどうなるのでしょう?・・・・」



日々受ける相談のほとんどは、こういったものが多く、


その根源はやはり、皆「愛されたい」のです。


誰もが愛されたいと切望し、懇願し、願っている。


愛されたくて愛されたくて・・・・でも、それがままならないから困っている。


解決したくても、現実的な方法ではなんともしがたくて・・・・


だから、不思議な世界の扉を開く「占い」を頼るのではないでしょうか。



これらのことからいえることは、


人の幸せのまず一歩は、愛されること、愛されている実感を得ることなのではないか?


そう集約できると考えるようになりました。




そういったことから、日々の鑑定ではまず、現実的な様々なお悩みを紐解き、


愛されるためにどうすればいいか?


お相手の気持ちを見てヒントを掴んでいくことや、


また、どう生きていけば愛されるのか?


何を改善すれば愛されるのか?


といったことを中心にまずは鑑定しています。


(※仕事の相談や経営の相談、風水相談はまた別の見方で見ます。)


まずは、現実的に愛されたい気持ちをなんとかしなくては、


人生がどうとか、人としての道がどうとか、世のため人のためとか、


そんな生き方の話をしても、届かないんだと思うのですね。


ですから私が日々受けている相談に、


まずは、そのことを解決する方法をお伝えしているのです。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


さきほど、「まずは」と書きましたが、


実は私は、幸せにはある段階があると考えています。


幸せには「初級編」「中級編」「上級編」があるのでは?と思っているのですが、


先ほど書きました、異性と心を通わせ、愛し愛されることという幸せは、


中級編だと考えています。


占いに来られる多くの方は、この中級偏でつまづいておられます。


つまづく本当の原因は、実は初級偏にあるのですが、


それは後ほど説明させて頂くこととして、


次に上級編の幸せについて書いてみたいと思います。


幸せについて2


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愛されるということは、幸せなことだと思いますし、


また、求めても良いものだと思います。


でも、ここでひとつ疑問が生じます。


「(誰かから)愛されること」それは絶対的な幸せなのでしょうか?


愛する異性から愛されることは、幸せなことではあるとは思いますが、


冷静に考えてみると、それは完全なる幸せではないと思いませんか?


なぜなら、人の気持ちは常に「変わる」ものだからです。


自分の気持ちも、人の気持ちも、気持ちというものは、


常に変化する可能性を秘めているものだと思うのですね。


だから、誰かに愛される幸せというものは、幸せは幸せでも、


「絶対的な幸せとは言いがたい」と思うのです。



つまり、相手の気持ちが変わったり、


または自分の気持ちが変わった(愛されなくなった、愛さなくなった)場合、


その幸せは、その瞬間からなくなってしまうではありませんか。


相手が心変わりしたら、また次の人を探せばいいんでしょうか?


運よく次の人を探せたとしましょう。


でも、その人もまた、いつか気持ちが変わるかもしれない。(自分の気持ちも)


だったらやっぱり、それは「絶対的な幸せ」とはいえないと思うのです。




では、何をもって絶対的な幸せといえるのだろうか?


私は、この点に関して、自分の人生を使って(という表現が適切かわかりませんが)、


ずっと心で追求してきたところがあります。


いったいどうやったら、絶対的な幸せにたどり着けるのだろうか?と、


過去体験した挫折の中の孤独から、


気持ちが変わったとたんなくなってしまうような、一過性の幸せじゃなく、


絶対的な幸せが欲しいと、心から切望していたのです。


そうした中で、自分でたどり着いた「絶対的な幸せとは?」


というお話をここからはさせて頂きたいと思います。



実のところ、幸せと一言にいってもそれは実は奥の深いもので、


ただ、他人(異性)から愛されるというのは、


本当に初歩的な幸せであると思っています。


ですから、人はまずはそこを目指すことが大切だと思います。


幸せを求める人は、大抵はまずこの中級偏の


異性から愛される幸せを求めますし、それが気づきの第一歩なのだと思います。





ですが、私はそれだけでは、完全なる幸せにはたどり着けないことに気がつきました。


真の幸せは、実はそこよりまだ、もっと奥にあるということ。


人の気持ちが常に変わるという可能性がある以上、


人に愛されるだけでは完全なる幸せにはなれません。


たとえ心変わりしなくても、いずれ死という別れがあるのは必至です。


それに、このように誰かに愛されていることが幸せの局地だったとするならば、


自分を愛してくれる人がいない人や、


愛する人を失った人は、とたんに不幸せという理屈にもなってしまいます。


だけど、絶対的な幸せや本当の幸せとは、


そのように環境や自分以外の何かから、与えられなくては得られないものなのでしょうか?


もしそうであったなら、人は常に他人の顔色を見て生きていかなくてはいけなくなりますし、


必ずくる人生の終焉の死という出来事に、


常に恐れおののいて生きていく以上なくなってしまいます。



人生における幸せって、そんなちっぽけなものではないと思うのです。


完全なる幸せ(幸せ感)とは、


実は人からによって与えられるものではなく、


自分ひとりでも十分幸せでいられて、


また、この世の中に怖いものが何一つない状態を指すのではないのか?


と思うようになりました。


この、一人でいても幸せであり、また、世の中に怖いものがひとつもない状態。


このことを完全なる幸せであると定義してみたのです。




そう思うようになった結果、


完全なる幸せ感、絶対的な幸せ、本当の幸せの答えがどこにあったかというと、


それは信仰心だという思いにたどり着きました。



ここでいう信仰は、○○の神とか、○○教(特定の宗教)を言うのではありません。


広義の意味でこの地球を作った神(宇宙の創造主)といった


目身見えない存在に畏敬の念を持ち、


生命を生かされているということに、心から感謝の気持ちを抱くこと。


常に見えない存在から守られている、


愛されているという実感を得ながら、安心して生きていくこと。


それ以外に、永遠に続く幸せはないんだということに気がついたのです。



そもそも私たちがこうして、生まれてきたことそものもが神秘であり、


また、これだけ日々、交通事故や天災、人災が世の中を騒がす中、


何事もなく安全に生きていること、そのことだけを考えても奇跡です。


それはひとえに、神(宇宙の創造主)に生かされ、


神(宇宙の創造主)に愛されているという証拠であるといえないでしょうか?


生きていること、ご飯を食べられること、


何不自由のないことが当たり前と思うのは、


人間の傲慢であり、本来、こうして生かされていることが、


素晴らしい奇跡なのだと思うのです。



ただ、このことを実感したり、気がついたりするまでには、


人生の中で辛酸をなめたり、苦境に立たされたり、


窮地に追い込まれたりすることがないと、


なかなか心の底からは思えないのが、人間なんだということも知りました。


私も、生まれつき神に感謝や生かされる感謝があったわけではありません。


何もかも恵まれている毎日に、不平不満を言って生きていた時期や、


今が幸せであることにすら気づかず、当たり前と思っていた時期もありました。



ですが、人生の途中で大病を患ったり、


愛されずに傷ついたりした中から、死にたくなるような思いで苦しんで、


どうすれば確実な幸せが手に入るのかを、


考えに考え、求めに求めた結果、この答えにたどり着いたのでした。


自分がこのことに気がつくまでの経過をみれば、


今、(不幸のどん底の人間から見て)そこそこ恵まれている人は、


この領域はなかなか気がつかないものだと感じます。


自らの体験からいいますと、生きてることが奇跡や、


生かされている感謝を心から思えるまでには、


そう思えるまでの心の成長の段階があると思います。


その段階とは・・・・




①まずは自分が人(とくに異性)から愛されること。

(大抵の人は、まずはこれを求めます。)



②それだけでは、絶対的な幸せではないということに気がつくこと。

(心変わりや、出会い別れをたくさん体験していくうちに気づく)



③人生において死にそうな体験や、死にたくなるような苦しみを経験をして、

命について生について死について、考えざるをえない状況になって真剣に向き合うこと。

(死を意識するような病気、または倒産、リストラ、破産、大切な人を失う、

死にかける体験など、逃げられない苦しみを体験した結果、たどり着く領域)



④(③の経験を得てたからこそ)見えない存在を理解する、感じることができる、わかるようになる。



おおよその人は、こういった流れで、この世とあの世の理(ことわり)を頭ではなく、


魂に刻みながら理解していくのではないかということです。

(中には、いきなり生死をさまよって、九死に一生を体験した瞬間から即わかる人もいます)




私自身、辛く苦しい体験から、もだえ苦しんだ挙句、


ようやく神(宇宙の創造主)の存在を感じ、肯定し、理解して、感謝する自分になれました。


そうなってはじめて人は、本当の幸せに辿り着くのだということを知ったのです。


本当の幸せとは、揺ぎ無い幸せ、完全なる幸せ感、絶対的な幸せのことですが、


それを言葉で表現するならば、


「怖いものがなくなるということ」


「孤独がなくなること」


「何事にもありがたいと、感謝して生きられるようになること」


「愛されている実感を得ていること」


これらが揃っている状態をいうのではないでしょうか。



人生で最も怖いこととは何かといえば、おそらくそれは「死」だと思います。


人生の中で死以上に怖いものは、今のところ見当たりません。


私は信仰によって、この死すらもそれほど気にならなくなるということを知りました。


神(宇宙の創造主)の存在を感じ、守られていることを知り、


日々に感謝して生きれたなら、その死すらたいして怖いとは思わなくなります。


こんな無敵な状態が他の何かで得られるものなのでしょうか?


今のところ私の探した項目の中には、


死すら怖いと思わないでいられるものは、信仰以外見当たりません。


日本には、仏教が伝来してくるよりずっと前から、


アニミズムといって、あらゆるものに霊魂があるという信仰に基づく考え方がありました。


※ アニミズム・・・宗教の原初的な超自然観の一。自然界のあらゆる物事は、具体的な形象をもつと同時に、それぞれ固有の霊魂や精霊などの霊的存在を有するとみなし、諸現象はその意思や働きによるものとみなす信仰。


お正月になればそれを祝い初詣に出向く、


子どもが生まれれば神社にお宮参り、


成長すれば七五三を祝うなど、


今でもその信仰は日常の中で残っていますが、


多くの人が信仰とすら感じずにしているそれらの行為も、


この見えない存在である神(宇宙の創造主)に対する信仰心の名残なのだと思います。




では神社参りさえすればいいのか?というと、それはちょっと違っていると感じています。


多くの方は、神様なんているのかいないのかわからないけど、


とりあえず御賽銭投げて願っておけばなんとかしてくれる程度の思いで、


神社参りをしておられるように思います。


それは本当の信仰ではなく、ただの「ご利益信仰」です。


神様なんかしてちょーだい。と一方的にお陰だけ欲しがっているといいましょうか。


日本の神社などにおける神様というのは、


自分たちの遠い遠いずーーっと遠い、ご先祖様(祖先)であるといいます。


そのご先祖様にお正月だけふらっと出向いて、


5円か10円かチャリンと投げて、パンパン!と適当に拍手を打って、


一方的なご利益信仰をする。


そんな手前勝手な信仰はありません。


神様が、遠い遠いご先祖様なのであれば、


今自分が生きている、生まれていることはご先祖様のお陰であり、


ありがたいことなのだと思うから、感謝や畏敬の念があるのが自然だと思います。


また心からの感謝があれば、何かにつけて、お礼参りやご報告、


感謝をお伝えするための参拝など、


願い事だけに限らず、折に触れ、ご先祖様(神様)お元気ですかと


通い親しむようになります。


神様が本当にいらっしゃるのだと感じて、


常に見守ってくださってる、愛されているのだという実感の元、


本当の意味で神様と心を通わせることができるのだと思うのです。


こういう状態を信仰心があるというのではないでしょうか。




ただ、神様のことは、戦後の流れにより、


なかなか正しい祈り方や知識がいきわたらないところもあろうかと思いますので、


わからないことによる(神様にたいする)無礼も多々あると思います。


その点については、ご縁のあった方は順序だてて、

(その方によって理解や受け止め方の違いがありますので、各自適切な時期方法で)


お伝えさせて頂いています。




長々と書いてきましたが、これらのことを頭ではなく、


感覚(感性)でわかる、感じるようになれれば、


どんなに孤独な人でも、自分は誰からも愛されていないのではなく、


神(宇宙の創造主)の愛によって抱かれ、


信じられないような大きな愛で


愛され続けていたということに気がついていくのだと思っています。


たとえ人(たとえば異性)から直接愛されていなくても、


また、愛する人を失ってしまったとしても、


神様(宇宙の創造主)は、ずっとあなたを見守り、愛しているのです。


そのことを実感できれば(信仰を続けると実感できます)


孤独には陥りませんし、また、愛される実感を得て生きることができるのです。


神様は、人とは違い、こちらから去らない限り去っていくことはありませんし、


自分がどれだけ足りない人間であっても、変わりなく愛し続けてくれる存在でもあります。


こんな大きな愛情を注いでくれる存在は、他にないと思うのです。



私は、人生を魂の旅だと思っているのですが、


では何のために旅をしているかというと、この


「愛を知るため」と


(段階を得てやがては)


「神を感じるため(神のような大愛を、自分の人生で実践していくため)」


だと思っています。



生まれて死ぬまでに、それを知るために、感じるために、


辛いことや苦しいことはあるのだと知りました。

(それがないとなかなか気がつかないからです。)


また、その体験をもって、神様のような大きな愛を持てる自分になるために、


今の自分は存在するのだと、


様々な体験でもって神様に教育して頂いているのだと思っているのです。





ここまで自分の経験や人生観を織り交ぜながら、


幸せについていくつかに分けて書かせて頂きました。


神様の願いは、人々が幸せになることだそうです。

(ここでいう幸せとは、単に欲望を満たすという意味ではありません。)


私は自分が発展向上していくために、


神様と同じ願いを持ち、神様のお取次ぎをさせて頂こうと思っています。


私の使命は、目先の幸せ、現世利益のみを追及するのではなく、


本当の魂の喜ぶ幸せを、お伝えしていくということだと思っています。


最初のスタートは、愛される実感を得られるためのアドバイス、


ゆくゆくは、絶対的な幸せを感じられるようになる段階まで、


ご縁のあった方の人生のサポートをさせて頂きたいと思っています。




信仰心は、心の支えになり、心を豊かにし、


真の幸せ、完全なる幸せの道しるべとなってくれるものです。


そのことを頭ではなく、感覚で理解できたとき、


怖いものがなくなり、また、愛されている実感を感じることが出来るのだと思います。





信仰は、完全なる幸せにかなり近づきます。ですが、


完全なる幸せへの道までに、実はまだもう一つ、足りないものがあります。


それは、最も身近なご先祖様である、両親にたいする感謝です。


その話は、幸せの初級編へ記させていただいています。


よろしければお読みくださいませ。→幸せについて3


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最後に、初級編の幸せについて書かせて頂きますね。

人がオギャーと生まれてまず、自分に愛を注いでくれる存在は、


両親(もしくは双方に代わる肉親および縁ある人)です。


愛されることの初級編は、両親を含めたご先祖様の存在のお話です。


どんな人でも親の存在なくして、この世に生を受けることができません。


そのことからも、生まれてすぐ最初に愛してくれる両親の愛は、


幸せの初級編として、とても重要な役割を持っていると思います。


ただ、これはは人によって様々な事情により、思うように満たされない場合があります。



恋愛や結婚がうまくいかない人や、


失敗ばかり繰り返してしまう人の原因を掘り下げていくと、

実は、この幼少期の愛され方に不足がある(と本人が感じている)


場合が多いことがわかってきました。


異性の問題でつまずく人は、幼少期、母親や父親から、


満足に愛を享受することができなかった方が非常に多いのです。

満足に愛されなかったというのは、


例えば、両親の離婚や不仲による偏った愛情の享受、


または、はじめから両親不在(亡くなったとか、生き別れ、

もしくはいても接する機会が極端に少ない)である、


両親は存在するが放置されて育った。または、虐待されて育った場合、


そこまでいかなくとも、軋轢や摩擦が絶えず、辛い幼少期を過ごした場合など。



悩みを持つ人の多くは、大なり小なり、


両親からの愛を満足に享受していないと感じていることが多いのだということが、


たくさんの相談をお聞きする中から見えてきました。


そして、かくゆう私もそうであったように思います。


両親は揃っていますし、愛情もかけて頂いていたと思います。


ただ、その愛情のかけかたが、自分の望むものとは違っていた。


そんなことを思いながら、成人まで暮らしていました。


両親に対して、不満や憤りを関していた私は、


20歳になったとき、誰にも相談することなく家を出ました。


そして、以後3年ほどの長きにわたり、両親への連絡の一切を絶ちました。


今考えれば、なんとも親不孝であったと思う、若き日の私ですが、


こういった経緯が原因で、やはり私も、幸せ中級偏である、


「大人になってから愛される幸せを得る」段階で、つまづいてしまうことになるのです。


その原因が、この初級偏の両親への思いにあることに気づくのは、


失敗して苦しんで、どうにかして完全なる幸せを得たいと切望してから、


かなり経ってからのことでした。




20代半ばで結婚した私は、夫との関係がどうにもうまくいかず、


やがて離婚してしまいます。


離婚した後、私がずっと思っていたことは、


結婚は墓場である、という思いでした。


結婚生活は何もいいことがなく、辛く孤独なだけであった。


実体験ほど思いに強く作用することはなく、


私の抱えるこの思いは、絶対だという信念にも似た感情がありました。


そんな私は、ある人物と出会うことになるのです。


その方は、私にこういいました。


「あなたの考えている結婚は墓場という思い、それは絶対に間違っている。

世の中には、本当に愛し合っている夫婦がいるし、絆で結ばれている夫婦も存在する。」


私は、その方の言葉にたいして、ここぞとばかりに反論しました。


「でも私の周囲には、そのような幸せな結婚生活を経験している人はひとりもいません。」


すると、その方はこうおっしゃったのです。


「それは、あなたの心の中が、すべて現実に投影されているからです。

あなたが心の中で、結婚は墓場だと揺ぎ無い気持ちで思っているから、

あなたの周りにはそのような存在の人としかご縁がないのだ」と。


この頃の私は、完全なる幸せを求め、スピリチュアルなこともかなり勉強していたので、


心の中の投影が、現実になるという法則はわかっていました。


ですが、自分が信じていること(結婚は墓場だという信念)を、


ちょっと一言いわれたくらいでは、変えられないのです。


ところがその後、そんな私を変える出来事が起きるのです。



その方は、愛や絆というものの存在を理屈ではなく、


体験で理解するという経験をくださったのです。


その方はその日から、毎日毎日連絡をくださりました。


毎日毎日、同じ時間に電話をくださり、またメールをくださり、


そして何もない日中に、「何か変わったことはなかったか?」と


さりげなく連絡をしてくださるのです。恋人でも夫でもないのに、です。


その後約半年にわたるくらいの年月、このコミュニケーションが続いたでしょうか。


なんと不思議なことに、私の中の、結婚は墓場だという思いはいつの間にか消滅して、


本当に幸せな結婚はあるんだなぁと、心から思えるようになっていたのです。


その方が、何気ないとき「何か変わったことはなかったか?」と連絡をくださったとき、


心が温かくなり、嬉しさでいっぱいでした。そんなさりげない優しさが心に沁みたのです。


こんなひと時がずっと続くなら、他にもう何もいらないな・・・。


そんなことすら思えるほど、幸せ感と充実感で心の中がいっぱいになりました。


そのときこう思ったんですよ。


「あぁ・・・きっと、仲のよい夫婦とは、こういうものなのだろうなぁ・・・・。

結婚による女性の幸せとはこういうことなのか。」と。


私はこの方からの、真心のこもったお付き合いを通じて、


精神的絆とか愛というものを、心から実感し理解できたのです。


本当に愛とか絆ってあるんだなぁ・・・と初めて感じることができた出来事でした。


その擬似体験を通じて、私の中の結婚のイメージは自然と良いものに変わり、


「結婚なんて(墓場)」という思いが、知らない間に消滅してしまっていたのです。



当時なぜその方が、そのようなことをしてくれていたのか、


それは確認できないまま、いまはご縁が遠のいてしまったのではありますが、


私は今でも、そのときのことを思い出すと、感謝の気持ちが湧き出て涙がでてしまいます。


その方は、いわゆる人々に道を説く世界の方でしたので、


もしかしたら、私の歪んだ心と考え方を正しい道へと導いてやろうと、


思ってくださっていたのかもしれません。



実はその方は、私にもう一つ、大きな経験をも残してくださりました。


それは、「両親への感謝」を実践するという経験でした。


なぜ、私が元夫とうまくいかなかったのか。


その原因をその方は、父親との関係にあるとおっしゃりました。


父親は女性にとって、男性像の雛形であるから、


その父親との関係が悪い女性は、結婚しても夫とはうまくいかないとご指摘くださいました。


また、女性の男性観を作る源泉は、父親との関係にあるともおっしゃっていました。


このことは私も後日、鑑定に来られる方からデータを取って確認しましたが、


見事に的中していると思います。


父親との関係がまずい女性は、夫(または彼氏)との関係が


うまく築けないことが実際に本当に多いのです。


その方はその理由をこう説明されました。

「あなたが花だとしたら、両親は幹、ご先祖さんは根っこである。

花が幹や根っこを否定して、美しく咲く道理があるか?」と。


「自分と親、そしてご先祖さんへは、見えない縁でつながっているのだから、

両親に感謝ができない人間は、人生の花が咲かないのだ。」


「私はこれまで様々な人の相談にのってきましたが、

親を恨んでいる人、親との関係が悪い人で、

心から幸せな人を一人も見たことがありません。」とも。


また、「感謝するということは、拝むような気持ちで感謝するをいうのであって、

感謝してますよと口先だけで言うのは、感謝とはいわない」ともおっしゃりました。


私は、表向き「両親へは感謝してますよ」と言葉で言っていました。


ですが、それが拝むような気持ちか?と問われると何も言い返せませんでした。


私は、完全なる幸せを求めていましたから、


本当にそれで人生が変わって幸せになるのならやってみようじゃないかと、


半ば自分への、また運命への挑戦として行動を起こしました。


早速両親へ連絡し、実家へ話をしに向かいました。


何事かと待ち構える両親を目の前に、


私は人生で初めて、両親へ面とむかって感謝の気持ちを伝えたのです。


「今まで親不孝してごめんなさい」


「生んでくれて本当にありがとう」


言うだけで涙がでました。


母はただ泣いていました。


父は照れているのか、ひたすらぺらぺらとしゃべっていました。



このことを実行するのは、本当に勇気が必要でした。


親子とは、身近すぎてテレや甘えがあって、


改まって気持ちを伝えるということを長年しないので、


すごくやりづらいことなのです。



ですが、このことは私の心を大幅に変えました。


両親に感謝を伝えた瞬間、


私の心の中に長年積み重なっていた、暗い影が霧が晴れるかのごとく


パーッと晴れやかになったのです。


この感覚は、なんとも言葉にはしがたく、


どう表現して良いかわからないのですが、


今まで生きていて、このような晴れやかな気持ちになったことは初めてでした。


なんとその瞬間に、何もかもの悩みが一気に消滅してしまったのです。


心の中が日本晴れという状態というのでしょうか。


何も心配のない、何も憂うこのとない、明るく、無邪気な心が戻ってきたのです。


大げさに書いているのではなく、本当に「戻ってきた」と感じたのです。


こうなって初めて、今まで自分の心の中に暗い霧がかかっていたことに


気がついたといっても良いでしょう。


これは、体験したことのある人にしかわからない体験だと思います。


私はこの体験で、先の方がおっしゃった


「自分が花なら、親は幹、全部見えないところで繋がっているのだ。」


という意味が一瞬で理解できました。


つながっているからこそ、本当に感謝したことで、


心の中の暗い霧が全部一気に晴れたのです。


たったそれだけのことで、すべての悩みが吹き飛んでしまったのです。


これはもう、理屈ではないんだと思います。


血のつながりとは、そういうものなのだと思います。



仏教で先祖供養をする意味も、


また神道で、神様(祖)を拝むことも、


両親に感謝することも、


同じ理(ことわり)であるということ。


私はそのことを、実体験をもって知ることができたのです。



話を元にもどします。


あなたがもし、初級偏の親からの愛を十分に感じることが出来ず、


中級偏(大人になって異性から愛される過程)でつまづいているなら、


ひとつ考えてみてください。


親も人間です。自分と同じ未熟な人間なのです。


子どもの頃はともかく、いまは自分も十分な大人になり、


親の気持ち、心がわかる年齢になっているはずです。


親のことがわかる年齢になってもまだ、


親が許せない、親に愛されなかったと嘆いていても仕方ありません。


ですが、あなたは親を攻められるほど、完璧な人間でしょうか?


両親が自分を育ててくれた年齢のときに、


あなたが子どもを育てたと仮定して、完璧に満足な育て方が果たしてできるでしょうか?


そう問われて、できますと言い切れる人はいないのではないでしょうか。


今、自分がこうして大人になれたということは、


両親が生み育ててくれたからこそです。


一生懸命働いて、お乳を飲ませてくれて、


おしめをかえてくれて、教育を受けさせてくれて、


一人で生きていける年まで、何かにつけ面倒を見てくれた。


その愛の割合は、自分が望むものに満たないとしても、そこに愛があったから、


あなたがここに存在し、大人になれるまで生きてこれたのだと思います。


極端に言えばもし仮に、生んだ後育ててくれなかったとしても

(両親とは別の方に育てられたとしても)


生んでくれたこと、そのことがあったから今があって、


生まれてきたからこそ、幸せを感じる体験が出来る、体と心を授かったのだと思うのです。


肉体がなければ経験を積むこともできません。


経験を積むことができなければ、幸せを感じる体験もできないのです。


そう思ったら、生んでくれたことそのものに感謝なのだと思います。


親に感謝するという行為は親を許す行為で、親を許すことで、実は自分が許されるのです。


私は、両親に感謝したことで、何よりも自分が許されました。


自分が許されたから、心が晴れやかになり、楽になり幸せだと思えたのです。


そしてこのことは、私の恋愛観、男性観をも変えました。


男性にたいして、以前よりナチュラルに接することが出来るようになり、


肩肘はらず、以前より良好な関係が築ける自分になりました。


両親とのことが解決したことで、このように実際に心が変わり、


運命が変わったのをはっきりと実感しました。


やっぱり親と子は繋がっているんですね。


私は両親と和解したことにより、中級偏の愛される実感を得られるということが


知らない間に自然と出来るようになっていたのです。


10年以上かかりましたが、体験で知った幸せの法則。


これらを体験で学ばせて頂いたことを、今は心から感謝しています。


こういうことが幸せということなのだなぁと、人生という名の旅の奥行きの深さに感嘆しています。


人生って、本当に本当に素晴らしい!と、


そして、本当に生まれてきてよかったと、心から思っています。




私が最後に両親のこと書かせて頂いたのは、このことが抜け落ちていては、


心が幸せになれないということを体験で知ったからです。


誰からから愛されていても、また、どんなに信仰深くても


自分を生んでくれた両親との関係にぎくしゃくしたものがあったら、


どうにも100%幸福な気持ちにはなれません。

(といっても本当の信仰をしていたら
自然と両親含むご先祖さんへ気持ちを向けていくよういなるものですが・・・

信仰とルーツへの感謝は別物ではなく、つながっていてリンクしています)


両親や家系とは、どんなに縁を切った、


忘れたと思っていても、絶対に忘れることはできません。


また、家族についてあなたがどのような解釈をしようとも、


両親があって生まれてきている事実は変えようのないことで、


そこが源泉であり、ルーツであり、土台であり、根っこなのです。


両親は、根っこであるからこそ、絶対に無視することはできませんし、逃げることもできません。


だからこそ、両親との間に問題があると、心がすっきり晴れず、


つねに鬱々としたものを抱えてしまうようになるのだと思います。

(過去の私もそうでしたから)


例えば、家でも土台がぐらついていたら、ぐらぐらして安心して暮らせません。


草花も根っこがしっかりしていなければ、強い葉や花を咲かすことができません。


人間も自然の一部なのですから、この自然の法則はそのまま適応されるのだと思います。



どんなに裕福でも、どんなに仕事がうまくいっても、どんなに異性にもてたとしても、


根っこ(親)との関係が良好でなければ、心からの幸せ感を感じることができない。


私は自分の体験を通じて、その理(ことわり)を教えて頂きました。


両親含めご先祖さんとの関係と、異性から愛される実感と、


信仰心というのは、いわば車輪の両輪みたいなものなのだと感じています。


一つ一つが別のものなのではなく、全部が繋がっていると感じています。


ですから、このうちのどれかひとつを真剣に取り組んで改善できれば、


全部が良くなっていくのだと思います。


幸福というものは、何かひとつだけのことがあるのではなく、


総合的なものなのだと思います。


どれが欠けても、絶対的な幸せにはたどり着けなくなってしまうのではないでしょうか。


私は、これらの体験をすることにより、幸せの法則というのは、


実は、ものめずらしい何かや、画期的な何かで得られるのではなく、


人として生まれて当然のこと、当たり前のことを実践していくだけだったんだ・・・・。


ということに気がつきました。


世の中は、みな、幸せになるために、


あらゆるマニュアルやメソッドが花盛りです。


呪文のようなものを唱えてみようとか、ただありがとうといってみようとか・・・・


それらは決して間違いではないと思いますが、


ただ、原則はもっとシンプルで当たり前の中にあるのだと思っています。


自分が生まれてきたルーツを知り、感謝の心を伝えていく。


やることはたったそれだけでいいんだと思います。


自分のルーツとは、親でありご先祖様であり、


はたまたもっとさかのぼっていけば、


日本の場合は、神様も広い広い意味では祖(ご先祖様)です。


脈々と繋がる自分の魂のつながりを、大切に敬って、心を向けていくこと。


それが幸せの大原則だったということです。


両親がいなかったら自分はいません。


両親ににも両親(あなたから見て祖父祖母)がいらっしゃったから


命が繋がってきたのです。もっともっとさかのぼれば、それは祖につながり、


祖とは神様なんですね。そんな遠い昔から命のバトンが切れることなく繋がっているから、


今、自分が生まれることができて、幸せを求めて得られる心と体を授かっているのだと思います。




ここまでのお話を総合的にまとめると、


完全なる幸せを完成する上で大事な3つの要素は、



1、両親への感謝の気持ちを持ち敬うこと(初級偏)


2、愛されている実感を得ること(中級偏)


3、信仰心を持つということ(上級偏)



だといえると考えています。






長いお話を最後まで読んでくださってありがとうございます。


これらのお話は、10年以上の体験からくる話なので、


まとめるのにも、ものすごく時間がかかりました。


これらは、どこかの本に書いている理屈ではなく、


私が身を持って体験した、事実に基づく幸せの法則です。


ですから、これが正しいとか、正しくないという見地ではなく、


ただ、こういった経験をして、こういう考えてもって


活動しているということを知ってもらうために記したものです。


この3要素は、順番はどこから入ってもいいと思います。


最終的に3つの要素を理解し、肌に感じ、体験して魂に刻むこと、


そのことこそが人生だからです。


もし仮に今世ですべて達成しなくても、来世があります。


来世、また来世がって、いずれその3つの要素が達成できるために、


人は輪廻転生を繰り返しているのだと思います。


ここへ書いたことが、正しいかどうかは私にもわかりません。


また、人生はどんなに年を重ねても、


まだまだ知らないこと、わからないことの連続です。


おそらくですが、この上にはまだ違う世界があって、


最上級偏とか、超上級偏とか、もっともっとあるのでしょう。


その先がどうなっているか、今記したことが正しいか現時点でもわかりませんが、


私が今わかる範囲で、体験で知りえた完全なる幸せに至る道のりについて


記させていただきました。


これだけ書いても、実はまだ全部説明しきっていないのですが、


あまり書いても読むのが大変なので、概要だけということで記させて頂きました。


私の知りえた幸せの法則や、私の鑑定が、あなたさまの幸せの一助となれば幸甚です。













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